らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

相撲の歴史(その4)

2008-01-31 | 雑学

明治時代以降

明治4年に東京府の「裸体禁止令」によって「相撲禁止論」が起こりましが、明治天皇と伊藤博文らの尽力により、明治17年に「天覧相撲」が実現し、相撲が社会的に公認され危機を乗り越えました。

明治42年に両国国技館が落成し、相撲が国技とされました。
このときから1場所10日間興行になったそうです。

この頃は春と秋の2場所で、年間20日間の興行だったようですが、大正12年5月からは11日興行になりました。

相撲取りを詠んだ川柳に「1年を20日で暮らすよい男」がありますが、大正12年からは「20日で暮らすよい男が」「22日で暮らすよい男」になった訳ですね。

大正14年、昭和天皇がまだ皇太子のときに、皇太子の下賜金により、「摂政賜杯」、(現在のの「天皇杯」)がつくられ、優勝者に賜杯が授与されるようになります。

昭和2年、東京と大阪の相撲協会が解散して大日本相撲協会が発足し、1月(両国)、3月(関西)、5月(両国)10月(関西)の年4場所制になります。

昭和12年5月場所より13日興行となり、さらに昭和14年5月場所より15日興行へと
移行します。

戦時中から戦後にかけて苦難の道を歩みました。

昭和25年秋場所より大阪場所が開催されます。昭和28年3月に大阪場所を行い、
その後は3月が大阪開催となります。

昭和32年11月は福岡で開催され、翌年7月には名古屋で開催されます。
そして現在の年6場所15日制が確立します。

昭和42年3月に高見山が新十両に昇進し、初めての外国人関取が誕生しました。

その後、小錦、曙、武蔵丸などのハワイ勢が、更に琴欧州を始めとするヨーロッパ、ロシア勢が、そして朝青龍、白鵬などのモンゴル勢が幕内上位を占めるに至り、
今や外国人によって相撲人気が保たれている状態となりました。
日本人力士にはもっと奮起を願いたいですね。

相撲が国技となったのは明治42年ですが、2000年に及ぶ相撲の歴史の中で、培われてきた日本特有の伝統は大事にして欲しいと思います。

そのためには、異文化で育った外国人力士に日本の伝統文化をよく理解さるべく、指導を徹底してもらいたいですね。

4回にわたって書きました「相撲の歴史」はこれで終わります。