白虎隊
一昨年の大河ドラマ「八重の桜」では、幕末のジャンヌ・ダルクと言われた山本八重(後の新島八重)を演じた綾瀬はるかが会津城(鶴ヶ城)に籠城し、スペンサー銃を持って新政府軍に応戦するシーンが印象的でした。
その戦は1868年1月に始まった戊辰(ぼしん)戦争です。
慶応4年(1868年)1月、幕府軍の軍艦2隻が兵庫沖に碇泊していた薩摩藩の軍艦を砲撃したことから始まった戊辰戦争は、薩長連合による新政府軍と旧幕府軍が鳥羽伏見の戦いから本格的な戦闘状態になりました。
その後、戦火は全国に広がり、江戸城の無血開城を経て、戦闘は宇都宮から東北へ、そして北海道の函館戦争で榎本武揚らが新政府軍に降伏して、1869年(明治2年)5月18日に戊辰戦争が終わりました。
・鶴ヶ城です(平成8年10月に撮影、以下、画像は同日撮影です)
戊辰戦争の戦火が会津に拡大して、会津藩が降伏するまでの1ヶ月間(8月22日~9月22日)は会津戦争と言われています。
そして会津戦争が始まった翌日の1868年(明治元年)8月23日には、あの有名な白虎隊の悲劇が生れました。
会津藩では軍を年齢により白虎(17歳以下)・朱雀(18歳~35歳)・青龍(36~49歳)・玄武(50歳以上)の4つの班に分けており、最年少の白虎隊は15歳から17歳までの少年で編成されていました。
会津藩等の奥羽越列藩同盟が官軍と戦闘状態に入ると白虎隊も実戦に参加し、越後戦争や会津戦争で死闘を繰り広げていました。
・鶴ケ城から見た飯盛山です。 手前の色の濃い小山が飯盛山です。(平成8年10月に撮影)
1868年(明治元年)の8月23日、飯盛山にいた白虎隊の士中二番隊員が、城下の町に火の手が上がったのを会津城が落城したものと思い、20人の隊員全員が自刃したものです。
今日8月23日はその白虎隊が自刃した日です。
白虎隊の少年たちはここからお城が炎上しているのを見て「もはやこれまで」と思い自刃しました。
しかし、その時点では、まだお城は炎上しておらず、武家屋敷の炎上をお城と勘違いしての自刃だったそうです。
・飯盛山からの見た鶴ケ城の眺めです。(中央ポールの向こうにお城が見えます)
・「白虎隊」自刃の地がある飯盛山の登り口です。
・「白虎隊」自刃の地です。 白虎隊の少年たち20名はここで自刃しました。
・自刃した白虎隊十九士の墓です。 ここを訪れる人たちによって、今でも線香の煙が絶えません。