そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

的外れな「改革」批判

2009-03-13 01:32:27 | Economics

このブログで時折取り上げている日経新聞朝刊マーケット総合面のコラム「大機小機」。
最近はこっちの目も多少肥えてきたせいか、凡庸な常識論や抽象論が多くていまいち面白くないんですが、昨日(3月13日付け)の「文鳥」氏によるコラムは殊に酷かった。

『「改革」もまた万能ではない』と題して、構造改革路線を批判し、ケインズ流の財政出動による需要創出を主張してるんですが、素人目にも論旨が混乱していることがわかります。

まず、今回の金融危機が生じる以前から日本経済の景気後退が始まっていたことを指摘し、「改革さえ進めていれば持続的な成長が実現でき、不況も軽微だったというのは改革派の我田引水ではないか。」と批判します。
さらにこう続けます。

実際、小泉改革の目指した「民でできることは民に」を最も徹底した米国が、世界的な不況の震源になった。規制緩和や民営化によって市場を自由化し、競争を促進しても経済が順調に推移する保証はない。改革も市場と同様に万能ではないからだ。

「改革もまた万能ではない」ということ自体に異論はありません。
が、いわゆる「構造改革派」の人たちだって、改革が万能だ、改革さえ進めれば不況知らずで経済は順調に成長する、などと主張したりはしてないのではないでしょうか。
構造改革というのは、長期的な成長力を高めるための施策であって、たとえ改革を進めても短期的には景気後退が発生することはあり得る。
だけど改革を進めて筋肉質な経済に体質を変えておけば、たとえ景気後退に陥っても自律的に回復する力を得ることができる、そういうことを主張しているのではないでしょうか。

「文鳥」氏は上記のように「改革」を否定した後に、現在の不況を克服する策としてケインズ政策の選択を主張します。

ここに至って求められているのは、対策の中身よりも、国内総生産(GDP)を直接増やす効果のある「真水」三十兆円規模の大胆な対策と素早いタイミングではないか。

確かに大規模な財政出動を行えば、今の不況の「痛み」を緩和することはできるでしょう。
だけど、対症療法で「痛み」を抑えてじっとしてれば自然に好景気になる保証はどこにもない。
もはや高度成長時代ではないのです。
日本経済は成熟化して、少子化によりむしろ基礎的な活力が落ちていくフェーズにあるわけで、昔のように政府主導で需要創出さえすれば産業が活性化するという時代ではない。

要するに、この筆者は、経済の成長力を高めるという長期的な施策と、対症療法的に不況の痛みを緩和するという短期的な施策を、ごっちゃにして論じているのではないかと思います。
構造改革が万能ではなく不況の発生を防げない一方で、財政政策で官がいくら需要を創り出したところで経済の成長力が高まるわけではない。
むしろ、いつまでも「お上」頼みの依存主義から脱却できず、政・官・財・労組などの非効率で恣意的な既得権益が温存される。
その弊害を構造改革派の人たちは問題視しているのではないでしょうか。

…ということくらい、自分のようなど素人にも分かるんですが。

コメント
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