らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

泉州探訪(その1)「金熊寺(きんゆうじ)」

2010-03-04 | 地元紹介
先日、大阪府泉南市にある「金熊寺梅林」に行ってきました。
今日は梅林の名前にもなっている「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」をご紹介します。

「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」は泉南市の山間部東信達地区にあり、和泉西国三十三観音の二十九番札所となっています。
「一乗山」は山号、寺名は「金熊寺(きんゆうじ)」、そして、ご本尊は如意輪観音で真言宗のお寺です。

・「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」です。


当山の開基は682年(天武天皇10年)、役行者(えんのぎょうじゃ)が夢のお告げにより、土中より6寸の金銅像を得、自らも4寸の木像を刻し、3間4面の堂を建立して安置したのが始まりとされています。
寺名は役行者(えんのぎょうじゃ)が当寺の鎮守として金峯・熊野の両神を勧請し、信達神社に合祀したことに因むと言われています。
その後、後鳥羽院(1183年~1198年)の熊野参詣の途上に 金熊寺権現社に参拝があるなど、鎮護国家の宏大な 堂塔であったといわれています。

  * 役行者(えんのぎょうじゃ)とは、姓が役公(えだちのきみ)、名が小角(おづぬ)といい、奈良時代の山岳修行者です。
    大和国葛城山に住んで修行し、吉野の金峰山(きんぶせん)・大峰山などを開いたと言われています。

・金熊寺観音院です。


鎌倉末期の正安元年(1299年)には、永仁の徳政令のあおりで焼き討ちに遭い、諸堂が罹災しましたが、本堂と薬師堂は消失から免れたと言われています。
1312年(応長2年)に鐘楼、中門などを補修し、1338年(歴応2年)には足利尊氏によって元に近い形に修復されましたが、1585年(天正13年)には豊臣秀吉の根来攻めの兵火に遭って消失しました。
1654年(承応2年)、信達村13ケ村の人々の善意により再興し、現在に至っているそうです。

・金熊寺の鐘楼です。


・修行大師銅像です。
台石には、「ありがたや たかののやまの いわかげに だいしはいまに おわしまします」の歌が記されています。


1691年(元禄4年)の『寺社境内坪数御改帳』には鎮守社(現:信達神社)、薬師堂、観音堂、地蔵堂、神主屋敷などを含め、境内は4万7400坪余りと記されており、広大な敷地であったようです。
金熊寺は多くの堂、塔頭(たっちゅう)を総称する一山だったようですが、現在は塔頭観音院のみが残り、金熊寺の寺跡をついでいるそうです。

  *塔頭(たっちゅう)とは、一山内にある小寺院、大寺に所属する別坊のことを言います。

・「一乗山 金熊寺(きんゆうじ)」の全景です。