代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

ノーマンの歴史観と長州史観の差異

2015年08月04日 | 歴史
 過日、薩長公英陰謀論者さんがハーバード・ノーマンの『日本における近代国家の成立』(邦訳、岩波文庫)を検討の上、追加の投稿をいただきました。紹介いたします。
 ノーマンの歴史観は、日本の左右の長州史観(講座派史観と長州=靖国史観)の明治維新賛美論と親和的なようにも見えるが、「人民民衆の生活への身の丈目線での共感」という点で、長州史観とは根本的に異なるのではないかという論点です。

 


****以下、引用******
http://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/d8f047c6cc085cc630e68b566017231f

ノーマンと明治維新にあらためて取り組むにあたっての仮説を報告します。 (薩長公英陰謀論者)2015-07-26 13:41:33

 昨日、ノーマンの「 JAPAN’S EMERGENCE As A Modern State / Political and Economic Problems of The Meiji Period 」が届きました。

 これからおもむろに紐解くにあたり、ノーマンについて難儀しておりましたことが関さんの指摘されたことによって氷解してゆきつつあることを感じて感謝いたしております。

 これからノーマンについてじっくり手間ひまをかけて見てゆこうとして、思いあたりました「仮説」は:

<仮説01>
 ノーマンの安藤昌益の生き方と思想への親和性によっておそらく示されているだろうように、彼のもっともおおもとにあったのは、40年間にわたり信州の農村に入り込んで伝道に挺身した宣教師の家庭に育ったことに根ざす(遠山茂樹「ノーマン史学の評価の問題(追記)」@岩波文庫『日本における近代国家の成立』;p376)封建時代から明治、そして戦後に至るまでの時代を通しての、日本の人民民衆の生活とその苦しみに対する共感、そしてそれと一体のものとしての、人民民衆に対するそれぞれの時代の支配者に対する一貫した鋭い視線であったと考えることができるのではないでしょうか。

<仮説02>
 ノーマンが安藤昌益を世に知らしめた『忘れられた思想家』において「いかに日本封建制といっても歴史家はそれを『人民』対『専制権力』というような単純な図式で割り切らないように気をつけなければならない」(遠山茂樹、孫引き、前同;p360)と述べたように、

 講座派流の教条主義史観から一線を画した歴史に対する柔軟な視線を持つがゆえに、「封建的地方割拠主義」から「全国的市場」への移行という民衆の要求をきわめて困難な条件から出発して文字どおり「曲がりなりに」であれ実現した明治維新の推進者に対してノーマンは<その限りで>賛嘆を惜しまなかったということなのではないでしょうか。

<仮説03>
 人民民衆の生活への共感というノーマンのコアが、関さんが指摘される「日本で生まれ育った内発的な左派思想」を彼のなかにおのずから形成し、それが戦後にGHQニューディーラー派の民主化路線と響きあって、民衆の生活の感覚と要求に響きあうかたちでの、軍国主義的特権官僚専制の解体、朝鮮戦争勃発前後までかと思われる日本の非・長州化の推進への尽力となったと考えることができるのではないでしょうか。

 ・・・・と、いうことで、ノーマンの史観のコア(本質)は「人民民衆の生活への身の丈目線での共感」であろうと考えます。これは左右をとわず長州史観が致命的に欠いているものであると思います。

 地を這う視線で身分制社会、武士支配を弾劾する安藤昌益の憤怒と同期同調するノーマンの史論をドライブするテーマである「近代的資本主義化」が、如何に長州史観の歴史視線と交錯しようが、講座派流・労農派流をとわず上から目線オンリーの夜郎自大と言うべき長州史観とは截然として異なるのではないかと。

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