江戸時代の相撲
江戸時代に入ると興行としての相撲が始まります。
この頃の土俵は、鎌倉時代に始まった「人方屋」、即ち、見物人が直径7~9㍍の
人の輪を作ったもので、その中で相撲が行われていました。
その後、四角い土俵(プロレスのリングのようなもの)になりました。
現在でも四角い土俵は各地の神社などに残っているそうです。
1670年頃に、四隅に「四神」をあらわす4色の布を巻いてに柱を立て、屋根を支えた
方屋の下に、直径13尺(3.94m)の円形の土俵が設けられます。
昭和6年になって現在の15尺(4.55m)の土俵になります。
江戸中期になると相撲は大いに盛り上がってきます。
それまでは「大関」(「大関取」)が最高位でしたが、江戸幕府によって「江戸相撲方取締」の役を認められた吉田司家から、横綱の免許が与えられて実質的な横綱が誕生します。
初代の横綱は「明石志賀之助」と記されていますが、この免許制による最初の横綱は、1789年に誕生した第4代「谷風梶之助」、第5代「小野川喜三郎」といわれています。
大阪や京都にも相撲集団があり、大商人の財力で看板力士を多く抱え、江戸相撲を凌ぐ勢いでしたが、谷風、小野川、のほかに「雷電為右衛門」などの登場もあって江戸相撲が大いに盛り上がり、大阪、京都を凌ぐ人気になります。
そして「江戸で力士をつとめてこそ本当の力士」と言う風潮が生まれてきました。
相撲集団は比較的自由に往来ができたため、江戸相撲が大阪や京都に出向き、
合併興行として毎年開催されるようになります。
それと共に力士の力量も上がっていきました。
次回に続く
(一言メモ)
「四股名」元々は「醜名」(しこな)と書き、自らをへりくだって呼ぶときの名前です。
(「憎まれるほど強い」との意味もあるようです)
また「四股を踏む」とは穢れや邪気を祓う行為と言われています。
「四神」とは「青竜」、「朱雀」、「白虎」、「玄武」を言います。
「青竜」は東方を守護する神獣で、長い舌を出した竜の形で表されます。
季節は「春」、色は「青」、人生においては「若年期」で、所謂「青春」と
言われています。
「朱雀」は南方を守護する神獣で、翼を広げた鳳凰状の鳥形で表されます。
季節は「夏」、色は「赤(朱)」、人生においては「壮年期」で、所謂「朱夏」
と言われています。
「白虎」は西方を守護する神獣で、細長い体をした白い虎の形をしています。
四神の中では最も若い存在と言われている。
季節は「秋」、色は「白」、人生においては「熟年期」で、所謂「白秋」と
言われています。
「玄武」は北方を守護する神獣で、足の長い亀に蛇が巻きついた形で描かれて
います。
季節は「冬」、色は「黒」、人生においては「老年期」で、所謂「玄冬」と
言われています。