今日は「二月堂のお水取り」の由来について調べました。
「二月堂のお水取り」の由来
東大寺二月堂の「修二会」とは、正しくは「十一面悔過」といい、東大寺の二月堂の本尊「十一面観世音菩薩」に、僧侶たちが世の中の罪を一身に背負い、一般の人々に代わって苦行を引き受ける者となって苦行を実践し、国家安泰などを祈る祈願法要です。
一般に「お水取り」と呼ばれているこの行事は、今年(平成22年)で1259回目を迎え、奈良時代から一度も中断することもなく続けられているそうです。
この行法はもともと旧暦の2月1日から2月14日まで行われていた行事で、2月に修する法会であることから「修二会」といわれていますが、現在は太陽暦を採用しているため、3月1日から3月14日まで二月堂でおこなわれています。
「修二会」の由来については、天平勝宝3年(751年)10月東大寺の実忠(じっちゅう)和尚が奈良の東、笠置の山中竜穴の奥で、菩薩たちが行っていた有り難い行法を拝観して、これを地上に移そうとして二月堂を建てて、始めたのが始まりといわれています。
そして、菩薩たちが行っていた有り難い行法を人間界でもやりたいと神に頼みましたが、天上界の一昼夜は人間界では400年に相当すると言われて断られたため、それならば行堂を走ることによって時間を縮めるということにして許しを得たとされ、そのことが「走り行法」の謂れと伝えられているようです。
「お水の由来」
実中(じっちゅう)和尚が「十一面悔過」法要中に全国の神の名前を唱えて勧請したとき、若狭の国の「遠敷明神(おにうみみょうじん)」だけが遠敷川で魚を取っていたため遅刻しました。
その責任をとって明神が「遠敷川から水を贈る」と言い、お祈りをしたところ、地中より2羽の白と黒の鵜が飛び立ち、そこから聖水が湧き出したと伝えられています。
この跡が閼伽井屋(あかいや・別名:若狭井)になったといわれており、ここから汲み上げる水が香水とされ、行事に使用されています。
・東大寺二月堂の「修二会」の行事の一つ「お松明」です。(ウィキペディアより)
「修二会の主な行事」
・「お水取り」
お水取りの行事は、選ばれた東大寺の僧侶11人が、世の中の罪を一般の人々の代わりに背負って、十一面観音に懺悔し、国家安泰を祈願するもので、3月12日の深夜から13日の未明にかけて行われ、堂前の若狭井の井戸から香水を汲み上げる行事です。
この香水は本尊十一面観音に献じられ行の中でも使われます。残りの香水は参詣者にも分けられるようです。
・「お松明(たいまつ)」
3月1日から14日までの「修二会」の期間中毎日行われます。
大松明を持った童子が観客の頭上に火の粉を散らしながら舞台を走り抜け、その「お松明」の火の粉を浴びると健康になるとか幸せになると信じられています。
・「達陀(だったん)」
だったん帽とよばれる帽子を被り、法螺貝や金剛鈴が鳴り響く中を、松明を持った「火天」と、灑水器(しゃすいき)を持った「水天」が相対し、内陣が炎と煙に覆われる
行事です。
*達陀(だったん)とは「焼く」と言う意味の梵語だそうです。心の穢れを焼き尽くし、新しい水で浄化し、新しい春の始まりとされているようです。
・「達陀帽(いただかせ)」
達陀の行法で用いた金襴の帽子を幼児にかぶせ、災難を受けず、賢い子に育つようにと願う人気の行事で、最終日の翌日15日に行われます。
・「走り行法」
二月堂のお水取り」の由来「南無頂上」「南無最上」と唱えながら礼拝行道することから始まり、次第に速度を速め、あらん限りの猛スピードで呪文のようなつぶやきを唱えながら走り、五体板に膝を打ち付けます。