奈良、平安時代の相撲
奈良時代末(730~731年)になると、聖武天皇によって「三度節」の一つとして、
「相撲節」(すまいのせち)が始められます。
平安時代になると「相撲節」は天覧の七夕行事として、絢爛豪華に行われるように
なります。
「天覧相撲」の始まりです。
「相撲節」では蹴る、突く、殴ると言った技が禁止され、押し出しや投げ技を主とした相撲へと洗練されていきます。
このほか民間でも相撲が始まります。
「土地相撲」や「草相撲」のほかに「神事相撲」と言って五穀豊穣を祈り、神々に感謝する農耕儀礼も始まります。
武家の時代に入ると、源頼朝や織田信長が相撲を奨励し、たびたび「上覧相撲」が催されました。
この「上覧相撲」から行司が生まれたといわれ、土俵の原型もこの頃に作られた
そうです。
次回へ続く
(一言メモ)
「女相撲」
第21代雄略天皇のときに裸で褌を巻いた「女相撲」が行われているそうです。
かつて大阪府の太田知事が「表彰のため土俵に上がりたい」と言った時に、
日本相撲協会は、「伝統により女性は土俵に上がれない」と言って拒否しました
が、協会はこのことと、拒否したことの整合性をどのようにお考えでしょうね?
「力士」(ちからひと、すまいひと)の文字が初めて現れるのは古事記の「垂仁記」
といわれています。
「三度節」とは「射礼」、「騎射」、「相撲」のこと、で宮中の重要な儀式です。
「射礼」(じゃらい」とは、古代に正月17日に建礼門前で行われた弓射の行事
「騎射」とは騎馬で行う射術、古代5月5日に朝廷で行われた流鏑馬の類