大阪城における真田幸村と江戸城における真田信之、何かパラレルになっているように感じられるのは私だけであろうか?
大坂城の最大の弱点は惣構えの外に広がる南側の台地であった。この台地に真田丸を構築して鉄壁の防御を敷いたのが真田幸村である。大坂冬の陣では、真田丸のさらに外側にある管制高地である篠山をめぐって攻防が繰り広げられていた。幸村は、罠を仕掛けて篠山をわざと敵に明け渡し、挑発して真田丸を攻撃させ、大損害を与えたのだった。
江戸城の惣構えである外堀の工事が行われたのは、大坂の陣から20年の後、徳川家光の治世である寛永年間であった。江戸城の最大の弱点である西側台地の掘削工事を、あえて真田幸村の兄の信之に割り振った公儀側の思惑は何だったのであろうか? . . . 本文を読む