らいちゃんの家庭菜園日記

家庭菜園、家庭果樹栽培及び雑学日記

「彼岸」の由来と行事

2010-03-18 | 季節
今日3月18日は雑節の一つ、「彼岸の入り」です。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われており、この日とともに本格的な春の到来となります。
そこで、今日は「彼岸」の由来と行事について調べました。

「彼岸」とは、仏教の世界で、煩悩を脱した悟りの境地ことを言い、私たちが生きている俗世間を「此岸(しがん)」と言うのに対し、川の向こうの悟りの世界を「至彼岸」略して「彼岸」と言っています。

春の「彼岸」は、春分の日の「中日」を挟んで、3日前が「彼岸の入り」、3日後が「彼岸の明け」となります。
この期間に行われる仏事のことを「彼岸会(ひがんえ)」と言い、その始まりは806年(大同元年)に桓武天皇が日本で最初に「彼岸会」を行ったとされています。
しかし、その「彼岸会」は先祖供養ではなく、藤原種継の暗殺事件に連座したとして疑いをかけられた天皇の皇子で「早良親王(さわらしんのう)」(後に崇道天皇)のために、詔(みことのり)として始められたものと言われています。

この「彼岸会」が庶民の間に広まるのは江戸時代に入ってからですが、いつしか生を終えて逝った祖先を供養する慣わしとなり、現在のような先祖の霊を敬い、お墓参りする仏教行事になったようです。
この仏教行事は日本独自のもので、他の仏教国にはないそうです。

「彼岸の習慣」
・「ぼた餅とおはぎ」
 *「ぼた餅」  春の彼岸に作り、小豆の粒をその季節に咲く”牡丹”に見立てたのが「ぼた餅」です。
 *「おはぎ」  秋の彼岸に作り、小豆の粒を秋に咲く”萩”に見立てたのが「おはぎ」です。
          「ぼた餅」も「おはぎ」も基本的には同じもので、春には豊穣を祈って「ぼた餅」を、秋には豊穣に感謝して「おはぎ」を神様に捧げたものでしたが、
          仏教の影響を受けて彼岸に食べるものとして定着したようです。

・「お墓参り」
 墓参りは、彼岸の期間中であればいつ行っても構わないそうです。
 当日は花、線香、ろうそく、彼岸団子(ぼた餅など)、マッチ、数珠、故人の好きだった物などを持参します。
 礼拝は故人と縁の深い人から順に行い、墓石にひしゃくで水をかけて合掌します。 
 家庭の仏壇もきれいに掃除をし、花を生けてぼた餅などを供えます。

・「初めて彼岸を迎える場合」
 彼岸の入りの前までに仏壇仏具をきれいにし、お花や供物を供えます。彼岸の中日には彼岸団子(ぼた餅など)を備え線香をたきます。
 また、出来るだけ僧侶を招き、読経をしてもらいます。家族やごく親しい人で行い、それ以外の人は招待する必要はありません。


(一言メモ)
・雑節とは、主に生活や農業に照らし合わせて、一年間の季節の移り変わりをより的確につかむことができるようにつくられたものです。
 二十四節気を元に定められたもので、古くから日本人の生活の中に溶け込んで、年中行事や民族行事となっているものが多く、馴染みが深くなっています。