らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

マラソンと私

2008-01-27 | 趣味

今日(1月27日)は大阪国際女子マラソンが行われました。

初マラソンで出場し、期待された福士加代子選手は、残念ながら35㎞前で脱落してしまいました。

最後は歩くような状態で競技場に入り、ゴール前ではふらふらして何回も倒れ、涙が出るような感動的なシーンもありました。

我々素人は完走が目標なので、そのような状態でも喜びがありますが、彼女の場合は果たしてどうだったのでしょうね。

優勝は英国人のマーラヤマウチ選手で、2位は森本友選手が日本人トップでゴールしました。

それにしてもマラソンの女子選手は強くなったものですね。

2回連続オリンピックで金メダルを取るなんて思いもよらなかったです。
こうなると北京も是非金メダルを取って欲しいと思います。

昭和20年代後半によく言われた言葉に、「戦後強くなったもは女と靴下」があります。

これは戦後の民主主義と家族制度の崩壊しで女性の立場が強くなったことと、ナイロン製のストッキングが入ってきたことを言った言葉です。

この言葉は、今では女子マラソンを言っているように思います。


さて私がマラソンと出会ったのは昭和56年です。 

当時右膝関節に痛みを感じるようになり、大阪市大病院や専門医で検査していただました。

原因不明であったため、先生に勧められたジョギングを始めたことがキッカケです。

最初は400~500m走ると息切れがしていましたが、無理をせず毎日少しずづ走り続けました。  

そのうち体力もつき、足腰も強化され、走るのが楽しくなり、日課となりました。

走る距離も10㎞、20㎞と伸びてゆき、ついにはマラソンに挑戦したくなりました。

そして遂に昭和60年の「篠山マラソン」に初挑戦し、見事完走しました。

完走の喜びを知りますと、次は記録の更新を目指すようになります。

それで練習量を増やし、月間200~250㎞を走り続けましたが、しかし素人の練習
方法ではなかなかスタミナがつきません。

大会ではいつも後半にスタミナ切れになります。

よく「マラソンは35㎞が中間点だ」と言いますが、正にその通りで、残り7㎞の距離が非常に長く感じます。

今日の福士選手は正にそのことを痛感したのではないでしょうか?

出場しても思うようにタイムが伸びないので、常々「4時間を越えたらマラソンをやめよう」と思っていましたが、7回目がそのときになりました。

平成3年の「篠山マラソン」の記録が4時間3分となり、決意どおり終止符を打ちました。   

結局、私は7回連続出場し、3回目に記録した3時間43分24秒が自己ベストとなりました。

テレビで映し出される一流選手は華やかですが、その陰には苦しい努力があり、
孤独があり、涙があることを知って欲しいと思います。

そしてタイムにかかわらず完走した選手には拍手を送り、心から「お疲れ様」といってあげてください。

現在私は健康保持を目的に数キロメートルをジョギングするくらいですが、これからもできるだけジョギングと付き合っていきたいと思っています。

体力がつけば再度マラソンに挑戦し、あの完走の喜びを味わいたいとの気持ちは今でも心の片隅にはあります。