大相撲初場所は横綱 白鵬が6度目の優勝をして千秋楽となりました。
この場所は、横綱 朝青龍が2場所の出場停止明けの場所として、何かと話題になりました。
朝青龍の15日間の相撲は、休場明けとは思えないくらい力強さがあったと思いますが、場所前のマスコミの報道では、横綱としての品格面で、休場前と大差ないように思えました。
その点、白鵬は横綱として品格、実力共に備わってきたように感じます。
優勝して本当によかったと思いますが、皆さんはどのように思われますか?
日本の国技である相撲が、若、貴兄弟の引退後は、番付の上位を外国人力士に
占められるのは何とも淋しいことですね。
日本人力士の方には「モンゴルには絶対に負けないゾ!」という強い意志をもって
頑張って欲しいと思います。
さて、私は相撲は好きですが、その歴史はよく知りませんので少し調べてみました。
本日以降、数回に分けて簡単に書いてみたいと思います。
先ず神話の中の相撲 について
(http://beemanet.com/essay/sumo/index.html より)
「古事記」「日本書紀」には次のような記述があるそうです。
「古事記」
古事記には、後世「国譲りの相撲」と呼ばれている相撲があります。
出雲の国をかけて、天照大神(アマテラスオオミカミ)の命を受けた建御雷神
(タテミカヅチノカミ)と大国主命(オオクニヌシノミコト)の子供の建御名方神
(タテミナカタノカミ)が力比べをします。
建御雷神が建御名方神の手をつかみ、投げ飛ばして勝ったとの記述があります。
「日本書紀」
日本書紀には相撲の起源神話として有名な「野見宿弥」と「当麻蹶速」の力比べ
があります。
第11代垂仁天皇の御前で出雲の国の「野見宿弥」(のみのすくね)と大和の国の
「当麻蹶速」(たいまのけはや)が日本一をかけて相撲を取り、「野見宿弥」が
「当麻蹶速」の腰骨や脇骨を蹴り折って、絶命させて勝ったとの記述があります。
この「野見宿弥」は大一番に勝利したことにより、今でも「相撲の始祖」
「相撲の神様」として遇され、東京の墨田区にある「野見宿弥神社」では出雲大社の神官によって神事が執り行われているようです。
天皇およびその時々の権力者の前で行われる相撲を「上覧相撲」と言いますが、
この「野見宿弥」と「当麻蹶速」の相撲は、文献に残る最古の「上覧相撲」と言われています。(天皇に供される場合には天覧相撲といわれます)
相撲は神事と言われますが、相撲の始祖と言われているこの二つの相撲には、
いずれも天皇が存在しており、そこに神事と言われる所以があると思います。
次回に続く