ドラマ序盤の最大のヤマ場、第一次上田合戦が描かれました。
戦国時代の時代劇の合戦シーン、牧場などをロケ地で使って、騎馬隊の激突などが展開されるケースが多いです。今回は城下町を舞台にした市街戦(ゲリラ戦)の様子が再現されました。上田合戦は単なる籠城戦ではなく、市街地そのものを舞台にしたゲリラ戦だったわけで、その様子が克明に再現されていました。正面からの激突で、2000が7000に勝てるわけありませんので、城下町に誘い込んで細い街路に障害物を設け、徳川軍の隊列を縦に伸ばして分断した上で、ゲリラ戦で戦うことになります。
戦国大河で、こうした市街ゲリラ戦の合戦描写は珍しいです。籠城戦とも野戦とも異なる一味違った合戦描写でした。それにチャレンジしたスタッフの皆さまに、まず敬意を払いたいと思います。
「女が一人でフラフラと戦場に出るなんてあり得ない!」という批判の声もツイッター上で飛び交っていました。
『加沢記』には、「女童は石つぶてをなげ出し・・・」と書かれています。城下の女・子供までもが籠城戦に参加し、武器がなくても投石を行った文字通りの総力戦だったわけです。全住民が一丸となった郷土防衛戦ですから、女子も子供も立派な兵士でした。兵士だけが戦う通常の戦国合戦とは違ったのです。川崎八重が活躍した会津籠城戦のようなものでしょうか。
梅は、源次郎の側室になったとはいえ、地侍の娘として、村の女・子供たちもゲリラ戦で戦っている最中に、自分だけ城内で安穏としていることはできないと判断したのでしょう。信繁の妻である自分も先頭に立たなければ、領民たちの志気を鼓舞できないと考えたのだと思います。
合掌。
史実の梅は、名前不詳、堀田作兵衛の妹で信繁の側室の一人としか伝わっておらず、いつ亡くなったかもわかっていません。三谷さんとしては梅のキャラクターについては、史実の束縛を受けることなく、自由に書けたわけですね。
名前が「梅」というのも、三谷さんのこだわりの設定だと思います。後年誕生する信繁の娘に「阿梅」という子がいるんです。亡き妻を偲んで「阿梅」という名を付けたのではないかと三谷さんは推定して、最初の妻の名を「梅」としたのでしょう。
きりも、「高梨内記の娘」としか伝わっていない架空の名前です。いまのところドラマに出てくる女性たちの中で、唯一、本当の名前が伝わっているのは「すへ」だけ。あのかわいい赤ちゃん。
なぜ「すへ」という名前が分かるかといえば、後の大坂の陣の際、真田幸村が、すへとその夫(石合十蔵)に出した手紙が残っているからです。その手紙の中で、「すへ」と書かれています。その幸村の「戦場からの手紙」、もはや会うことのかなわない娘に対する愛情が悲しくつづられていて、本当に泣けてくる内容です。いかに源次郎が「すへ」を愛していたか、文面からにじみ出ています。
さて、地元の人間として、ドラマでもっとも感動した点を挙げておきます。あの市街戦の様子、茨城県の「ワープステーション江戸」を中心に撮影が行われたのだと思います。撮影が茨城であるにも関わらず、背景として、上田の風景が合成されていて、全く違和感なく舞台は上田になりきっていました。よくぞここまで詳細に情景を再現したものだと感動してしまいました。NHKの技術スタッフの皆さまに感謝します。いくつか例を出します。
↓ 上田城の櫓の中から、きりが徳川軍の襲来を見つめるシーン。上田城に行かれる皆さま、櫓に上って東の山々を見てください。標高2066メートルの烏帽子岳を中心に、実際にこの山々の風景が見えます。
↓ 上田城(つくばのワープステーション江戸のセット)の背後の山は虚空蔵山。上杉と真田の「戦芝居」が行われた虚空蔵山城があります。
↓ 砥石城に入った信幸が敗走する徳川軍を突くために上田城に向かうシーン。砥石城から上田城を見ると、本当にこのように見えます。左側に見える夫神岳は上田の別所温泉に伝わる雨乞いの奇祭「岳の幟」が行われる山としても知られています。女神岳もあるのですがちょっと画面から外れています。
↓ 紀行で登場した月窓寺。梅が戦死したのはこの寺だったのでしょうか。月窓寺は城の東方の平坦な場所にある寺なので、「山の寺」ではないですが・・・・。第一次上田合戦で焼失し、信繁が再興したと伝わります。
このお寺、真田信繁ゆかりの寺であると共に、幕末の兵学者で東郷平八郎の師でもある赤松小三郎の遺髪墓がある寺です。中村半次郎に暗殺された赤松小三郎の墓は京都の金戒光明寺にありますが、遺髪のみ上田に戻され、この月窓寺に埋葬されました。ドラマの紀行ではさすがに赤松小三郎は紹介されず、ちょっと残念。上田に観光に行かれる方、ぜひ真田信繁とともに赤松小三郎も偲んで、月窓寺にも足を延ばしてくださればと思います。
月窓寺と赤松小三郎の案内は上田市の以下のサイト参照下さい。
http://www.uedade.jp/sanadastory/sanadaspot/gessouji
戦国時代の時代劇の合戦シーン、牧場などをロケ地で使って、騎馬隊の激突などが展開されるケースが多いです。今回は城下町を舞台にした市街戦(ゲリラ戦)の様子が再現されました。上田合戦は単なる籠城戦ではなく、市街地そのものを舞台にしたゲリラ戦だったわけで、その様子が克明に再現されていました。正面からの激突で、2000が7000に勝てるわけありませんので、城下町に誘い込んで細い街路に障害物を設け、徳川軍の隊列を縦に伸ばして分断した上で、ゲリラ戦で戦うことになります。
戦国大河で、こうした市街ゲリラ戦の合戦描写は珍しいです。籠城戦とも野戦とも異なる一味違った合戦描写でした。それにチャレンジしたスタッフの皆さまに、まず敬意を払いたいと思います。
「女が一人でフラフラと戦場に出るなんてあり得ない!」という批判の声もツイッター上で飛び交っていました。
『加沢記』には、「女童は石つぶてをなげ出し・・・」と書かれています。城下の女・子供までもが籠城戦に参加し、武器がなくても投石を行った文字通りの総力戦だったわけです。全住民が一丸となった郷土防衛戦ですから、女子も子供も立派な兵士でした。兵士だけが戦う通常の戦国合戦とは違ったのです。川崎八重が活躍した会津籠城戦のようなものでしょうか。
梅は、源次郎の側室になったとはいえ、地侍の娘として、村の女・子供たちもゲリラ戦で戦っている最中に、自分だけ城内で安穏としていることはできないと判断したのでしょう。信繁の妻である自分も先頭に立たなければ、領民たちの志気を鼓舞できないと考えたのだと思います。
合掌。
史実の梅は、名前不詳、堀田作兵衛の妹で信繁の側室の一人としか伝わっておらず、いつ亡くなったかもわかっていません。三谷さんとしては梅のキャラクターについては、史実の束縛を受けることなく、自由に書けたわけですね。
名前が「梅」というのも、三谷さんのこだわりの設定だと思います。後年誕生する信繁の娘に「阿梅」という子がいるんです。亡き妻を偲んで「阿梅」という名を付けたのではないかと三谷さんは推定して、最初の妻の名を「梅」としたのでしょう。
きりも、「高梨内記の娘」としか伝わっていない架空の名前です。いまのところドラマに出てくる女性たちの中で、唯一、本当の名前が伝わっているのは「すへ」だけ。あのかわいい赤ちゃん。
なぜ「すへ」という名前が分かるかといえば、後の大坂の陣の際、真田幸村が、すへとその夫(石合十蔵)に出した手紙が残っているからです。その手紙の中で、「すへ」と書かれています。その幸村の「戦場からの手紙」、もはや会うことのかなわない娘に対する愛情が悲しくつづられていて、本当に泣けてくる内容です。いかに源次郎が「すへ」を愛していたか、文面からにじみ出ています。
さて、地元の人間として、ドラマでもっとも感動した点を挙げておきます。あの市街戦の様子、茨城県の「ワープステーション江戸」を中心に撮影が行われたのだと思います。撮影が茨城であるにも関わらず、背景として、上田の風景が合成されていて、全く違和感なく舞台は上田になりきっていました。よくぞここまで詳細に情景を再現したものだと感動してしまいました。NHKの技術スタッフの皆さまに感謝します。いくつか例を出します。
↓ 上田城の櫓の中から、きりが徳川軍の襲来を見つめるシーン。上田城に行かれる皆さま、櫓に上って東の山々を見てください。標高2066メートルの烏帽子岳を中心に、実際にこの山々の風景が見えます。
↓ 上田城(つくばのワープステーション江戸のセット)の背後の山は虚空蔵山。上杉と真田の「戦芝居」が行われた虚空蔵山城があります。
↓ 砥石城に入った信幸が敗走する徳川軍を突くために上田城に向かうシーン。砥石城から上田城を見ると、本当にこのように見えます。左側に見える夫神岳は上田の別所温泉に伝わる雨乞いの奇祭「岳の幟」が行われる山としても知られています。女神岳もあるのですがちょっと画面から外れています。
↓ 紀行で登場した月窓寺。梅が戦死したのはこの寺だったのでしょうか。月窓寺は城の東方の平坦な場所にある寺なので、「山の寺」ではないですが・・・・。第一次上田合戦で焼失し、信繁が再興したと伝わります。
このお寺、真田信繁ゆかりの寺であると共に、幕末の兵学者で東郷平八郎の師でもある赤松小三郎の遺髪墓がある寺です。中村半次郎に暗殺された赤松小三郎の墓は京都の金戒光明寺にありますが、遺髪のみ上田に戻され、この月窓寺に埋葬されました。ドラマの紀行ではさすがに赤松小三郎は紹介されず、ちょっと残念。上田に観光に行かれる方、ぜひ真田信繁とともに赤松小三郎も偲んで、月窓寺にも足を延ばしてくださればと思います。
月窓寺と赤松小三郎の案内は上田市の以下のサイト参照下さい。
http://www.uedade.jp/sanadastory/sanadaspot/gessouji
>池波さんの「真田太平記」、忍者小説としてはすごく面白いです。
忍者小説という表現、納得しました。私もネットで「真田太平記」のドラマ配役表を見つけて、忍者が多いことにあれ?っと思ってしまいました。あの配役からだと、真田を取り巻く地域社会は見えてこないですね。ただ、その部分の研究が進んだのもここ10数年のことらしいので、作家が(しかも池波正太郎が)そこを描けなかったのは無理もないかもしれません。
さて、13回の内容について・・・
市街地ゲリラを描くこと自体珍しく、しかも策の立案から準備を含めて丁寧に描いていた回で私も満足しました。三谷氏自身が、「自分は理系なので、合戦そのものよりはそれに至る過程を描きたい」というような内容のことをどこかで書いていました。戦争において本来多くの時間がかかるのは事前の調略や準備なんですよね。合戦でどんぱちやってスカッとするというような描写は私は好きではないので、一般には注目されない戦争の事前について描いているということ、主人公にとって、戦争が「二人称の死」であることがきちんと描かれていることに好感を持って見ました。また、第2次上田合戦もほぼ同じような策で勝っているだけに、たぶんドラマの描き方を変えてくるだろうなと思っています。それを思うと次の合戦描写も楽しみです。
また、この次の記事で『加沢記』と『三河物語』の史料も提示して下さっての解説、面白いですね。ドラマでは信繫が第一次上田合戦に参加したという説を採用していましたが、上杉から許可を得たというドラマの流れや、2人の役割分担:弟が挑発役で嫡男の兄が背後から父と呼応して挟み撃ちにする役、というのがドラマの性格と合っていて、納得がいくものでした。
今後の記事も期待しています。
ますます面白くなりそうです。今後ともよろしくお願いいたします。