一つ前の記事の続きを書きます。一つ前の記事では、気がついたらいつの間にか地底人の話題になっておりました。肝心のクー氏の本の紹介が十分にできませんでした。あらためて、リチャード・クー&村山昇作著『世界同時バランスシート不況』(徳間書店)の紹介をします。
本書の第1部はクー氏の書き下ろしの「世界が陥っているのはバランスシート不況」です。クー氏のバランスシート不況論に慣れ親しんだ方にとっては、とくに真新しい話題ではありません。もちろん、クー氏の著作を初めて読む方にとっては目から鱗がたくさん落ちるかと存じます。
第2部を書いた村山昇作氏は元日本銀行のエコノミストで、現在は会社の社長さんです。村山の論文「金融資本主義に未来はあるか」は、まあ常識の範囲内の妥当な内容の論文でした。
ところが第3部の二人の対話編を読んでびっくりしてしまいました。元日銀マンと野村総研のチーフエコノミストが、ここまで言ってよいのかというほど、革命的な内容になるからです。
クー氏と村山氏というクリエイティビティにあふれた二人の論客が本音の対話をする中でアウフヘーベンが起こり、「論文では絶対にここまでは筆が及ばないだろう」という本質的な議論がされています。小手先の対処療法ではなく、過剰生産と金融バブルの発生という、資本主義システムに付いて回る根源的欠陥をどのように手術するのかという、体制変革論にまで論点が到達しているのです。
クー・村山の両者が、この内容をそのまま削らずに掲載したことに対して敬意を表したいと思います。以下、第3部のほんの一部を引用させていただきます。(クー・村山『世界同時バランスシート不況』の258~259頁より)。
***引用開始****
村山: 今回うまくこの危機をお乗り切ったとしても、スキームが変わらなければもっと大きなバブルの崩壊が来るに決まっています。このバブルの問題は、金融資本主義の性格から出てくるわけです。そういう本質的なところを変えようとしないで、このままずっとやっていたら金融資本主義はどこに行き着くと思いますか?
クー: いま日本で起きている借金拒絶症みたいなことが全世界的に起きた場合、もう最後は国が吸い上げるしかなくなるでしょう。新しいパブリック・ファイナンス理論が必要になってきています。ビジョンを持って国がお金を使って国家を引っ張っていくということが、おそらく全世界的に起きてくると思います。もうそれ以外に民間の余剰資金を吸い上げる方法はないでしょう。
村山: そうなると、それは資本主義ではなくて、社会主義になってしまいます。社会主義といわないだけの話です。いまやアメリカだって主要企業を国有化していますから、社会主義化が進行していると言ってもいい。政府が購入した株が2年や3年で売却できればいいですが、10年も20年も国有化が続いたら、完全に社会主義です。
クー: 国有民営化というふうになっていくと思います。
(中略)
国がビジョンを持って、地球全体で考えたらこれしかないという研究開発や投資を行っていくという世界になっていくでしょう。そうなればまだいいほうかもしれません。
村山: それはベストですね。
***引用終わり***
このような方向に向かうしかないという点に関して、私もクー氏と村山氏の意見に賛同いたします。かつて、「穴を掘ってまた埋め戻すような公共事業でもよいのだ」と言っていたクー氏が、「国がビジョンを持って、地球全体で考えたらこれしかないという」公共投資を訴えるようになって下さって、嬉しく思った次第です。
金融業の自由化と規制緩和は、際限のないバブルの生成と崩壊の連鎖を生み出し、資本主義経済そのものを根本的に破壊することはもはや明らかでしょう。投機に失敗して金融機関がつぶれそうになれば、国民の税金を使ってでも救済してもらうというのであれば、はじめから公有にして投機などそもそもできないようにした方がよいのです。資本主義を守りたいのだったら、実際、長期的ビジョンの下のパブリック・ファイナンスの方向に向かうしかないでしょう。
もっとも金融機関は、「国有」という選択のみでなく、地方自治体や協同組合など多様な経営形態も含めた複数の「公的所有」が競合するシステムでよいでしょう。「公有民営」です。
このシステムを「社会主義」と呼ぶのか「資本主義」と呼ぶのかは、まあ、言葉の定義の問題でしょう。あえて言えば、「社会化された資本」に基づく混合経済体制です。まあ、名づけようとすると言葉をめぐる不毛な争いが始まるのでやめましょう。
モノづくりやサービス部門は(社会や環境に悪影響を与えない範囲で)自由な発想が最大限に活かされる私的経営のままなのですから、自由が好きな人は資本主義だと思って満足すればよい。逆に左派は、これこそが社会主義だと思って満足すれよい。両陣営が満足できることになります。
私がこのブログを始めたのは、公的金融機関の必要性を訴え、郵政民営化に異議を唱えるためでした。銀行など、社会的に必要な量の貯蓄のみを集め、それを確実に貸し出すという機能があればよい。公有でも(公有の方が?)それはできる。しかるに商業的金融機関は、本当に資金を必要としている会社や個人には適正な利率で貸し出すことはできず、戦争目的の米国債の購入や、際限のないバブルを生みだす投機的部門には熱心にお金を流し続けてきました。人を殺すため、貧者を生み出すためにせっせとお金を使ってきたのです。
戦争をなくし、貧困を撲滅し、環境問題を解決し、持続可能な未来社会を構築することが全人類的な課題であるにも関わらず、そっちの方にはお金は流れない。
せめて郵貯のみは、社会福祉や環境産業など持続可能な未来社会を構築するための戦略的融資ができる公的金融機関として再構築せねばならない。そう訴えながら、郵政民営化に反対し続けました。
しかし郵政選挙当時のネット世論はといえば、ほぼ民営化礼賛論一色で染まり、「日本人総発狂か?」とも思われたものでした。郵政選挙の後、亀井静香さんが絶望的な顔をして、「不適切だと言われようがなんだろうが言わせてもらう。国民を守るため、国を壊すなと訴えてきたが、気がついたら、国民がもう壊れていた」と言っていたのを思い出します。
あの悪夢のような郵政選挙の中、私は「銀行なぞ国有で何の不都合もない」と論じておりました(例えばこの記事)。ちなみに、その記事にもらったコメントは以下のようなものでした。
***引用開始****
「国営?今まで何みてきたのかな? (おるか)
今まで郵貯が、官僚や政治家達にありえない使われ方してきた事実! 彼らは、特権意識から 何の反省もして無いし、何の責任も負う気も無い (中略) もっと広い視野を持って現状を見ないとなお一層取り残されますよ」
***引用終わり****
日本人の悪い部分が凝縮されたようなコメントですね。「長いものには巻かれ」、当時のマスコミの「総市場原理主義翼賛」ともいえる世論に迎合しているだけ。私のような異端者のブログを見つけると喜びいさんで飛んできて、いかにも勝ち誇ったような顔をしながらステレオタイプな意見を述べて罵倒し、「出る杭を打つ」のです。それで彼らの自尊心は満足されるのでしょうか。いまでも私はそういう「長いものに巻かれた」オジサンたちに罵倒されることが多く、正直、辟易としています。
ちなみに『世界同時バランスシート不況』の第3部では、経済学の枠組みを超えて、長いものに巻かれる、日本人のこういう悪いところをどうしたらよいのかという問題まで論じられておりました。詳しくは是非本の現物を読んでください。
本書の第1部はクー氏の書き下ろしの「世界が陥っているのはバランスシート不況」です。クー氏のバランスシート不況論に慣れ親しんだ方にとっては、とくに真新しい話題ではありません。もちろん、クー氏の著作を初めて読む方にとっては目から鱗がたくさん落ちるかと存じます。
第2部を書いた村山昇作氏は元日本銀行のエコノミストで、現在は会社の社長さんです。村山の論文「金融資本主義に未来はあるか」は、まあ常識の範囲内の妥当な内容の論文でした。
ところが第3部の二人の対話編を読んでびっくりしてしまいました。元日銀マンと野村総研のチーフエコノミストが、ここまで言ってよいのかというほど、革命的な内容になるからです。
クー氏と村山氏というクリエイティビティにあふれた二人の論客が本音の対話をする中でアウフヘーベンが起こり、「論文では絶対にここまでは筆が及ばないだろう」という本質的な議論がされています。小手先の対処療法ではなく、過剰生産と金融バブルの発生という、資本主義システムに付いて回る根源的欠陥をどのように手術するのかという、体制変革論にまで論点が到達しているのです。
クー・村山の両者が、この内容をそのまま削らずに掲載したことに対して敬意を表したいと思います。以下、第3部のほんの一部を引用させていただきます。(クー・村山『世界同時バランスシート不況』の258~259頁より)。
***引用開始****
村山: 今回うまくこの危機をお乗り切ったとしても、スキームが変わらなければもっと大きなバブルの崩壊が来るに決まっています。このバブルの問題は、金融資本主義の性格から出てくるわけです。そういう本質的なところを変えようとしないで、このままずっとやっていたら金融資本主義はどこに行き着くと思いますか?
クー: いま日本で起きている借金拒絶症みたいなことが全世界的に起きた場合、もう最後は国が吸い上げるしかなくなるでしょう。新しいパブリック・ファイナンス理論が必要になってきています。ビジョンを持って国がお金を使って国家を引っ張っていくということが、おそらく全世界的に起きてくると思います。もうそれ以外に民間の余剰資金を吸い上げる方法はないでしょう。
村山: そうなると、それは資本主義ではなくて、社会主義になってしまいます。社会主義といわないだけの話です。いまやアメリカだって主要企業を国有化していますから、社会主義化が進行していると言ってもいい。政府が購入した株が2年や3年で売却できればいいですが、10年も20年も国有化が続いたら、完全に社会主義です。
クー: 国有民営化というふうになっていくと思います。
(中略)
国がビジョンを持って、地球全体で考えたらこれしかないという研究開発や投資を行っていくという世界になっていくでしょう。そうなればまだいいほうかもしれません。
村山: それはベストですね。
***引用終わり***
このような方向に向かうしかないという点に関して、私もクー氏と村山氏の意見に賛同いたします。かつて、「穴を掘ってまた埋め戻すような公共事業でもよいのだ」と言っていたクー氏が、「国がビジョンを持って、地球全体で考えたらこれしかないという」公共投資を訴えるようになって下さって、嬉しく思った次第です。
金融業の自由化と規制緩和は、際限のないバブルの生成と崩壊の連鎖を生み出し、資本主義経済そのものを根本的に破壊することはもはや明らかでしょう。投機に失敗して金融機関がつぶれそうになれば、国民の税金を使ってでも救済してもらうというのであれば、はじめから公有にして投機などそもそもできないようにした方がよいのです。資本主義を守りたいのだったら、実際、長期的ビジョンの下のパブリック・ファイナンスの方向に向かうしかないでしょう。
もっとも金融機関は、「国有」という選択のみでなく、地方自治体や協同組合など多様な経営形態も含めた複数の「公的所有」が競合するシステムでよいでしょう。「公有民営」です。
このシステムを「社会主義」と呼ぶのか「資本主義」と呼ぶのかは、まあ、言葉の定義の問題でしょう。あえて言えば、「社会化された資本」に基づく混合経済体制です。まあ、名づけようとすると言葉をめぐる不毛な争いが始まるのでやめましょう。
モノづくりやサービス部門は(社会や環境に悪影響を与えない範囲で)自由な発想が最大限に活かされる私的経営のままなのですから、自由が好きな人は資本主義だと思って満足すればよい。逆に左派は、これこそが社会主義だと思って満足すれよい。両陣営が満足できることになります。
私がこのブログを始めたのは、公的金融機関の必要性を訴え、郵政民営化に異議を唱えるためでした。銀行など、社会的に必要な量の貯蓄のみを集め、それを確実に貸し出すという機能があればよい。公有でも(公有の方が?)それはできる。しかるに商業的金融機関は、本当に資金を必要としている会社や個人には適正な利率で貸し出すことはできず、戦争目的の米国債の購入や、際限のないバブルを生みだす投機的部門には熱心にお金を流し続けてきました。人を殺すため、貧者を生み出すためにせっせとお金を使ってきたのです。
戦争をなくし、貧困を撲滅し、環境問題を解決し、持続可能な未来社会を構築することが全人類的な課題であるにも関わらず、そっちの方にはお金は流れない。
せめて郵貯のみは、社会福祉や環境産業など持続可能な未来社会を構築するための戦略的融資ができる公的金融機関として再構築せねばならない。そう訴えながら、郵政民営化に反対し続けました。
しかし郵政選挙当時のネット世論はといえば、ほぼ民営化礼賛論一色で染まり、「日本人総発狂か?」とも思われたものでした。郵政選挙の後、亀井静香さんが絶望的な顔をして、「不適切だと言われようがなんだろうが言わせてもらう。国民を守るため、国を壊すなと訴えてきたが、気がついたら、国民がもう壊れていた」と言っていたのを思い出します。
あの悪夢のような郵政選挙の中、私は「銀行なぞ国有で何の不都合もない」と論じておりました(例えばこの記事)。ちなみに、その記事にもらったコメントは以下のようなものでした。
***引用開始****
「国営?今まで何みてきたのかな? (おるか)
今まで郵貯が、官僚や政治家達にありえない使われ方してきた事実! 彼らは、特権意識から 何の反省もして無いし、何の責任も負う気も無い (中略) もっと広い視野を持って現状を見ないとなお一層取り残されますよ」
***引用終わり****
日本人の悪い部分が凝縮されたようなコメントですね。「長いものには巻かれ」、当時のマスコミの「総市場原理主義翼賛」ともいえる世論に迎合しているだけ。私のような異端者のブログを見つけると喜びいさんで飛んできて、いかにも勝ち誇ったような顔をしながらステレオタイプな意見を述べて罵倒し、「出る杭を打つ」のです。それで彼らの自尊心は満足されるのでしょうか。いまでも私はそういう「長いものに巻かれた」オジサンたちに罵倒されることが多く、正直、辟易としています。
ちなみに『世界同時バランスシート不況』の第3部では、経済学の枠組みを超えて、長いものに巻かれる、日本人のこういう悪いところをどうしたらよいのかという問題まで論じられておりました。詳しくは是非本の現物を読んでください。
シティ銀行の増資債権が飛ぶように売れた夏、一体、誰が買っているんだ?個人投資家か、と新聞は書いていましたが、その数ヵ月後に、リーマンショックで債権暴落、で、その後に出た、郵貯の金融資産報告書、外国債券保有金額が、4000億円から8000億円に、倍に増えていた。お前かよ!!!で、郵貯の、その他の、外国証券会社裁定の、国民のお金は、どうなのか。闇は開けれない。
これまでOrwelさまのブログの存在に気付きませんでした。いつのまにか拙ブログまでブックマークして下さっており、まことにありがとうございました。これから私の方からもブックマークさせていただきます。
今後ともよろしくお願いいたします。
新潟よりさん
郵政の闇、亀井さんを応援し、徹底的に暴いていきましょう。参院選で国民新党が下野してしまったら、それも不可能になってしまうかもしれません。亀井さんを徹底的に応援しましょう。
ジャーナリストの佐々木実さんが書いた「郵政資産売却の闇」の下記記事、すごく面白いです。郵政資産売却の背後を影で完全に掌握していたゴールドマン・サックスの闇に関しては、いまだに謎が多いです。
http://www.asyura2.com/09/senkyo71/msg/580.html