22年前の1月8日、元号が昭和から平成に改元されました。
そこで、今日は「平成の由来」について調べました。
第124代天皇の昭和天皇(在位:1926年12月25日~1989年1月7日)は、昭和64年(1989年)1月7日に崩御されました。
これを受けて政府は1月7日の午後、有識者で構成する「元号に関する懇談会」を開き、「平成」、「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の3つの候補を示して意見を聴いたそうです。
その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の2候補は、ローマ字表記の頭文字が昭和と同じ「S]になるので不都合ではないかと言う意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられています。
そして、その日の午後2時10分から開かれた臨時閣議で新元号を正式に決定し、午後2時36分に内閣官房長官の小渕恵三氏が記者会見で次のように発表しました。
(発表内容)
「ただいま終了しました閣議で元号を新ためる政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。
新しい元号は、平成であります」と言いながら新年号を墨書きした台紙を示しました。
・これが小渕恵三氏が発表した時の画像です。ご記憶の方も多いことと思います。

この「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(しょきょう)』大禹謨(たいうぼ)の「地平天成(地平らかに天なる)」からで、その意味あいは「国の内外、天地あまねく平和が達成されるように」と言う願いが込められています。
(参考)
・「史記」とは、二十四史の一つで、中国前漢の武帝の時代(紀元前91年頃)に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。
・『書経(しょきょう)』とは、五経の一つで、尭舜から秦の穆公(ぼくこう)に至る政治史・政教を記した中国最古の経典です。
・大禹謨(たいうぼ)とは、中国の古代神話によれば、大洪水を治めた「禹(う)」が夏王朝の最初の王となり、人々から「大禹」とか、「大聖禹」と呼ばれた人で、
偉大な禹(う)王の謨(はかりごと)、即ち、偉大な禹王の治水の大事業のことです。
そこで、今日は「平成の由来」について調べました。
第124代天皇の昭和天皇(在位:1926年12月25日~1989年1月7日)は、昭和64年(1989年)1月7日に崩御されました。
これを受けて政府は1月7日の午後、有識者で構成する「元号に関する懇談会」を開き、「平成」、「修文(しゅうぶん)」、「正化(せいか)」の3つの候補を示して意見を聴いたそうです。
その際、委員の間から「修文(しゅうぶん)」「正化(せいか)」の2候補は、ローマ字表記の頭文字が昭和と同じ「S]になるので不都合ではないかと言う意見が出て、全員一致で「平成」に決まったと伝えられています。
そして、その日の午後2時10分から開かれた臨時閣議で新元号を正式に決定し、午後2時36分に内閣官房長官の小渕恵三氏が記者会見で次のように発表しました。
(発表内容)
「ただいま終了しました閣議で元号を新ためる政令が決定され、第1回臨時閣議後に申しました通り、本日中に公布される予定であります。
新しい元号は、平成であります」と言いながら新年号を墨書きした台紙を示しました。
・これが小渕恵三氏が発表した時の画像です。ご記憶の方も多いことと思います。

この「平成」の名前の由来は、『史記』五帝本紀の「内平外成(内平かに外成る)」、『書経(しょきょう)』大禹謨(たいうぼ)の「地平天成(地平らかに天なる)」からで、その意味あいは「国の内外、天地あまねく平和が達成されるように」と言う願いが込められています。
(参考)
・「史記」とは、二十四史の一つで、中国前漢の武帝の時代(紀元前91年頃)に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。
・『書経(しょきょう)』とは、五経の一つで、尭舜から秦の穆公(ぼくこう)に至る政治史・政教を記した中国最古の経典です。
・大禹謨(たいうぼ)とは、中国の古代神話によれば、大洪水を治めた「禹(う)」が夏王朝の最初の王となり、人々から「大禹」とか、「大聖禹」と呼ばれた人で、
偉大な禹(う)王の謨(はかりごと)、即ち、偉大な禹王の治水の大事業のことです。