ホラーハウス社会―法を犯した「少年」と「異常者」たち講談社このアイテムの詳細を見る |
内閣府が行なった社会意識に関する世論調査結果でも、「悪い方向になっている分野」の回答で「治安」が二年連続トップだったそうだ。
外交・地域格差 「悪い方向に」増加 内閣府調査 (産経新聞) - goo ニュース
少年(未成年者)による凶悪犯罪や「異常者」による子供を犠牲にする犯罪は、報じられない日が無いと言ってもよいほど、日常化している。
ところが、統計上の数字はそういった「体感」とは異なっているのだという。
例えば少年犯罪については、殺人の検挙者がピークに達するのは1951年と61年で、年間300人~400人ほどだった。
その後一転して少年による殺人事件の数は減り続け、1975年以降はずっと100人前後で推移してきており、殺人以外の重大犯罪でも同様の傾向にあるという。
統計が明らかにした事実を見る限り、少年犯罪は凶悪化も急増もしていない。
統計数字が明らかにする事実と裏腹に、何故社会は「少年」と「異常者」を「怪物」として恐れるようになったのか。
著者は、変化したのは犯罪傾向という事実ではなく、それを受け止める社会の方であるとし、97年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」並びに2001年の「池田小事件」がその変化の契機となったとしている。
そういった社会意識の変容が、「少年法」の改正、そして「医療観察法」の成立という制度改革をももたらした。
もちろんその背景には、従来の制度が、「犯罪少年の教育」「精神を病んだ犯罪者の治療」ばかりを目的とし、犯罪被害者の権利への配慮を著しく欠いた歪んだものであったことが広く世間に知られることになったことがある、という点を著者は認めている。
が、その上で、「不安にとりつかれた社会」に対して警鐘を鳴らす。
我々は自ら社会に「怪物」を取り込み、疑心暗鬼に駆られているのではないか。
そして、治安管理は今やエンターテイメントと化し、「恐怖と治安を快楽として消費する」ホラーハウス社会を作り上げてしまっているのではないか、と。
確かに著者の主張には傾聴すべき点はあると思う。
連日ワイドショーが報じる「怪物」的犯罪者。
これらを見ていると、彼らのような「怪物」が我々の周りにうようよ存在しているかのような錯覚に陥る。
あまりにヒステリックに危機意識を社会が抱くことは、「魔女狩り」に繋がる危険性を内包している。
少しでも「常識」に反した行動を取るだけで、一気に「枠外」の人間として社会から疎外される、そんな息苦しい社会にしてはならないとは思う。
が、それでもやはり、体感としての治安の悪化を多くの人が感じていることも重いことだと思う。
現に、性犯罪者や凶悪犯罪を犯した元・少年が再犯を行なう事実を、我々はメディアを通じて目にしている。
確かにそのような犯罪に遭う確率は実際には非常に低いだろう。
しかし、ゼロではない。
誰しも被害者の立場に立つ可能性を有している。
著者の警鐘は重要な意義を持っており、常に我々も頭の片隅に置いておくべきものだとは考えるが、終盤の論理展開には同調したくない思いを抱きながら読み進めたというのが正直なところである。