らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

龍谷山 水間寺(貝塚市)

2010-01-25 | 地元紹介

1月4日に大阪・貝塚市にある水間寺の「千本撞き餅」をご紹介しましたが、今日はその「水間寺」の由来などをご紹介します。

水間寺は、天台宗別格本山のお寺で、山号を龍谷山と称し、水間観音とも称されています。
寺伝によれば、天平年間(729年~749年)に聖武天皇の勅願により行基が開創したものといわれています。
中世には貴賎(身分の高い人と低い人)の信仰を集め、江戸時代には岸和田藩主岡部氏の帰依を受け、寺運は隆盛しました。
現在は「新西国三十三箇所霊場」巡礼の第4番札所となっています。

・1月3日、初詣で賑わう水間寺の本堂です。
 この建物は文化8年(1811年)に再建されたものといわれ、大阪府下では最大級の本堂といわれています。



「水間寺創建の由来」
聖武天皇(724年~749年)が病気になったとき、夢に観音が現れてお告げを授けられたそうです。
天皇は僧行基に観音のお告げを話し、現地に赴くよう命じました。
行基はお告げに従ってこの地を訪れたところ、観音の化身である16人の童子が現れました。
童子に誘われて、現在本堂になっている場所の裏の滝に向かうと、その滝の中に一寸八分(約6cm)の観音像を見たといわれています。
天皇の病気が治癒し、授かった観音像を祀るため、天皇の命により天平16年(744年)に滝の傍に堂を建てました。これが水間寺の創始と伝えられています。

・本堂の裏手に流れている小川の中にある「聖観世音出現の滝」です。
 行基が龍神より聖観音像を授けられた場所と言われています。
 この渓谷には観音像が降臨したという石に伝教大師が不動尊を刻んだものや弘法大師の名号石もあると言われています。


・本堂の左手にある「三重塔」です。
 この塔は19世紀前半の建築とされています。塔の蟇股(かえるまた:社寺建築で荷重を支えるたの部材)には十二支の彫刻があるようです。
 この三重塔は、現存する塔で大阪府下では唯一の例だそうです。

・水間寺の鐘楼です。


・経堂です
 高倉天皇(在位1168年~1180年)の勅命をもって大般若経の写本の一部が収められているようですが、かつては、聖武天皇宸書の妙典、光明皇后の般若経、
 慈覚大師の妙法経などが収められていましたが、兵火にあって消失したそうです。


境内の一角、三重塔の左手に愛染明王を祀っている愛染堂が建てられており、その手前にはお夏清十郎の墓があります。
約700年前、水間の豪商楠右衛門の娘、お夏がこの「愛染明王」に祈願し、勅使であった山名清十郎との恋を成就させたと言われ、その縁で「お夏清十郎」の墓がここに建てられているようです。

この墓の花立てには、田中絹代と林長二郎(長谷川一夫)の名前が刻まれています。
これは1936年(昭和11年)に封切られた映画「お夏清十郎」に、田中絹代がお夏、林長二郎(長谷川一夫)が清十郎に扮して主演したことに因んで名前が刻まれたようです。

・夏清十郎の墓です。正面左右の花立てには、田中絹代と林長二郎(長谷川一夫)の名前が刻まれています


・鎮守権現宮です。
 行基大僧正が熊野、蔵王、白山三所権現に勧請し給うたもので水間寺創建時より祀られています。