らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「上巳(じょうし)の節句」について

2010-03-03 | 伝統行事

今日3月3日は五節句の一つ「桃の節句」で、昔流に言えば「上巳(じょうし)の節句」です。
そこで、「上巳(じょうし)の節句」の謂れについて調べました。

・上巳(じょうし)の節句の謂れ

先ず、節句の「節」とは、唐の時代の中国において暦法で定められた季節の変わり目のことです。
そして、「上巳(じょうし)」とは、3月の最初の巳(干支の巳)の日を言います。
3月の3日を「上巳(じょうし)の節句」としたのは、巳の日は毎年変わるので、「陽」が重なる3日に決めたのが定着したそうです。
何故3日なのかと言いますと、中国では奇数は「陽」、偶数は「陰」とされ、「陽」が重なると「陰」になるとされています。
このため暦の(月と日)中で奇数が重なる日を取り出し、それを避けるため「避邪(ひじゃ)」の行事が行われました。

この中国の行事が日本に伝わり、農耕を行う人の風習とが合わさって、一定の日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり、「節句」と言われるようになったそうです。
節句はもとは「節供」と書き、江戸時代には年に5日が公式に法制化された式日でした。
この法制化された5日が「一言メモ」に書いている現在の五節句です。

「上巳の節句」の行事
・流し雛

「上巳の節句」には、水辺に出て禊を行い、罪や穢れを洗い流すため、紙や草で作った人形(ひとかた)で体をなで、災いや穢れなどをつけた人形が人間の身代わりとなって、3日の夕方に海や川に流されました。
現在でも一部の地域では流し雛の行事がありますが、これがその始まりと言われています。
その後、人形(ひとかた)信仰に使われた簡素な人形が技術の進歩と共に装飾的なものとなり、観賞用として愛でられるようになったそうです。

・雛飾り
雛壇に飾られるようになったのは、徳川2代将軍・秀忠の娘・和子が後水尾天皇の中宮として入内し、東福門院和子になって皇女・興子(おきこ)内親王が生まれた
折に、その内親王の幸せを祈って作った座り雛がその始まりと言われています。

飾り方は特に決まっていませんが、右を上位とする現在は、男雛が右に(向かって左)、女雛は左に飾っているようですが、宮廷儀式の伝統に従っている京都は、左を上位としており、男雛は左(向かって右)、女雛は右に飾るそうです。

(一言メモ)
五節句とは次の5つをいいます
 1月7日  人日の節句(じんじつのせっく)
 3月3日  上巳の節句(じょうしのせっく)
 5月5日  端午の節句(たんごのせっく)
 7月7日  七夕の節句(しちせきのせっく)
 9月9日  重陽の節句(ちょうようのせっく)
1月だけは1日(元日)を別格とし、7日の「人日」を五節句に入れました。

* 1月7日が「人日」については古来、中国では正月の1日を「鶏の日」、2日を「狗(犬)の日」、3日を「猪(豚)の日」、4日を「羊の日」、5日を「牛の日」、6日を
  「馬の日」とする慣わしがあり、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていました。
  そして7日は「人の日(人日)」とする慣わしにより人を尊重する日として定められ、犯罪者の刑罰は行わないようにしたといわれていることによります。