昨日は問題提起に終わったが、「ケータイ・サル」を書いた正高先生も、「日本が壊れる」を書いた柳田邦夫さんも、ケータイを使っていないと自負する方々である。これでは、ちょっと偏った見方かもしれない、と思っている。
正高先生の著書の指摘の中で、当を得ていると思ったのは、靴のかかとを踏み潰しているスリッパ履きや駅などでの地べたすわりに見られるように、家(うち)での態度を社会(そと)でも行うという行動についての見解である。こうしたことを行うのは一部の若者ではあるが、その傾向は社会にじわじわ広がっているとみた方が良い。電車の中での化粧直しなども・・・
IT機器は情報ツールとして大変有用ではあるが、コミュニケーションを助けるものであって、満たすものではない、と割り切る姿勢があるかないかではないか・・・などとまじめに思ったりする。
正高先生の著書の指摘の中で、当を得ていると思ったのは、靴のかかとを踏み潰しているスリッパ履きや駅などでの地べたすわりに見られるように、家(うち)での態度を社会(そと)でも行うという行動についての見解である。こうしたことを行うのは一部の若者ではあるが、その傾向は社会にじわじわ広がっているとみた方が良い。電車の中での化粧直しなども・・・
IT機器は情報ツールとして大変有用ではあるが、コミュニケーションを助けるものであって、満たすものではない、と割り切る姿勢があるかないかではないか・・・などとまじめに思ったりする。
かくゆう私も,あの巫女さん状態は違和感を覚えます(^^)
それは,各人がその人だけの情報を密かに操作しているということとその無防備な姿をさらしていること,そしてそのことを異常なことだとわかってないことですね.
おっしゃるように、ケータイは道具なんです。ただ、パーソナル情報交換端末という性質が今のご時勢にぴったりなんでしょう。
そして、この機械の仕組みが発達するにつれ、時代(社会の変化)を加速させた要素はあると思います。
火に油のように。ケータイが悪いわけじゃない、のですが・・・。