そもそも論者の放言

ミもフタもない世間話とメモランダム

優秀な大衆と愚かなリーダー

2011-04-09 21:15:44 | Society
計画停電は「原則不実施」の方針-回避に向け需要抑制目標も(医療介護CBニュース) - goo ニュース

夏場に懸念される電力不足に対して、企業・家庭各々において電力使用の削減目標を定めて達成を目指す「国民運動」で臨むという政府方針が打ち出されました。
いかにも日本的だなあと感じます。
というか、日本以外の国じゃ、こんなやり方あり得ないんじゃないでしょうか。
いくら頑張って節電に励んでも、他の人も同じように頑張らなきゃ全体の目標は達成できないわけだから、個人主義的な考え方に従えばこの状況で頑張って節電をするインセンティブはないはず。
普通に考えて、そんなのうまくいくはずないですよね。
ところが、一見して合理的であるとはとても思えない「国民運動」方式で、電力不足を乗り切ってしまえそうな気がするところが日本社会の凄いところ。
一般市民レベルの共同体意識が極めて高く、規律と同質性、そして自己犠牲を美徳とする公衆道徳が浸透している、この一般市民レベルの高さこそが、国際的にみた日本社会の強みでありましょう。

一方で、福島第一原発の困難な状況はなかなか改善せず、政府による避難指示や農産物の出荷制限の出し方、放射性物質の暫定基準の示し方などの拙さは混乱を呼び、汚染水海洋投棄についての情報連携の不手際は国際的に不信を招いています。
復興計画の財源問題も政局絡みの思惑やマニフェストに捉われて進展が見えてこないし、東電においても現場作業員の命懸けの奮闘に比べて経営陣がリーダーシップを発揮できていない状況が目立つばかり。

優秀な一般大衆と、愚かなリーダー層。
先進諸国の中で際立つ日本社会の異質性ですね。
そしてこの両者は表裏一体の関係にあると思います。
大衆レベルの自律性・同質性が高いからこそ、強烈なリーダーシップが必要とされないんですね。
だから優秀なリーダーが育たない。
大局的なビジョンを示してグイグイ引っ張っていったり、対立する利害に優劣をつける難しい判断をする必要がなく、ただ無難な「落とし所」を探って「調整」し、大衆に対して協力を「お願い」をしていさえすればよい。
こういう社会の在り方って、高度成長期みたいに全体のパイが大きくなっている局面では有効だけど、社会が成熟してくると機能しなくなります。
従来からの「慣性」を覆すリーダーシップが存在しないがゆえに、既得権益を維持する力学が働くことで社会に硬直性が生まれてしまう。
過去の政権・官僚・電力会社・メディアが結託して行われてきた、リスクを直視しない原発推進もまさにその一環として捉えられるわけで、今福島原発で起きていることもその帰結であると考えられると思います。

この日本社会の特性、そう簡単に変わることはないだろうとは思います。
震災からの復興や電力供給不足という危機局面ではむしろ、一般大衆の優秀さが功を奏することも考えられる。
ただ「失われた20年」の低迷期を継続させてきた病理が治癒するわけではない。
3・11という不幸を「変わる」きっかけにしていかなければならない、とは思いますが…
コメント (2)
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