私も執筆者の一人である『地球環境保全への途 -アジアからのメッセージ』(寺西俊一・大島堅一・井上真編著、有斐閣)という本が出ましたので紹介させていただきます。この本は、大学の教科書になることを想定に書いた一般向けの本です。私はこの本の第5章「森林再生への模索」を書いています。私が担当した5章は、イラストを多用してマンガのような感覚で読んでもらえることを目指しました。他の章に比べてちょっと浮いてしまったかも知れませんが・・・。
私の担当した章は、アジアにおける森林破壊の構造的要因と抽出し、森林再生の途を模索するというものです。その際、アジアは冷戦時代に資本主義陣営と社会主義陣営に分断されてきたので、その双方における森林破壊の構造要因をそれぞれ分析しました。具体的にはフィリピンの森林破壊と中国の森林破壊の歴史を比較しながら、資本主義と社会主義の双方のシステムにそれぞれにどんな問題があったのかを理解しようと試みたものです。
えっ「資本主義と社会主義の森林破壊はどう異なるのか?」ですって。それは読んでのお楽しみです。
私は、フィリピンの農民と中国の農民の意見を私のインタビュー記録の中から一つずつ紹介し、それを手がかりにしながら資本主義の失敗と社会主義の失敗をそれぞれ解明していくというアプローチをとりました。資本主義国フィリピンのマルコス独裁体制も、社会主義国中国の毛沢東独裁体制も、ともに独裁体制でしたが、独裁の質は異なります。
以下、本でも紹介したフィリピンの農民と中国の農民の発言をそれぞれ掲げておきます。この二人の発言の中から、資本主義的森林破壊と社会主義的森林破壊の構造的差異を理解することができるでしょうか? 試してみて下さい。
*フィリピン・イサベラ州の商業伐採跡地に居住する住民の発言、1999年8月、女性、41歳
「フィリピン人はお金がありません。ここに来てビジネスを行う人々の多くは金持ちの外国人です。いま、山は禿げ上がってしまったので、彼らは去りました。彼らの目的は単にお金だけだったのです。そして、フィリピン人の将来のことなど、これっぽっちも考えていなかった……」
*中国・貴州省の山村住民の発言、2002年8月、男性、57歳
「1958年、「鉄鋼大躍進」、「以鋼為綱」の政策が実施され、トウモロコシの生産も怠けて、みんな木を切って土高炉にいれた。自分は庭の後ろと東側の約5畝の木を切った。思い浮かべるだけで、いまだに心が痛い。当時は国の政策を確信していたので、何も考えずに国家建設を支援するために積極的に木を切った。その後、自然災害もあって、食っていけなくなった。餓死したくないので、みんなが山を開墾し始めた」
どうですか? この二つ意見を比べて何か感じるところはございますでしょうか?
資本主義的森林管理のキーワードとして私が抽出したのは「囲い込み・排除」で、社会主義的森林管理のキーワードは「統合・動員」です。それぞれうまく行かなかったことは申すまでもございません。
私の担当した章は、アジアにおける森林破壊の構造的要因と抽出し、森林再生の途を模索するというものです。その際、アジアは冷戦時代に資本主義陣営と社会主義陣営に分断されてきたので、その双方における森林破壊の構造要因をそれぞれ分析しました。具体的にはフィリピンの森林破壊と中国の森林破壊の歴史を比較しながら、資本主義と社会主義の双方のシステムにそれぞれにどんな問題があったのかを理解しようと試みたものです。
えっ「資本主義と社会主義の森林破壊はどう異なるのか?」ですって。それは読んでのお楽しみです。
私は、フィリピンの農民と中国の農民の意見を私のインタビュー記録の中から一つずつ紹介し、それを手がかりにしながら資本主義の失敗と社会主義の失敗をそれぞれ解明していくというアプローチをとりました。資本主義国フィリピンのマルコス独裁体制も、社会主義国中国の毛沢東独裁体制も、ともに独裁体制でしたが、独裁の質は異なります。
以下、本でも紹介したフィリピンの農民と中国の農民の発言をそれぞれ掲げておきます。この二人の発言の中から、資本主義的森林破壊と社会主義的森林破壊の構造的差異を理解することができるでしょうか? 試してみて下さい。
*フィリピン・イサベラ州の商業伐採跡地に居住する住民の発言、1999年8月、女性、41歳
「フィリピン人はお金がありません。ここに来てビジネスを行う人々の多くは金持ちの外国人です。いま、山は禿げ上がってしまったので、彼らは去りました。彼らの目的は単にお金だけだったのです。そして、フィリピン人の将来のことなど、これっぽっちも考えていなかった……」
*中国・貴州省の山村住民の発言、2002年8月、男性、57歳
「1958年、「鉄鋼大躍進」、「以鋼為綱」の政策が実施され、トウモロコシの生産も怠けて、みんな木を切って土高炉にいれた。自分は庭の後ろと東側の約5畝の木を切った。思い浮かべるだけで、いまだに心が痛い。当時は国の政策を確信していたので、何も考えずに国家建設を支援するために積極的に木を切った。その後、自然災害もあって、食っていけなくなった。餓死したくないので、みんなが山を開墾し始めた」
どうですか? この二つ意見を比べて何か感じるところはございますでしょうか?
資本主義的森林管理のキーワードとして私が抽出したのは「囲い込み・排除」で、社会主義的森林管理のキーワードは「統合・動員」です。それぞれうまく行かなかったことは申すまでもございません。
私は食品小売業に従事するものですが、20年前には塩鯖は国産物で十分であったものが10年前ぐらいからはそれが枯渇してノルウェ-産にかわり、現在ではそれも大型の魚は捕れなくなり小降りのものが主体になりました。ここにも、ただ捕り尽くすだけの漁業がおこなはれているようです。
フイリッピンの人たちは、これを教訓として自分たちの土地は自分たちにしか守れないんだというふうにかんがえてほしいですね。
そうでないとあまりにも理不尽ですよ。
一応、管理するための法令は沢山あったのですが、それらが森林地域に暮らす住民たちが森林と共存して生きていくことを不可能にするものでした。フィリピンでも中国でも。
>フイリッピンの人たちは、これを教訓として自分たちの土地は自分たちにしか守れないんだというふうにかんがえてほしいですね。
まことにおっしゃる通りです。この本の私の結論も、地域住民が主体的に保全し管理しようという「やる気」を引き出すような制度を構築しないことには、森林再生は不可能だというものです。
ふたつの典型例、非常に興味ひかれました・・
いちビジネスパーソンの立場で考えたとき、
両者の間には、「計画の達成必須」というマインドと、「確信的に無計画すぎる事業」との典型例に見えて、
社会に根付く事業とは何か、考えてしまいます。
本当の意味での「資源」が、立木(目に見えた製品)・土地(生産財としてカウントされる資産)のどちらでもなく、実は事業の持続を約束する「土壌」であるのを忘れがちなのは、私も常々反省しているところです。
かじった限りでもMBAの教育でも、そういう視点を強調しているハズなんですが…、実行を伴わないみたいで、残念です。