前の記事で紹介した『現代思想』6月臨時増刊号「明治維新の光と影」所収の論文、奈良勝司氏「明治維新論の再構築に向けて」も紹介したい。じつに興味深い内容であった。
奈良氏の主張の骨子は以下のようなものだ。
戦後歴史学を担った講座派マルクス主義による明治維新物語にせよ、高度経済成長を背景に影響力を持った近代化論にせよ、冷戦の終結とバブル崩壊後、共に時を同じくして無力化してしまった。その後は、時期と分野が細分化された過程実証主義の歴史研究が跋扈するようになった。しかし、物語不在な歴史研究は、最悪な物語にも劣る。明治維新論は、講座派理論や近代化論に代わる、新しい物語を再構築せねばならないのだ、と。
全く同感である。歴史研究が今のように重箱の隅をつつくだけの過程実証主義に終始しているから、最悪な物語である日本会議史観(=長州史観)の跳梁跋扈を許してしまっているのだと、私は思う。
奈良勝司氏の著作『明治維新と世界認識体系 ー幕末の徳川政権 信義と征夷のあいだ』(有志舎)は名著である。
昨今、巷に反薩長本、明治維新批判本があふれる中、それらがあまり専門的な内容ではないため、内容的に物足りないと感じている方々は多いのではなかろうか。
そんな方にお勧めなのがこの本である。それまで顧みられなかった一次史料を駆使しつつ、従来の歴史観を脱構築し、日本思想史の「新しい物語」を再構築しようと試みた内容である。
この本が「脱構築」しているのは、「知の巨人」とも評されるあの丸山真男の日本思想史解釈である。
丸山真男は、朱子学を、封建体制を支える教学であったと規定した。丸山によれば、封建イデオロギーの朱子学は時代に適合しなくなり、国学の台頭の前に敗れ去った。日本思想史における丸山の圧倒的な権威ゆえか、朱子学=封建思想という評価が定着してしまった。私もそれを信じてきた。
それに対して奈良氏は、昌平黌で正統朱子学を身につけた徳川政権のエリート官僚の思想の中に、「近代性」の芽を見い出している。朱子学主導の近代化の可能性もあったのだ。本書を読めば、昌平黌的な朱子学主導の近代化であれば、少なくとも国学主導の明治維新などよりは、よほど良好な結果を日本にもたらしたはずと思われる。
明治維新で権力を握った尊攘派が持っていたのは、奈良氏の言葉によれば「攘夷型の世界認識体系」である。それは根拠のない自尊意識と他者性の欠如をもって特徴とし、自国を「神州」、外国を「夷狄」と認識する。彼らは、国家間の条約の拘束力を基本的に信頼していないので、絶えざる恐怖にさいなまれ、恐怖心の裏返しとして、ひたすら暴力による膨張志向に陥ってしまう。彼らが攘夷を捨てて開国派になったように見えたのは当面勝てない相手には屈従したのみで、芯は変わっていなかった。その屈辱感からか、弱いと見た相手に猛然と襲いかかるようになり、攘夷思想が対アジア侵略思想に転化されていった。かくして、破滅に至るまでチキンゲームを繰り返すに至った。
本書によれば、昌平黌に君臨した古賀侗庵とその門下生たちは、西洋を「夷狄」と認めず、アジアを侵略対象とも見ず、自国を「神州」ではなく「本邦」と呼んできた。彼らは、国家間の条約の拘束力を評価しているので、軍備の充実は前提としつつも、条約を遵守し、対等な国家間関係を構築できると考えていた。昌平黌出身の徳川政権のエリート官僚たちが持っていたのは「条約遵守型の世界認識体系」だったのだ。
正統派朱子学の中の、こうした近代性を覆い隠してしまったとしたら、丸山真男という人は、ずいぶん罪作りなことをしたものだ。「戦後民主主義」を担った「知の巨人」たちの脱構築をしないことには、新しい物語の再構築はできないようだ。
①小室直樹氏によれば,日本人の「法」と「民主制」に対する理解は,キリスト教圏のそれと根本的に異なり,まったく異質であること。
②田中角栄裁判に①の問題点が象徴的に表れていること。
③「攘夷型の世界認識体系」が政権中枢および社会の諸層にいまなお,色濃く残っていることが,現今の奇妙な「無法状態」を招いている可能性があること。
,以上。
このような物語を日本国民全員が共有しなければならない。
そして、明治維新後の長州による支配が近年揺らぎ始めており、みんなで一気に倒さなければならない。
>「攘夷型の世界認識体系」が政権中枢および社会の諸層にいまなお,色濃く残っていることが,現今の奇妙な「無法状態」を招いている可能性があること。
まったく同感です。ただし、「可能性」の次元ではなく、「確実」といえると思います。
>イギリス・ロスチャイルドが長州を手先にして、フランス・ロスチャイルドが幕府を支援するふりをして
ロスチャイルドが決定的な役割を果たしているのかどうかは、私には現時点では判断能力はありませんが、「死の商人」たちが暗躍して薩長に勝たせようとしたことは確実な事実として共有されねばならないと思います。
関さん、教授ご昇任おめでとうございます。大変うれしく思いますとともに、安心いたしました。
☆☆☆
奈良勝司の当該論考は「明治維新と呼ばれる変革が、近代日本の出発点という位置づけと密接不可分であることは、あらゆる論者がその立場如何にかかわらず首肯するところであろう」と始まり、「既存の明治維新論が、・・・構造をなかなか包括的に捉えられない要因の淵源は、まさに明治維新自体のあり方に起因し、その影響下に再生産され続けている問題だとも言えるのである」と結ばれています。
勝手にまとめますと、講座派史観と近代化史観という物語の喪失のあと、明治維新論は;
(1)西欧の深刻な脅威に抗する「攘夷」が明治維新によって突如としてアジアに対する苛酷な「侵略」に変身した。攘夷と侵略が必要とする全住民の軍事動員のために武士と身分制が解体された。
(2)共同体の崩壊によって人びとがバラバラにアトム化してアイデンテティが失われた。アイデンティティを回復するために「近代的」家父長制と国家神道がつくられた。
(3)やがてすべての組織と団体、ゲゼルシャフトであるはずの会社までがアイデンテティを提供する共同体となって、人びとの帰属心と献身を強制する「延命を自己目的とする存在」となって国家破滅に至った。
ということに照準をあわせることができないために物語なき事実実証で充たされてしまっている、ということではないかと思います。
この事態を打開するカギは、近世史のなかに内在する近代へのダイナミズムを明治維新論が正面から認識することにある、それによる物語の再編をこころみるつもりである、と奈良勝司氏は言っておられると思います。
一瞬ふと(3)がモリカケ&海外派遣自衛隊文書隠蔽改竄による国家頽落腐朽からそのミニ版である日大騒動のことを言っているのかと思ったあと、怖ろしいことに現シンゾウアベ王朝は(3)から(2)そして(1)へという逆コースで、明治維新に至る150年をワープしようとしているのだと異様に納得してしまいました。奈良勝司氏がこのアベ式「物語の逆読み」の前に果敢に立ちふさがっていただくことを期待してしまいます。
冒頭の「始まりと終わり」の対比がおのずから導くものは明白だと思います。まず、明治維新は近代日本の出発点ではないこと。連続的主体的かつ内在的に変化しつつあった日本を、フェイク攘夷を叫ぶ長薩徒党が英国在アジア現地勢力を背景として、英国の世界最新の銃砲による武力で強引に簒奪したのが「倒幕維新」であること。彼らの支配のもとに文明開化という一方的欧米コピー化と、捏造された神代による文化伝統破壊、そして「前近代的」兵営国家化がおこなわれたのが「明治維新」であることです。
すなわち、天皇を玉に抱いた長薩のテロと内戦の暴力と続く私的な寡頭専制によって公議輿論による政治への流れを完璧に遮断廃絶した明治維新は、かけ値なく「反革命」でした。絶対主義どころの話ではありません。そして「戦後」の現アベ長州王朝は日本を明治維新化する衝動に駆られ続けているわけです。
明治維新がブルジョア革命であったかどうか、「上からの・・」であればどうか、という議論はいつしか下駄のどろ雪のように消えてしまいました。厖大な産業経済力を背景にしたエレクトロニクスを駆使する武力で明治維新大日本帝国をあえなく崩壊させた米国陸海空軍による直接占領によってこそ、「上からのブルジョア政治社会革命」がおこなわれたわけです。厖大な餓死を含む日本国民のおびただしい戦争犠牲の積み重なりの上に。
しかし初期の占領行政を主導したリベラル・ケインジアンの「ルーズベルト・ホィットニー路線」は、「上からのブルジョア政治社会革命」をかたちばかり実現したところで、チャーチルが演出した対ソ冷戦を恒久舞台とする反共戦争屋の「トルーマン・ウィロビー路線」による反革命に遭い、あえなく転覆されました。かろうじて労働三法や教育基本法の制定はなされましたが、国家権力のあり方と一体のものである刑法、そして民法、商法は明治期制定のものが現在に至るまで継続しているわけです。
なお最近になって、商法からはアメリカ新自由主義による会社法が独立し、教育基本法は改定され、例の「働き方改革」によって労働基準法が骨抜きにされていることはご承知のとおりです。ただし、明治維新以前の公議輿論のルーツに根を伸ばすことによって国民民衆にまもられた「日本国憲法」はのこり、「トルーマン・ウィロビー路線」の国内実動部隊としてCIAの指導と資金でつくられた自民党が「憲法改正は自民立党以来の悲願」として150年を戻して明治維新に至る反革命に従事しているわけです。
すみません、これは150年の物語というより目の前の現実そのものでした。
そこで、奈良勝司氏が「よくいわれるように、英語の『History』の語のなかには『story』の語が含まれ、またドイツ語の『Geschichte』は、歴史という意味に加えて物語という意味をあわせもつ」と述べて、歴史論のマクラにされていることに妙に興味を持って、手もとの三省堂新コンサイス英和辞典を見ましたら「his・tory」と区分けしてあって首をひねってしまいました。前半の「his」を生かしますと、もしや「his story」が歴史なのかも、たぶん、と。
見ましたら、ネット知恵袋に匿名で
「ラテン語:historia → 古期フランス語:histoire, estoire → 中英語:hisotori(e), histoir(e), estorie(←後ニ者の綴りは古期フランス語の流れを汲む為)、hisotiri(e), histoir(e)→→hisotry estorie→→story
という明快な流れが示してありました。
ヒストリィからストーリィが分化し抜け出したわけで、まずはじめに、権力の権威づけのための捏造としての歴史叙述『日本書紀』があり、古代中国では権力の権威づけのための事跡記録としての歴史編纂がなされ、伝説を含む歴史、つまり言語化された「歴史的事実」から、物語が生まれたわけです。
シェークスピアの作品はこのことをよく示しており、これに対して、海外の文学史研究者から世界最初の小説として称揚されていると聞く紫式部の『源氏物語』がいかに偉大であったか、同時期の、自由溌剌たる精神と感覚の横溢する清少納言の『枕草子』とともに、まさに驚異です。日本の平安期の女性たちが、イギリスのエリザベス女王(一世)治世下の天才的オッサンとくらべていかに素晴らしいか、というジェンダー差別的言辞を吐くつもりはありませんが。
「物語」ということから思い出しますのは、マイケル・ルイスが行動経済学( behavioral economics )を紹介した『 THE UNDOING PROJECT 』(2017年)の「 7 THE RULES OF PREDICTION 」が、文藝春秋刊の渡会圭子氏による和訳書で「第7章 人はストーリーを求める」と訳されていたことです。そして和訳版には原著にはない次のような要約説明が付されていました。
「歴史研究家は偶然にすぎない出来事の数々に、辻褄のあった物語をあてはめてきた。それは、結果を知ってから過去が予測可能だったと思い込む『後知恵バイアス』のせいだ。スポーツの試合や選挙結果に対しても、人の脳は過去の事実を組み立て直し、それが当たり前だったかのような筋書きを勝手に作り出す」
・・・と。
わずかながら経験した実務においては原因と結果の「因果」は逆転しており、つねに結果から原因を考えます。そして後知恵として発見されたその原因を変えることによって望ましい結果がもたらされると期待するわけです。が、ご推察のとおり、あらたな結果からはまたあらたな原因を考えなければならなくなるわけです。
マイケル・ルイスが紹介している天才心理学者エイモス・トヴェルスキーとダニエル・カーネマンの1972年の会話のメモから二つと、会計学者高寺貞男氏の『複雑系の会計学』(三嶺書房、1995年)の「まえがき」の書き出し部分を紹介します。
People predict by making up stories.
Man is a deterministic device thrown into a probabilistic Universe.
「会計は組織行動にまつわる(不確実性を決定論的に処理して)不確実性を縮減し、その表現不安定性を表現安定性に転化するために、期待や信頼という相互(共通)主観的要素に依存せざるをえない・・・」
・・・物語に向かう関さんの足を精いっぱい引っ張ろうとしているのがおわかりになりますでしょうか。おせっかいをご容赦ください。
このエントリーにあった返信の関さんのコメントに対して
過日投稿しました物は何がいけなかったのでしょうか?
>ストーリィと言えば「将来的発展、展望」のことであり、物語と言えばモリカケに海外派遣自衛隊現地記録まで当世はやりの「事実の歪曲に捏造」早い話がウソ、さらには妄想
この点、その通りかと存じます。私が迂闊でした。
確かに、既存の「明治維新物語」を批判しつつ、「新しい物語」と言ってしまっては、「新しいフェイクを生み出すつもりなの?」と勘違いされてしまいすね。訂正したいと思います。
「物語なき歴史研究は最悪な物語の台頭を許す」を「理論なき歴史研究は最悪な物語の台頭を許す」に代えたらいかがでしょうか? いまから表題代えられませんが、また別途訂正記事など書きたいと存じます。
歴史非決定論に立脚する「複雑系史観」でも、理論はあるので、「物語」でなく「理論」ということで。
>過日投稿しました物は何がいけなかったのでしょうか?
事実関係としてあまりに怪しい記述が多すぎ、許容できないことが多いのです。
例えば、掲載できなかった投稿に以下のような一節がありました。
***引用*****
ロマノフ王朝一家皆殺しの功績が明石元二郎と言えるでしょう
なんせユダヤ人のレーニンに対して
貴様はマルクスを解っていない等と
説教した逸話が残っていますしねw
***引用終わり******
明石元二郎がレーニンに「貴様はマルクスを解っていない」などと言ったとは思えませんし、そもそもそう言えるほど、明石元二郎がマルクスを読んでいたとは思えません。
ロマノフ王家皆殺しは明石元二郎の功績というのも論理が飛躍しすぎています。
レーニンをユダヤ人というのも、先祖に一人でもユダヤ教徒がいれば、皆ユダヤ人なのかという話で、それならヒトラーもユダヤ人なのかという話になってしまいます。
これらはほんの一例ですが、一つ一つの事実関係が怪しいところで、「ロシア革命=ユダヤ陰謀論」につなげるわけですが、検証不可能です。
検証不可能な壮大な陰謀史観を語るのではなく、確実な事実に基づいて論を展開して下さい。
「ロスチャイルドが何をした」という事実を書く分にはよいのです。事実ならば、陰謀史観などとご自身で言う必要もないはずなのです。
事実である根拠が薄弱なところで、壮大な陰謀史観を語るのは勘弁してもらえませんか。
また、Mr.Tさんがリンクしてくる「知識人」の主張内容が、私は全く共感できず、胡散臭く、信頼できない人々ばかりなのです。
また、コメント求められても、一つ一つの事実関係を精査することなど、私には到底時間的にありませんので、回答不能です。
歴史と物語について、赤松小三郎の『公的認知』に関連して来週にと書きかけておりましたが、それは措き大急ぎで感謝とお詫びを述べさせていただきます。拙速をご容赦ください。
ご提起いただいた「理論なき歴史研究は最悪な物語の台頭を許す」というタイトルについて奈良勝司氏ご自身に異存はないと確信します。
その観点から氏の『明治維新論の再構築に向けて』(「現代思想」2018年6月臨時増刊号)を見ますと、次のようにみごとに述べられていまして、さすがであると思いました。
「・・・理論は好き嫌いによって選んだり遠ざけたりできるものではなく、あらゆる自覚的な言説の根底に避けがたく含みこまれている」(同上号P170)
「しかし、・・・展望なき自己延命と空気感覚に安住したロジカルな研鑽の忌避(そこからの逃走)が常態化していたことは、・・・現実と理論の対話慣行を長きにわたり不在化し、・・・硬直化したことでなかば物神化した理論の瓦解を目の当たりにしたことは、・・・ある種一方的な攻撃に晒された理論を、自らの手と責任において、より良いものとして再編(再生)する作業への恐怖感・忌避感を過度に醸成したように思われる」(同P171)
「現代との関係性を当初から問われない知識の深化は、・・・自己目的化してしまい、・・・文脈が不在の分析は、・・・使い古された理論に容易に系列化される・・・」(同P171)
・・・と。
まったくつけ加えることはありません。このような知的怯懦は、人倫的頽廃が生み出すものであり、そこから怯懦と頽廃の相互作用が生みだされることは、小さくは自分自身みずからのあり方から痛いほど、また大きくはシンゾウアベ王朝の信じられないほど強力な人心支配にあきれつつ、重々よくわかります。
私の投稿コメントにおける「・・・それによる物語の再編をこころみるつもりである、と奈良勝司氏は言っておられる・・・」という箇所を撤回して氏に詫びなければなりません。
氏は『明治維新論の再構築に向けて』を「現代的価値に照らし合わせた際の・・・仮説をいかに説得的に提示できるか」が、<物語の再編>には必須となるだろう」(同P180)と結んでおられます。氏のキィは『仮説』つまり理論だったのです。早とちり誤読をいたしておりました。申しわけありません。
赤松小三郎の持つ、一貫した知的、人間的勇気を学ばなければならないと思います。