今日8月24日は、「ポンペイ最後の日」です。
ポンペイは西暦79年8月24日、イタリアナポリ近郊のヴェスヴィオ火山が突然噴火し、麓のポンペイの市街が約8メートルの火山灰により埋没しました。
1738年に農夫がこの遺跡を発見、発掘により当時の町の様子がそのまま出現したことからイギリスの歴史小説家リットンがこの大噴火を題材にして『ポンペイ最後の日』の小説を書き上げたそうです。
そして、その小説をもとにした映画『ポンペイ最後の日』は、ローマ帝国の町ポンペイを舞台に、正義と悪の相克、様々な立場の登場人物たちの行動を経て、最後に火山の大爆発によるカタストロフ(地殻の激変)によって幕を下ろすストーリーとなっているようです。
私は映画は観ていませんが、昨年イタリア旅行した時に世界遺産のポンペイ遺跡を見学してきたので改めてその一部をご紹介します。
「ヴェスヴィオ火山」
紀元後79年8月24日の大噴火が有名であり、この時の火砕流でポンペイ市を埋没させました。以後、数十回の噴火を繰り返しているそうです。
嘗ては3000mを超える火山だったそうですが、度々の噴火で山が削られ、現在は1281mになっています。
1880年には山麓から火口まで登山電車が開通しました。これを記念して作られた歌がよくご存じの『フニクリ・フニクラ』です。
・これがポンペイの町を火山灰で埋没させた「ヴェスヴィオ火山」です。手前の遺跡はジュピター神殿跡です。(2012年3月撮影)
「大噴火で亡くなった人のレリーフ」
ヴェスヴィオ火山の大噴火に伴い、発生した二酸化硫黄や硫化水素などの有毒ガスによって、ポインペイでは多くの人が亡くなり、膨大な量の火山灰が降り、人々の上に積りました。
長い年月が経つと、人間や動物の肉体は腐食し、微生物による分解でなくなります。その結果、火山灰の中が空洞化します。
考古学者等はそこに石膏を流し込み、石膏が固化した後、火山灰を取り除くことで人や動物のレリーフができあがります。
この方法によって、往年の人々の顔の表情や容姿、衣服から装飾品までがレリーフで再現されているのですが、その数は1200体に上ると云われています。
・大噴火で亡くなった人のレリーフです。(2012年3月撮影)
「車道と歩道」
・2000年前にすでに車道と歩道が設けられ、通りの両側には家や商店が立ち並んでいたポンペイ遺跡です。