ラッシュライフ (新潮文庫)伊坂 幸太郎新潮社このアイテムの詳細を見る |
パズルのような構成を組み立て、それを解きほぐしてみせることだけを目的に書かれたとしか思えない。
読んでいる間は、果たしてどこがどう繋がるのかという関心から、最終形にさっさと辿りつきたいがために、次々とページをめくる誘惑に駆られたことは認めます。
が、それは自分が考える「小説を味わう」という行為とはかけ離れた、単に「ページを消費している」という言い方がぴったりくるような時間に過ぎなかったような。
この小説のように、微妙に重なり合う複眼視点の群像劇に時間軸ずらしをからませていく手法は、これが2002年に書かれた小説であることを勘案してもけっして新しいものではない。
タランティーノやガイ・リッチーの映画では当時既に広く知られていたもので、著者はどうやら映画好きのようなので、それを小説でやってみようという発想があったことは想像に難くない。
そのこと自体を特にどうこう言うつもりはありませんが、自分がこの「ラッシュライフ」を評価できないのは、そういった「巧みな構成」を組み立てることが最大の目的になってしまっているように思えること。
頭で「設計」して「構築」された小説という印象がぬぐえず、こういうものを「文学」とは呼びたくない。
何より気に食わないのは、登場人物の造形がどれもこれも空虚なこと。
小説の登場人物なんだから別にリアリティに欠けていたって構わないとは思うけど、誰も彼も「ストーリーを転がしていく」都合上配置されたキャラクターとしか思えず、まったく人間が描けていない。
科白も会話も上滑りしている。
しかも、「巧みな構成」と表現できるほど、ラストの集大成的伏線回収がカタルシスを生むほどのものでもないような…
こういう類の小説をエンターテイメントとして消費して楽しむ嗜好を、けっして否定するつもりはありませんが、個人的にはこれ以上御免蒙る、といった感じです。