「生き馬の目を抜く」という恐ろしいような表現があります。
でも、表現ほど恐ろしいものではなく、その意味は、すばしっこく人を出し抜き、抜け目がなくて油断できないさまをたとえて言っているものです。
この表現は故事などから生じたのではなく、素早く物事をすることを「生きた馬の目ですら抜き取ってしまうほど早い」と例えた表現なのだそうです。
「馬の目」と例えられた理由は、類句に、「生き牛の目を抉(くじる)」があって、人との関わりが深い動物であったからと考えられているようです。
そして、牛よりも馬の方が足が早く、目を抜くことがより難しそうであることから「生き牛」よりも「生き馬」が一般的に使われるようになったということです。
生き馬の目を抜くほど、素早く事をするさまは良しとしても、他人を出し抜いて素早く利を得るさまは如何なものでしょうか?
それにしても、牛も馬も人間と関わりの深い家畜ですが、その家畜の目を抜いたり、抉(くじ)たりととんでもない表現をしたものですね。