らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

若草山(三笠山)山焼き

2010-01-24 | 伝統行事
古都・奈良に春を呼ぶ恒例の山焼きが昨夜行われました。
奈良の若草山は標高342mの山で、3つの山が重なっていることから、三笠山とも言われています。
その若草山の山焼きの行事は、山に火をいれ山全体を燃やしてしまうという古都奈良の新年を飾る炎の祭礼で、現在は1月の第4土曜日に行われています。

例年、山焼きに先立ち花火が200発打ち上げられますが、今年は平安遷都1300年祭を記念して約600発が打ち上げたそうです。
面積約33ヘクタールの山を1時間かけて焼くこの行事に、昨夜は18万人の観光客が見入ったそうです。

・若草山の花火と山焼きです(毎日新聞HPより)
     炎が広がる若草山。手前は平城宮跡で復元整備中の大極殿=奈良市で2010年1月23日午後6時15分から30分間多重露光、宮間俊樹撮影

この山焼きの由来について調べてみました。
・一説には、江戸中期に若草山の山頂にある鶯塚古墳から幽霊が出て、人々を怖がらせると言う迷信があたようです。
 そして、翌年の1月頃までに山を焼かなければ不幸な事が起きると言い伝えられ、それによって通行人が放火する事件がたびたび起こり、それが「鶯陵」に眠る
 霊魂を鎮める祭礼となって現在に至っているというものです。
・また他説には、春日大社、東大寺、興福寺の領地争いを仲裁しようとした奈良奉行が境界をあいまいにするために火をつけたと言うものです。
 この説は、この双方の境界の問題が表面化した宝暦10年(1760年)、奈良奉行が境界争いを5万日預かると仲裁し、関係者立会いで山を焼いたとするもの
 です。
・他にも、山に潜む猪を追い払うためであるとか、害虫を焼き払うためとか、更には春の芽生えをよくするための原始的な野焼きであるなどの説もあるようです。

(参考)
・鶯塚古墳は5世紀ごろ築造された全国でも珍しい山頂にある全長103mの前方後 円墳だそうです。仁徳天皇皇后の墳墓との伝承があるようですが詳細は不明
 です。
 名前の由来は、清少納言の「枕草子」に記されている「うぐいすの陵(みささぎ)」が この古墳と言われており、そこからこの名前がついたようです。

・三笠の山を詠った歌を一種ご紹介します。
  「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」  安倍仲麿(あべのなかまろ:701年~770年) 百人一首(新古今集)

    
  (訳):大空をはるかに仰いで眺めると月が出ている。あの月は昔、故郷の三笠の山に出た月と同じものか。ああ、恋しいことだなあ。