上位下達の命令には絶対服従を強い、私を滅して奉公する忠実なる臣民の育成を理想とし、部下には思考を停止して上に従うことを強制しながら、指導者がどんな失態を犯しても決して責任を取らず、見苦しくウソをついて逃げおおせるという点で、安倍内閣と日大首脳部の類似性を指摘する声は高い。
安倍内閣と日大の共通点はルーツが同じという点に行き着かざるを得ない。
日大の学祖は吉田松陰門下の長州藩士・山田顕義であり、山田は終生松陰を尊敬し続けた。安倍首相も吉田松陰を尊敬し、伊藤・山縣・品川・山田など松陰の弟子たちが築き上げた明治の精神の復活を理想としていることは周知の事実であろう。
ウィキペディアの日本大学の項目には、日大の母体は「国家神道を確立するべく、皇道を広く国民に教化し、神職資格を与える養成機関として発足した皇典講究所」とある。まさに長州が生んだ「国家神道」の精神を、あまねく「臣民」に植え付けようとしたのが建学の原点なのである。
「相手のQBをつぶせば試合に出してやる」と言われ、自ら「志願」して突撃した宮川選手の心理状態を、神風特攻隊に自ら志願していった兵士たちの心理と重ね合わせる意見もツイッターなどで散見された。まさに教育勅語が理想とした「臣民」の姿である。
指導者や上司が誤った指令をすれば、「個」としてそれに抵抗し、論理的に反論できる自立した個性を育てるのが、本来の教育の使命である。しかしながら長州レジームは「滅私奉公」の精神を強要する。
監督の意に従わない選手を干し、理不尽な指令に従えば、また試合に出すという行為を繰り返していたという内田監督。干されることへの恐怖から、正常な感覚がマヒしてしまい、理不尽な要求に従ってしまった宮川選手。
長州レジームは、個人としての考えをマヒさせ、監督の命令に絶対服従するような人間を育成しようとしている。
小学校6年生の道徳教科書の教材に「星野くんの二塁打」という素材があるそうだ。私も最近知ったのだが、まさに内田監督や安倍首相が好むような、指導者への絶対服従の精神を培養するための教材だ。
チャンスに打席が回ってきた星野君。監督はバントのサインを出した。しかし、ピッチャーは星野君が打てそうな好球を投げてきたため、「これは打てそうだ」と考えた星野くんは強振した。結果は二塁打。この一打がチームに勝利をもたらした。しかし監督はサイン無視の星野くんを怒り、星野君の一打で出場を決めた大会に、星野君が出場することを禁止してしまう。
監督は「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」と言った・・・。
「星野くんの二塁打」という教材に関しては、以下のブログに掲載されているので参照されたい。
https://blogs.yahoo.co.jp/kirigamiya_greeny/15082808.html
「星野くんの二塁打」の精神は、まさに教育勅語の精神であり、容易に指導者への絶対服従を強要する組織に行き着く。それは社会をよくするどころか、社会を滅ぼすことつながる。それは必然的に、指導者の慢心を生み、指導者が誤った判断を下すことにつながり、なお誰にもそれを止められなくなるという弊害をもたらすからだ。その弊害は、日大アメフト部から、無謀な作戦を繰り返して国を滅ぼした大日本帝国の軍部にも共通するのだ。ひいては長州レジームの失敗といえる。
安倍内閣・日本会議、すなわち長州レジームは、道徳教育を通して日大アメフト部のような組織をつくることを称揚しているのだ。
安倍内閣と日大の共通点はルーツが同じという点に行き着かざるを得ない。
日大の学祖は吉田松陰門下の長州藩士・山田顕義であり、山田は終生松陰を尊敬し続けた。安倍首相も吉田松陰を尊敬し、伊藤・山縣・品川・山田など松陰の弟子たちが築き上げた明治の精神の復活を理想としていることは周知の事実であろう。
ウィキペディアの日本大学の項目には、日大の母体は「国家神道を確立するべく、皇道を広く国民に教化し、神職資格を与える養成機関として発足した皇典講究所」とある。まさに長州が生んだ「国家神道」の精神を、あまねく「臣民」に植え付けようとしたのが建学の原点なのである。
「相手のQBをつぶせば試合に出してやる」と言われ、自ら「志願」して突撃した宮川選手の心理状態を、神風特攻隊に自ら志願していった兵士たちの心理と重ね合わせる意見もツイッターなどで散見された。まさに教育勅語が理想とした「臣民」の姿である。
指導者や上司が誤った指令をすれば、「個」としてそれに抵抗し、論理的に反論できる自立した個性を育てるのが、本来の教育の使命である。しかしながら長州レジームは「滅私奉公」の精神を強要する。
監督の意に従わない選手を干し、理不尽な指令に従えば、また試合に出すという行為を繰り返していたという内田監督。干されることへの恐怖から、正常な感覚がマヒしてしまい、理不尽な要求に従ってしまった宮川選手。
長州レジームは、個人としての考えをマヒさせ、監督の命令に絶対服従するような人間を育成しようとしている。
小学校6年生の道徳教科書の教材に「星野くんの二塁打」という素材があるそうだ。私も最近知ったのだが、まさに内田監督や安倍首相が好むような、指導者への絶対服従の精神を培養するための教材だ。
チャンスに打席が回ってきた星野君。監督はバントのサインを出した。しかし、ピッチャーは星野君が打てそうな好球を投げてきたため、「これは打てそうだ」と考えた星野くんは強振した。結果は二塁打。この一打がチームに勝利をもたらした。しかし監督はサイン無視の星野くんを怒り、星野君の一打で出場を決めた大会に、星野君が出場することを禁止してしまう。
監督は「ぎせいの精神の分からない人間は、社会へ出たって、社会をよくすることなんか、とてもできないんだよ」と言った・・・。
「星野くんの二塁打」という教材に関しては、以下のブログに掲載されているので参照されたい。
https://blogs.yahoo.co.jp/kirigamiya_greeny/15082808.html
「星野くんの二塁打」の精神は、まさに教育勅語の精神であり、容易に指導者への絶対服従を強要する組織に行き着く。それは社会をよくするどころか、社会を滅ぼすことつながる。それは必然的に、指導者の慢心を生み、指導者が誤った判断を下すことにつながり、なお誰にもそれを止められなくなるという弊害をもたらすからだ。その弊害は、日大アメフト部から、無謀な作戦を繰り返して国を滅ぼした大日本帝国の軍部にも共通するのだ。ひいては長州レジームの失敗といえる。
安倍内閣・日本会議、すなわち長州レジームは、道徳教育を通して日大アメフト部のような組織をつくることを称揚しているのだ。
※「日大アメフト反則問題」(山下奉文陸軍大将の遺言より)
https://www.youtube.com/watch?v=6OjDVpWRa2E#t=26m42s
①日本軍将兵の忠誠について②日本の婦人の貞節について
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小生は安倍内閣と日大に限らず日本の全体がそうだと感じており
よく一般的にも「正直者が馬鹿を見る」と言われていますけれども
(特殊法人のNHKの問題ですら未だに何にも解決してませんが)
関さんは大日本帝国陸軍の山下奉文大将の遺訓と言われる
上記二つの話については今どんな感想をお持ちでしょうか?
滝季山影一さんのツイート
https://twitter.com/ETakiyam/status/986401003539869696
Yashu_sanのツイート
https://twitter.com/yash_san/status/986154472240963584
この物語は戦後早い時期に「民主主義の教材」として登場したようです。要は、「みんなで決めたことは守らなくてはならない」みたいです。
「みんなで決めた作戦」と言ってもほとんど監督が一人で決めたのでは?やはり「服従しろ」に他ならないと思います。
「ぎせいの精神」で小学校の担任が好きだった斎藤隆介の童話を連想したのですが、斎藤隆介の主人公たちは単なる服従をする人たちではありませんでした。
たまたまBSで日高敏隆さんの子供時代と蝶の話をやっていたのですが、ひ弱だったり軍事教練が嫌いな子供は容赦なく「死んでしまえ」と言われるのでそういう時代がまた来ると思うと怖いです。
https://diamond.jp/articles/-/171131?page=2
長州が日本人の心を弱くしている・・。
失礼しました。
数日前の「みんなのブログ」で拝見し、日大アメフトについての疑問点に大きく答えていただいたと感じました。
私の過疎ブログにこの記事をリンクさせていただきました、勝手に。
もし不都合でしたら、まことに勝手で申し訳ないのですが、ご一報くだされば、ただちにリンクを解除いたします。何分、よろしくお願いいたします。
ありがとうございました。
中にはまともなことも言っているかも知れませんが、あれだけいい加減なことを精査せずに平然と主張できる彼の態度には怒りがおさまりません。
というわけで、彼の主張をまともに読む気になりませんので勘弁してください。
ホンモノとニセモノを見極める必要があります。
返信遅れて申し訳ございませんでした。
「星野くんの二塁打」、もともと「みんなで決めたことは守らなくてはならない」という線後民主主義の原理を教える教材だったとは驚きでした。共産党も、実際には党の幹部が独断で決めたことも、みんなで決めたがごとく主張して、全党員がそれに従うのを当然視しますから、それもむべなるかなと言えますね。
私もブログで、上位下達と滅私奉公を正当化する点で、長州右派と長州左派の同質性を指摘してきましたが、星野くんの二塁打は、戦前の右派にも、戦後の労働運動を担った左派にも共通の美徳として映るのでしょう。
恐るべきこととです。