そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

私的「格差」考(4) 日経新聞「大機小機」より

2006-05-24 23:58:02 | Society
先月、「私的『格差』考」のタイトルで3回ほど思うところをエントリした。
何となく頭の整理もできないまま中途半端に中断してしまっているけど、もうちょっとだけ書き進めてみたい。

丁度、今日(5月24日)の日経新聞朝刊マーケット総合面「大機小機」に「『格差社会』は成長の証し」と題したコラムが書かれていたので、これにツッコミを入れることで再開してみる。

筆者(「桃李」氏)はまず、世間の「格差社会」論に対して、次のように断じている。

「格差社会」や「市場原理主義」の「行き過ぎ」などは、定義や具体的内容になるとあいまいで、単なる政治的スローガンである。

基本的には同感。
で、さらに筆者の現状分析が続けられている。

日本の課題の多くは、過去十年以上に及ぶ経済成長率の長期停滞と高齢化に由来している。税収の低下と誤った景気対策による財政危機を背景に、小さな政府を目指す財政支出の削減や規制緩和などが、既得権を持つ側からの批判対象となる。

前半部分はその通りだと思うし、「格差社会」批判論が、既得権を死守しようとする抵抗勢力と結びついているのは確か。そのあたりの「まやかし」に誤魔化されないようにすることは大事だと思う。
が、例えば「地域格差」などを考えた場合、公共投資への依存を長年続けてきてズタボロになった地方経済に対して「もうそんな時代じゃないんだから自立しなさい」と急に冷たくしたところで自立する術もなく、甘やかすのはもちろん良くないが、突き放して後は勝手にしろと思考を停止してしまうだけで本当に解決になるのか?という疑問も生まれてくるのである。
このあたりは後日もう少し考えてみたい。

(ところで、本題からは外れるが、上の引用で「誤った景気対策による財政危機」とあるのは一体何を指しているんだろう?ストレートに読むと公共事業の垂れ流しによる財政赤字の増加を指しているような感じだが、例えば小渕内閣時代の公共事業増による需要創出は、橋本内閣の経済運営失敗による危機をある程度回復させたはずで、「誤った景気対策」とは言えないはずだけど…)

で、筆者の論理は次のように展開する。

課題の解決には、成長率の回復しかないし、そのためには一層の規制緩和とリスクへの挑戦を促す経済の活性化策が必要である。
成長が加速すると、常にその波に乗れた人とそうでない人との格差は拡大し、その後、時間を経て成長の恩恵が全経済に及ぶ。

いかにも日経新聞らしい「経済成長原理主義」的な文章だ。
経済が成長すれば何もかもうまくいく、みたいな書き方だが、今の問題は「成長の恩恵が全経済に及ぶ」なんて楽観論が信じられなくなっていることにあるのでは。
「成長」といったって、かつての高度成長期みたいな成長は望めないし、「全経済に及ぶ」なんてことはなくって、一部の「上流」な人々だけがその恩恵に預かるだけではないのか、という疑念が生活実感として存在することが問題視されているのである。

文章は、格差の解決策へと続く。

格差の解決は、成長に貢献する意欲と能力を持った人材をいかに組織的に育成するかにかかっている。
要は、成功者を見て、自分にもチャンスがあると考えるか、自分にはまねができないとあきらめるか、どちらの人が多いかである。その意味で、IT(情報技術)教育の充実や、高齢者の労働市場確保などを通じて、可能性に挑戦するための機会を拡大することは重要な課題である。

人材育成に活路を求めるのはいいとして、後半部分は論理が飛躍しすぎで、ほとんどちんぷんかんぷんである。
どうしてIT教育を充実すると「成功者を見て、自分にもチャンスがあると考える」人間が増えるのか、さっぱりわからない。もしかして筆者はIT音痴のIT万能論者なのか?
個人的には「高齢者の労働市場確保」の流れもあまり好きじゃない。
もちろん健康で意欲のあるお年寄りには年齢に関係なく働いていただくのはいいと思うが、「健康なのに働かない年寄りは怠けている」と見られてしまうような風潮が広がるのは好ましくないことのように思う。

長期不況後の成長は始まったばかりである。格差社会への批判が出ることは成長が始まった証しでもある。より多くの人が成長の実感と、将来への明るい期待を持つようになれば、単なる政治スローガンは力を失う。

このようにまとめてコラムは終わっている。
格差社会に過敏になりすぎるのもどうかと思うが、逆に「成長の証しなんだからまったく気にする必要は無い」と言わんばかりにここまで無邪気な楽観論もスゴイなと感じたのであった。
コメント (2)
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