長らくブログを放置しており、申し訳ございません。今月末(2024年3月末)に拙著『江戸の憲法構想 ー日本近代史の"イフ"』(作品社)が刊行されます。前回の松平忠固の本を出したのが2020年でしたので、ずいぶん長くかかってしまいました。江戸文化研究者の田中優子先生が本のすばらしい推薦文を書いてくださいました。
推薦:前法政大学総長・田中優子
「日本を、江戸時代からやり直したくなる。いや、やり直さなければならない。
強くそう思わせる、驚くべき著書だ。現代日本を見ていて「何かおかしい」と感じ続けている。近代と戦後日本は、もっと別の可能性があったはずだ。なぜ日本の近代は天皇制となり、その結果、あのような戦争に突入して行ったのか?戦後になったというのに、なぜ藩閥政治のような考え方が今でも世襲的に繰り返されているのだろう? なぜマルクス主義者たちは国粋主義者と一緒になって江戸時代を否定したがるのか? これらは明治維新のもたらしたものではないのか?
本書は、それらの謎を解く、新たな入り口を開けてくれた。発想の転換だけではなく、価値観の転換を迫られる」
今回の本で論じたことの目玉はだいたい以下のようになります。(他にも多くのことを論じています)
(1)江戸末の慶応年間に現れた憲法構想を紹介することを通して、天皇を神格化する王政復古体制とは別の、天皇の象徴的地位を維持する、より穏健な近代化の途があったこと、江戸の憲法構想は決して単純な西洋思想の模倣ではなかったことを論証する。
(2)戦前の皇国史観、戦後の講座派マルクス主義史観、司馬史観などが、本質的に連続しているものであることを論証し、それらすべてを批判する。マルクス本人も批判する。
(3)折しもNHKで「映像の20世紀 バタフライエフェクト」を放送しているが、「バタフライ史観」を全面に出した歴史叙述を行う。バタフライ史観の源流として、エピクロスとルクレティウスの哲学を評価する。
(4)丸山眞男は、江戸を支配した朱子学が解体され、国学的思惟が日本を近代化したと論じたが、むしろ江戸の朱子学は近代的立憲政体や天賦人権論や普遍的な国家平等意識と親和的であったのであり、神話史観を強制した国学は、日本を近代から遠ざけたことを論証する。
(5)右派は西洋的な人権概念は個人主義的な価値観を押し付けて、日本の「国体」を否定したと批判するが、明治時代に「創造」された「国体」こそが、日本の伝統から乖離していたこと、江戸の儒教的伝統に基づく内発的な人権概念は、より人間の個性を尊重するものであったことを論証する。
「書評:関 良基『江戸の憲法構想 日本近代史の〝イフ〟』作品社 2024年3月: 本に溺れたい」
です。記事のURLは、上記にペーストしてあります。皆さまにも、ご覧いただいて、ご意見など頂ければ幸甚です。
大事な、丸山眞男論については、上記書評では触れられませんでした。他の論者の「丸山眞男批判」などにも関心が向きましたので、複数の丸山批判論として、別途記事化してみます。
なにか共通するものがあるのかもしれません。
コメントに気づくのが遅れ、返信が遅くなりまして申し訳ございません。
早々に拙著を読んでくださり、またすばらしいコメントを下さり、ありがとうございました。
ご指摘の通り、山本覚馬の「管見」には、儒教的な人道主義、人権概念が反映されていると思います。著書でも紹介しましたが、昌平黌の御儒者であった中村正直は、明治になってキリスト教に改宗しても、なお朱子学を信奉し続けましたが、人道主義的観点でなんら矛盾を感じていなかったのだと思います。
「天誅」に期待する思考様式は、まさに水戸学・国学的思惟ですが、結局、テロの先に成立した政権がロクなものであった試しがありません。政権奪取にテロを使用した政権は、フランス革命でも明治維新でもロシア革命でも、ナチス・ドイツでも、恐るべき抑圧体制を築いてしまいました。
>自民党の「(権)力」に対し、(暴)力」ではなく、言論という「知恵」で抗うことは可能なのでしょうか。
もちろん可能だと思います。選挙を通して変革することが、唯一無二の方法だと思います。ただ、今の状態だと野党が政権を取って日本がよくなるということは全く期待できず、自民党の権力基盤となっている、日本人の意識の深層にある誤った歴史観から糺していかないと、まともま政権交代も起きるとは思えません。その意味で、歴史観の見直しが重要と考え、細々とですが、このような著作を世に問うています。
5月11日など、都内でも講演に呼ばれたりいたしました。追ってブログでも案内いたしますので、もしよろしければどうぞ。
加藤弘之の山内容堂評を読んだ際、私は山本覚馬の同志社の卒業式での「弱を助け強を挫き、貧を救ひ富を抑ゆるものは誰れぞ、諸子乞う吾が言を常に心に服膺して忘るゝ勿れ」というスピーチを思い出しました。
一般的にこれはキリスト教的価値観に基づいた発言だと解釈されることが多いと思うのですが(確か「八重の桜」でもそうだったかと存じます)、会津松平家臣で佐久間象山の門下生であった覚馬は儒学的、朱子学的な素養によって、元々「弱を助け強を挫き、貧を救ひ富を抑ゆる」という思想を持っていたのではないか、あるいはそういった素養があったが故に、キリスト教のそういった価値観を柔軟に吸収できたのではないかという気がいたします。
もう一つ気になったのは、「徳川政権は自己変革が可能な組織であったから、暴力革命によって打倒する必要などなかった」という主張に異論はまったくないのですが、これは裏を返せば「自己変革が不可能な政権は暴力で打倒することもやむを得ない」ということにはなってはしまわないでしょうか?
というのも、現在の自民党政権の自浄作用のなさは裏金問題一つを取っても明らかですし、安倍晋三とその子分である菅義偉が退陣し、宏池会の岸田文雄が首相になってもあのザマ、河野太郎には私も期待していましたが、コロナワクチンやマイナンバーカードに関する仕事を見ていると、その期待も徐々にしぼんでしまいました。
それにどうせ次の選挙でも、看板だけすげ替えて自民党が勝つでしょう(単独過半数を達成したり、公明党との合計で三分の二以上の議席を獲得するのは阻止できるかもしれませんが……)。
このような状況では、「主体的」な「作為」によって安倍晋三を暗殺した山上徹也(といっても、彼は体制の大幅な変革を望んでいたわけではないので、テロリストでも革命家でもないでしょうが)のような人物が再び現れ、悪徳政治家に「天誅」を下し、山上の行為によって安倍への忖度ないし圧力によって抑え込まれていた統一教会問題が盛んに議論・報道されるようになったような「バタフライ効果」を期待する世論が勃興するのもやむを得ない(実際、匿名掲示板にはそのような書き込みが溢れています)のではないか、という気がしてしまうのですが、それこそ「八重の桜」で山本覚馬が語っていたように、自民党の「(権)力」に対し、(暴)力」ではなく、言論という「知恵」で抗うことは可能なのでしょうか。
>やはり近世史の研究者は明治維新を否定的な観点から解釈する研究に寛容
そう思います。過去、明治維新研究者が、薩長の行為を正当化するため、江戸社会をネガティブに見る「物語」をつくってきました。近世史研究者の目から見ればそれら「江戸暗黒物語」には明白な誤りが多かったため、修正する必要性を感じている方が多いのだろうと思います。
田中優子氏から推薦されるとは驚きました。
「鎖国」という言葉に関する2017年の記事でも書かれていたように、やはり近世史の研究者は明治維新を否定的な観点から解釈する研究に対しても寛容な方が多いということなのでしょうか。