代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

文科省の選択 ―競争的補助金やめますか、それとも天下りやめますか?

2017年01月21日 | 学問・研究
 文科省官僚の早稲田大学への天下りあっせん問題。昨日(2017年1月20日)の『東京新聞』の一面トップで、民主党政権で一度減った天下りが完全復活し、さらに悪化すらしているという現状がスクープされた。

天下りは鳩山政権時に比べ2.3倍

 同記事によれば、国家公務員の年間天下り総数は、民主党への政権交代によって、2010年には前年比で半減の733件にまで減った。これこそ政権交代の最大の成果だったといえるかも知れない。しかし今ではもと通り。いやそれどころか、2015年度には政権交代前よりも逆に悪化して、天下り総数は1668件と、鳩山政権時に比べ2.3倍にまで増えているそうである。
 鳩山政権下では、国家公務員の天下りの温床になっている「早期退職慣行」をなくし、国家公務員には定年まで勤めあげてもらおうという改革がされようとしていた。それを実施すると霞が関官僚たちの生涯年収は激減し、国家公務員になることのうま味はなくなる。官僚たちは総力をあげて鳩山政権に抵抗を行い、早々に葬り去ってしまった。
 安倍政権になって、天下り慣行は、もと通りどころか、以前よりもさらに悪化してしまっていた。


『東京新聞』2017年1月20日朝刊


天下りの双璧は日大と早稲田


 文科省官僚の大学への天下り問題は、以前も東京新聞が報道して問題にされていたが、他紙は黙殺し、先日まで問題にされることはなかった。ようやく社会問題化され、文科省の事務次官の処分にまで至ったことに、「まだ日本にも自浄能力のかけらは残っていたのか」と、少し安堵するものを覚えた。
  
 以前から、文科省官僚の天下り先の双璧は、日大と早稲田だった。ちょっと古いデータで恐縮であるが、My News Japan の2010年1月の調査報道によれば(以下の表参照)、文科省の天下り先1位は日大で26人、2位は早稲田で24人、以前からこの二つの大学は三位以下を大きく引き離し、ダントツの天下りパラダイスであった。そして、この二大学の文科省からの補助金受給額も、以下の大学を大きく引き離し1、2位を独占してきたのだ。いうまでもなく、私学への補助金は国民の血税である。
 


出所)My News Japan http://www.mynewsjapan.com/reports/1181


 この記事では、ある私大が天下りを受け入れると、その私大への補助金も増え、「事実上、税金が役人の雇用対策に使われている」と分析する。文科省による日大と早稲田への破格の優遇ぶりを見ると、その通りであると言わざるを得ない。日大と早稲田の行為は、まったくもって破廉恥としか言いようがない。文科省次官に次いで、早稲田総長も早々に処分し、大学の膿を出し切るべきであろう。

競争的資金やめますか、天下りやめますか?

 文科省官僚たちは血税を私物化し、大学に対して文科省の言いなりになると補助金を多くつけるという「競争的資金」をエサにして、天下り先を確保しつつ、大学への締め付けを厳しくしてきた。
 文科省のバラまくエサである「競争的資金(補助金)」を確保したい大学側は、こぞって天下り官僚を受け入れるようになっていったのである。
 競争的資金が天下りの道具になるくらいであれば、大学への補助金にかんしては競争的資金制度をやめ、学生数で頭割りにして補助金を均等に配分した方がよほど良いといえるだろう。

 文科省は、「大学が教育や研究で創意工夫をしなくなる」と反論するだろう。しかし、実態としては、天下りをせっせと受け入れ、文科省に迎合した大学が「勝ち組」になるのである。文科省に操られるようになっているだけで、私立大学独自の特色や創意工夫など減衰しているといえるであろう。

 しかも競争的資金を管理するために、文科省は余計な人員をそれに配置しなければならなくなり、その経費も国民の血税なのだ。
 私大に関しては、学生数に応じて補助金を均等配分していけば、余計な行政コストはかからないから、文科省職員の削減も可能になり、無駄な血税も浪費されなくなる。大方の国民にとって、そちらの方がよほど良いだろう。

 文科省が、どうあっても、「大学の研究や教育に、競争や創意工夫を促すためにも、補助金の支給は競争的であるべきだ」と強弁するのなら実施の条件は大学への天下りの完全根絶であるべきだろう。競争的資金を管理する側が、受け入れる側である大学と何ら癒着関係がないことが保障されない限り、競争的資金の公正な配分など不可能であるからだ。

 ちなみに私個人の場合、研究活動を文科省の競争的資金に依存すると、文科省に提出する書類の量が際限なく増えていき、自由に思考する時間そのものが減っていくのがイヤだから、科研費の申請もしない。文科省に管理されるほど、研究のクオリティなど落ちていくのだ。
 



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2 コメント

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こんばんは (たにむらこうせつ)
2017-01-21 19:28:02
政治屋ってほんと恵まれています。
でも恵まれていることに感謝が出来ない。
感謝できれば天下りも無くなるでしょう!
みんなのブログからきました。
詩を書いています。
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同感です ()
2017-01-27 17:20:43
たにむらこうせつ様

>感謝できれば天下りも無くなるでしょう!

 同感です。文科省は、「自分たちの予算を大学にくれてやるんだから、言うことを聞け」と思っているようですが、それが国民の血税であることを完全に忘れているようです。税金払っている国民に対する「感謝」の二文字が彼らの辞書の中にはないようです。
 
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