代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

関税と農業保護が必要な二つの理由

2011年01月11日 | 自由貿易批判
 菅首相が「平成の開国」などというおバカな主張を政権の重要課題に掲げ、6月までにTPP参加の是非を決定するなどと愚かなことをいうもので、どうしてもこの問題を書かざるを得ません。日本を「開国」せなばならないということは、今まで「鎖国」していたとでもいうのでしょうか? 驚くべき常識外れといえるでしょう。首相は財界と米国と財務官僚にシッポを振ってさえいれば政権を維持できると踏んでいるのでしょうが、それじゃ小泉首相の政権戦略と同じです。小泉政権をあれだけ批判していたのはどこの誰でしたっけ?

 そもそも日本ほど貿易が自由化され、市場が開かれている国も少ないことを首相は認識しているのでしょうか。農産物の平均関税だって、インドは平均124%、韓国62%、輸出競争力のあるブラジルすらが35%、EUは平均19%、中国は15%です。では皆さん、日本の平均農産物関税率はどれくらいだと思いますか? 
 日本はたったの12%です。日本は農産物関税も世界でもっとも低い水準です。これほど徹底的に貿易を自由化してきているのに、この上、何をどう自由化しようというのでしょう。

 不勉強なマスコミは、「日本は高関税で過保護にしてきたから、逆に農業の衰退を招いた」と主張します。ではなぜEUもアメリカも農業補助金の大判ぶるまいで、日本以上に農業を過保護にしているのに、農業に輸出競争力があるのでしょうか? 彼らは基本的な事実関係すら捻じ曲げて、論理もへったくれもない愚劣な主張を高圧的に読者に押し付けているだけなのです。

 懸念されている食糧危機を回避するためにも、今こそ農産物関税率の上昇と食糧自給率の維持を国家主権の問題として世界各国に認めねばなりません。日本のみならず、中国やインドも含め、世界各国にその権利を認めねばならないのです。もちろん輸入したい国は関税を引き下げるのも自由とすべきです。しかしながら、特に農業に関する限り、国内農業を保護したい国の自由を奪ってまで、無理やり「自由」化を押し付けてはいけないのです。これほど不自由な話はありません。
 この間の米国が、中国とインドという二大人口国に農業貿易の自由化を押し付けてきたことが、2008年の途上国の食糧危機を招いた直接の原因でした。(マスコミは一切そのような観点を報道しませんでしたが)
 
 一昨日(2011年1月9日)の『日本経済新聞』に、大塚啓二郎氏(政策研究大学院大学教授)が「深刻化する食糧不足」という論文を寄稿していました。中国がこのまま食糧輸入を増加させていけば、「世界的食糧危機は不可避である」と論じています。その主張自体は支持しますが、中国農業に対する彼の見解はとてつもなく不適切です。大塚氏は以下のように書きます。

***『日本経済新聞』(1月9日)大塚啓二郎「今を読み解く」*****

(前略)
 中国の農家規模は極端に小さく、労働を多く必要とする。ところが現在、賃金が急上昇しており農業の生産費が増大している。それを防ぐためには、経営規模を拡大して労働を節約するように大型機械を導入する必要がある。しかし農地に対する私的所有権のない中国では、農地の売買は不可能である。そのため、日本農業のように非能率な小規模農家を温存させてしまう危険がある。そうなれば、中国は穀物の大輸入国となって世界の穀物価格を押し上げる。
(後略)

********************

 この大塚氏の理屈からすると、中国が農地に私的所有権を付与して農業経営の大規模化を推進すれば中国は食糧自給を維持でき、世界的な食糧危機は発生しないということになります。
 しかるに彼は、中国が農産物関税を引き上げて外国産穀物に対抗し、小規模農家を保護して食糧自給を維持するという選択肢は、可能性すら一顧だにしません。現実には、まさに後者の方策が必要とされている時代なのです。

 私は著書でも論文でもブログでも一貫して「中国は農地の集団所有制度を維持すべきだ。その上で同国は高関税で国内農業を保護すべきだ。それが中国および世界の安定と平和にもっとも寄与する策だ」と論じてきました。

 大塚氏が示唆するように、中国が農地の私的所有を認め、大規模化に乗り出したら世界はどうなるでしょうか。これこそまさに世界中の農民と労働者の双方にとって悪夢なのです。以下に書く悪夢が起きるから、中国とインドは決して農業を自由化してはならないのです。
 中国が農業を自由化し、農地に私的所有権を認めた途端、零細農家が破滅し、土地を失い、農村からさらに数億人の元農民が拠るべきところを持たない不安定なプレカリアートの大群となって、都市に押し寄せてくることになります。せっかく中国の労働者の賃金水準は上昇してきたというのに、大量のプレカリアートたちの流入は中国の賃金水準を再び打ち砕き、下方に押し下げるのです。

 それが何を意味するのか。その中国と競争を強いられる日本やEUや米国の非正規労働者の賃金水準がさらに引き下げられ、雇用は不安定化し、ささやかな生活向上の夢を打ち砕くのです。中国の賃金水準が上昇を始めたということは、先進国の労働者にとってはまさに朗報でした。その朗報を、農産物貿易自由化という愚策によって打ち砕いてよいわけがないのです。
 そんなことをしているから、賃金と雇用の不安定化を強いられた日中双方の労働者がますます殺気だってきて、不満のはけ口を外に求めるようになって尖閣で起きたような問題が起きるのでしょう。この状況なのに、この上TPP参加とはいったい何事でしょう。おバカもいい加減にして下さい。

 このように農産物貿易自由化という問題は、単に、食糧問題や農業問題のみで語ってはいけないことになります。その帰結であるところの労働者への打撃、さらにはその先にある排外主義の嵐の発生がまさに大問題なのです。 
 中国やインドが食糧輸入大国になれば、世界的食糧危機は不可避です。それを回避するための手段として、次の二つの選択肢があったとします。

(1)中国やインドで非効率な小規模農民を淘汰し、農地の大規模化を進めて競争力をつける。
(2)中国やインドが高関税で国内農業を防衛し、小規模農家の農業経営を保護する。

 この二つの方策のうちどちらが優れているかは、火を見るより明らかでしょう。(1)の方法は、そもそも食糧危機を回避するという目的を達する効果も大して期待できない上に、世界の労働者に爆弾を投げつけて賃金水準を一層破壊するという、まさに「大量破壊兵器」といえます。(2)の方策であれば、確実に食糧危機の回避に貢献し、さらには世界の労働者の雇用条件を安定化させるという二重の福音をもたらします。

 効率化のドグマを絶対視する経済の「専門家」には、そうした事実が全く目に入ってこないのでしょう。大学で教養教育が軽視されるようになってから、広い視野でものごとの是非を論じることができる学者がますます少なくなりました。狭い特定分野の、しかも新古典派のような偏狭で誤った学問的知識しか持たない一般教養の欠如した専門バカと御用学者が増えていることが、世界の危機をさらに増幅させています。

 私は長らく中国の貧困山村で調査を行ってきました。私が調査していた貴州省の村から出稼ぎに出て行った人々は、リーマンショックで仕事を失い大勢が帰村してきました。しかし中国では農地の私的所有が禁止され、農民には農業経営権を保障されているがために、世界恐慌のような事態になっても、村に帰ればどんなに零細でも農業ができ、少なくとも野垂れ死ぬようなことにはならないのです。これこそ究極のセーフティネットといえるのではないでしょうか。

 農業保護という策は、単に食糧安全保障問題の観点からのみ必要とされているのではありません。農業保護によって農村が健全に維持されていることは、不安定な製造業の雇用部門の緩衝機能を果たします。非常時の失業者の吸収機能の上でも必要とされているのです。

 ちなみに中国では農地も林地も村の集団所有で、私的所有が禁止されているから、中国では森林を投機対象にすることはできません。だから中国の資本家たちは森林に私的所有権がある日本の森林を買い漁り始めているわけです。
 マスコミの市場原理主義的主張によれば、中国人が日本の森林をすべて所有しても、市場原理に反しないのですから何も問題ではないはずでしょう。なのになぜ、あれほど熱心な市場原理主義の信奉者たちが、中国人による日本の森林所有に懸念を示すのでしょう? 

 私はもちろん反市場原理主義者なので、外国人であれ日本人であれ、まともな森林経営をする意志のない不在地主の森林所有には反対です。中国では里山的な森林はだいたい村の集団所有ですから、在地の村人が管理と経営に責任を持つことになります。中国人の森林買占めに懸念を抱くのなら、日本も少しは中国本国の土地制度を見習った方がよいのです。

 


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3 コメント

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たぶん (さわさき)
2011-01-18 18:00:38
TPP推進派の人は、ふだんスーパーで野菜を買ったりしないんでしょう。かなりの部分が外国産です。
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産業としての農業 (順天堂)
2011-01-27 15:19:26
はじめまして、いつも興味深く読ませていただいています。

仰ることは、ある意味正論だと思います。
ただし、日本が工業製品を輸出したいと思っているのと同様に、米国が農業製品を輸出したいと思うなら、そして米国が日本の工業製品にとって無視できないマーケットなのであれば、TPP参加も無視できないオプションと言えると思います。

ちなみに私はTPPを推進すればよいと思っていますが、スーパーでよく買い物もします。農業作物は高くても日本のものを買います。ただし畜産物系では輸入ステーキ肉も国産ブランド肉も買います。

消費者が選択するのではいけませんか?

「世界恐慌のような事態になっても、村に帰ればどんなに零細でも農業ができ、少なくとも野垂れ死ぬようなことにはならないのです。」というのは本当でしょうか?

長男だけが家督を相続し、次男は無一文で放り出される社会の再来になるのではないでしょうか?

サラリーマンが職を失っても農業をやってれば食える、農業はそんなにあまいものなのでしょうか??

菅政権が選ぶ前に、我々日本人はすでに、そちらの方向に進むことを選択してしまっているのではないでしょうか?
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順天堂さま ()
2011-01-28 07:09:31
 コメントありがとうございました。TPP問題、ぜひ当面の日本の輸出振興という観点のみでなく、50年先、100年先をも見据えた多角的な視点で検討していただきたく存じます。

>そして米国が日本の工業製品にとって無視できないマーケットなのであれば

 TPPに参加しようがしまいが、日本の輸出先としての米国の地位は長期的に低下の一途でしょう。
 米国は、これまでは輪転機を回して貿易決済できたのでいくらでも購入できましたが、今後それは不可能になります。基軸通貨としてのドルは終焉するでしょう。
 私たちは紙キレをもらっていただけで、実体のあるものを対価として受け取っていたわけではありません。
 貿易相手国としては、実体のある国々をパートナーとして選択するのが賢明なのであって、「虚」の米国市場にこれ以上しがみつこうとすべきではありません。

>消費者が選択するのではいけませんか?

 お金のある方々には選択の自由がありますが、残念ながら貧困層はその是非の検討の余地もなく、安いものに流れるしかない状況に追い込まれております。

>「世界恐慌のような事態になっても、村に帰ればどんなに零細でも農業ができ、少なくとも野垂れ死ぬようなことにはならないのです。」というのは本当でしょうか?

 中国の事例ですが、本当のことです。村に戸籍がある限り、村に帰れば農地の経営権は保障されています。失業して都市に残ったまま野たれ死ぬことにはなりません。むろん中国も、農産物の自由化を進めていけば村に帰ってもやはり野たれ死ぬという事態になるわけですが・・・。

>長男だけが家督を相続し、次男は無一文で放り出される社会の再来になるのではないでしょうか?

 日本の場合、この少子化のご時世ですから、その心配はないかと存じます。

>菅政権が選ぶ前に、我々日本人はすでに、そちらの方向に進むことを選択してしまっているのではないでしょうか?

 確かに、これまでの日本はその方向を選択してしまったと思います。しかし、これからは方向転換せねばならないと思います。歴史の教訓からいけば、自由市場主義と対外拡張主義の信長・秀吉路線から、内需と内政安定重視の家康路線への転換です。
 リーマンショックでようやく市場原理主義の呪縛から逃れたと思っていたのですが、2年で忘れ去り、また懲りずに市場原理主義を叫びだすようでは、天罰が下るのは間逃れないと思います。つまり、リーマンショックの比ではない世界大恐慌と世界資本主義システムの崩壊です。 
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