そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

「雲を掴め 富士通・IBM秘密交渉」 伊集院丈

2008-04-16 23:36:43 | Books
雲を掴め―富士通・IBM秘密交渉
伊集院 丈
日本経済新聞出版社

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いわゆる「IBM産業スパイ事件」が起こったのは1982年。
当時、自分は小学四年生だったので、この事件がどのようなものだったのかをほとんど理解できてはいませんでしたが、「産業スパイ」という言葉が妙に印象に残ったことはよく憶えています。
富士通は、その産業スパイ事件で逮捕者は出さなかったわけですが、引き続いて発生したIBM(日本IBMではなく米国のIBM本体です。念のため。)からのクレームを端緒に行われた実在の「秘密交渉」を題材にした小説です。
小説という形はとられていますが、著者の伊集院氏(ペンネーム)は当時富士通の海外事業部に所属し、実際にその秘密交渉にあたった当事者。
フィクションであると断られてはいるものの、登場人物は実在の人物をモデルにしており、小説中の日時・場所、登場人物の言動なども事実に即して書かれているとのこと。

交渉について簡単にまとめると…
コンピュータ産業の黎明期から世界のコンピュータ市場を席巻していたIBM。
一方、富士通・日立などの国内メーカーは通産省主導の補助金政策により、IBMのOSを徹底的に分析・研究してIBMユーザーが作成したアプリケーションプログラムがそのまま動く「IBM互換OS」を開発し、低廉なプライスで世界市場に打って出たわけです。
これに対して危機感を抱くとともに烈火のごとく怒ったIBMが、違法な盗作をしたんだから金を払え、これ以上OSを売るな、お前のところなんか潰してやる!と猛クレームをつけ、富士通が必死に防衛することになった、といったような経緯。

マイクロソフトの事例に代表されるように、覇権OSをめぐって、知的財産保護か独占排除かというトレードオフは、現代でも存続する古くて新しい問題なわけですが、この秘密交渉が行われた時代にはソフトウェアを知的財産権として保護する法制度がまだ整備途上だったこともあり、こういった秘密交渉という形での激しいせめぎ合いが繰り広げられたわけですね。
ちなみに、この本は秘密交渉が決着して契約締結がされるところまでで終わっていますが、実際にはその後も係争が完全に終わらず、米国の仲裁機関に持ち込まれて最終的には1997年まで15年に亘って続くことになります。
巻末の「解説」にもある通り、これだけ身を削るようなタイトな折衝を行いながら、結局最終決着を迎える頃にはコンピュータシステムのオープン化、ダウンサイジングが進んで大型汎用機のOSが前時代の遺物になってしまったという事実は、いかにも皮肉な感じがします。

本を読んでの印象を一言で云うと、やはり一世代前のビジネスマンたちの話だなあという感じ。
たとえばこの頃の企業の幹部ってみんな戦争を経験した世代なんですよね。
だからか、軍隊調というか、精神主義的な香りがどこか漂っているような気がしました(もしかしたら富士通という会社の体質もあるのかもしれませんが)。
著者たちが秘密交渉を通して死に物狂いで頑張ったのは、互換OSを開発したソフトウェア事業部の血のにじむような努力を無にすることはできないという想いから来ていたり、海外展開をあきらめる代わりに日本市場だけは死守しようと取引を仕掛けたりするあたり、グローバル経済下に生きる現代ビジネスマンである自分にはちょっと解らない感覚だったりもします。
現在のビジネス社会では何かといえばコンプライアンス、コンプライアンスとうるさいわけですが、この時代はだいぶ様相も違っていて、そういった面でも前時代性を感じてしまうんですよね。
若干突き放し気味に云えば、高度成長期を生きたモーレツ社員世代の鎮魂歌(悪く言えばマスターベーション)といった感じでしょうか。

一応小説という形態が採られているのであえて申し上げれば、小説としてはかなりお粗末な出来です。
たとえば、全体が著者であり主人公でもある伊集院氏の一人称で書かれていながら、一か所だけ伊集院氏が場面から消えて他の登場人物が三人称で伊集院氏について語るところがあったりします。
初歩的な人称のコントロールさえままならないわけで、これくらい編集がチェックしろよという気もしますが、著者は難病に冒された病床でこれを書き上げたということなので致し方ない事情があったのかもしれません。
いずれにしてもこれを「小説」として読むことにあまり意味はないと思うので、構わないといえば構わないのですが。
コメント
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