今日は泉州探訪の3回目として「信達神社」をご紹介します。
今日ご紹介します「信達(しんだち)神社」は金熊寺の北隣に鎮座しており、「大阪緑の百選」に選定されています。
「大阪みどりの百選」
「大阪みどりの百選」とは、平成元年、郷土の優れたみどりの景観を再発見し、みどりに対する関心と大阪への愛着を深めてもらうため、「国際花と緑の博覧会(略称:EXPO90 花博)」を記念して、山のみどりや鎮守の森、都市公園、水辺のみどり、巨木などのみどりの景観について、府民投票が実施され、25万7千通を超える投票の中から百個所が選定されたものです。
・「大阪みどりの百選」の石柱です。金熊寺の梅林と共に選定されています。

「信達神社」
謂れによれば、昔、泉南樽井の海岸に神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト:神武天皇)の神像が出現し、奇瑞(きずい)を表したので里人たちは樽井の地に
祀りましたが、更に神意を得たため、現在の地に社殿を建てて鎮座したと伝わっています。
この鎮座地は、神倭磐毘古命(神武天皇)の東征に際して、茅渟(ちぬ)の海岸から紀伊国にいたる途中、しばし休憩された高地と言われています。
また、この神社にある神池は、神倭磐毘古命(神武天皇)の兄の五瀬命(いつせのみこと)が長髄彦(ながすねひこ)との交戦中に受けた矢傷を洗ったとされています。
(参考)
*奇瑞(きずい)とは、めでたいことの前兆として現れた不思議な現象を言います。
*茅渟(ちぬ)とは、大阪南部の和泉国に当たる地域の古称です。
・参道より「信達神社」を望む

・「信達神社」の本殿です。
御祭神に 神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト:神武天皇)
金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀っているそうです。
この本殿は1647年の建立で、五間社流造(桁間5間、梁行2間)となっているそうです。

・御神樹の「ナギの木」です。
樹高19.5m、幹の周り2.5mで府下最大の巨樹となっており、平成15年(2003年)1月31日大阪府の天然記念物に指定されています。

ナギの木は一般に御神木として神社に植えられることが多く、特に紀州では熊野権現に因んで権現と言う社名の神社に植えられているといわれています。
「信達神社」は江戸時代に「金熊寺権現(きんゆうじごんげん)」と称されていたことから、御神木としてこのナギの木が植えられたようです。
今日ご紹介します「信達(しんだち)神社」は金熊寺の北隣に鎮座しており、「大阪緑の百選」に選定されています。
「大阪みどりの百選」
「大阪みどりの百選」とは、平成元年、郷土の優れたみどりの景観を再発見し、みどりに対する関心と大阪への愛着を深めてもらうため、「国際花と緑の博覧会(略称:EXPO90 花博)」を記念して、山のみどりや鎮守の森、都市公園、水辺のみどり、巨木などのみどりの景観について、府民投票が実施され、25万7千通を超える投票の中から百個所が選定されたものです。
・「大阪みどりの百選」の石柱です。金熊寺の梅林と共に選定されています。

「信達神社」
謂れによれば、昔、泉南樽井の海岸に神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト:神武天皇)の神像が出現し、奇瑞(きずい)を表したので里人たちは樽井の地に
祀りましたが、更に神意を得たため、現在の地に社殿を建てて鎮座したと伝わっています。
この鎮座地は、神倭磐毘古命(神武天皇)の東征に際して、茅渟(ちぬ)の海岸から紀伊国にいたる途中、しばし休憩された高地と言われています。
また、この神社にある神池は、神倭磐毘古命(神武天皇)の兄の五瀬命(いつせのみこと)が長髄彦(ながすねひこ)との交戦中に受けた矢傷を洗ったとされています。
(参考)
*奇瑞(きずい)とは、めでたいことの前兆として現れた不思議な現象を言います。
*茅渟(ちぬ)とは、大阪南部の和泉国に当たる地域の古称です。
・参道より「信達神社」を望む

・「信達神社」の本殿です。
御祭神に 神倭磐毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト:神武天皇)
金山彦命(カナヤマヒコノミコト)
伊邪那美命(イザナミノミコト)を祀っているそうです。
この本殿は1647年の建立で、五間社流造(桁間5間、梁行2間)となっているそうです。

・御神樹の「ナギの木」です。
樹高19.5m、幹の周り2.5mで府下最大の巨樹となっており、平成15年(2003年)1月31日大阪府の天然記念物に指定されています。

ナギの木は一般に御神木として神社に植えられることが多く、特に紀州では熊野権現に因んで権現と言う社名の神社に植えられているといわれています。
「信達神社」は江戸時代に「金熊寺権現(きんゆうじごんげん)」と称されていたことから、御神木としてこのナギの木が植えられたようです。