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代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸 第9回「駆引」感想

2016年03月07日 | 真田戦記 その深層

 今回は天正壬午の乱の徳川vs北条の戦いが描かれました。北条は4万3千といわれる大軍で徳川は8千程度の軍勢だったと言われてますので、徳川が包囲されて絶体絶命のピンチ。家康が籠城したのが、かつて真田昌幸が武田勝頼のために普請した新府城というのも因縁深いですね。二大大名の激突の背後で、大名たちを翻弄しようとする国衆たちのしたたかな姿が描かれました。「国衆の論理」で初めて意見が一致した室賀さんと昌幸パパのシーンは、なかなか感動的でした。

 この北条vs徳川の合戦は、とっても濃密な出来事がいろいろとあるので、2回ぐらいかけてゆっくりやって欲しかったような気がします。1回では消化不良だったような・・・・・。依田信蕃や曽根昌世など出して欲しかった武将は多いのですが、登場人物絞らないとドラマが成立しないので、ここは仕方ないですね。

 さて、滝川、上杉、北条、名だたる大名たちを翻弄してやりたい放題の昌幸パパに、視聴者の皆さまから「腹黒」「極悪」「ゲスの極み」「ダーク」「ブラック」・・・・などなど、さまざまな枕詞がつけられるようになってきました。秀吉が昌幸を「表裏比興」と評価してから430年。昌幸に対するニックネームがここに来て激増してます。本人もビックリでしょう(苦笑)。しかし、まだ秀吉の名付けたニックネームを超えるものは出てきてないような・・・・。

 昌幸を尊敬する私としてはちょっと複雑な心境なのですが、みんな楽しそうなので、もう開き直って楽しく観るようにしています。
 
 ただ若干、昌幸のための弁明させてください。
 大名なんか利用する対象であって、利用価値がなくなればとっとと捨てるという昌幸の姿勢。大名から見れば裏切りなのですが、それはあくまで大名側の視点からの評価です。

 今回の大河ドラマがこれまでになかったと評価できる一つのポイントは、大名の論理、大名直属の家臣の論理、大名に従属してはいるが独自の領地と領民がいる国衆の論理、地侍・百姓たちの論理・・・・それぞれの視点は違うということをちゃんと描いている点です。
 「忠」とか「義」とかそんなのは江戸時代に発生した倫理であって、戦国時代にはそんな価値観は希薄です。戦国時代は、江戸期よりもむしろ、弱肉強食の現代資本主義社会の価値観により近いかも知れません。

 「国衆の論理」とは、何よりも領地と領民を守らねばならないということです。逆に言えば領民を守れないような領主は、領主失格で、領民にあいそを尽かされます。初回で武田家を裏切った穴山梅雪も小山田信茂も領地と領民を持つ国衆なので、領民を守らねばならないという課題が、武田家に対する忠誠よりも、第一義的に重要だったのです。小山田信茂は郡内地方の領民を戦火から守ったので、地元では名君の評価が高いです。

 自らが従属する大大名であるメリケン氏への忠誠心ばかりを優先させて、肝心の領民の暮らしをメリケン氏の利益のために差し出しちゃっているような領主はダメなわけです。
 
 話が逸れました(苦笑)。
 これまで視聴してきて、昌幸と領民たちの交流や信頼関係の強さをもう少し描いてくれれば、大名を転がし続ける昌幸の行為も、もう少し違って見えるのにな~と思っていました。今回は、梅と堀田作兵衛の「大事なのはできる限り人の命を損なわぬこと」という百姓・地侍層の論理を源次郎が聞いてハッとなるという重要なシーンが描かれました。昌幸が腐心しているのもまさにここにあるわけです。
 
 実際、真田の戦い方は、いかに味方の人命損失を最小化するかという点では一貫しています。ゲリラ戦こそ、味方の人命損失を最小化する戦い方であり、弱者が強者に立ち向かう戦い方なわけです。今回、源次郎は梅との会話を通してハッとそれに気づき、北条の補給網を断って、北条軍の徳川包囲網を維持できなくするという作戦を発案します。源次郎が一皮むけて飛躍する回でした。決して、春日信達さんの命を軽々しくは描かなかった。脚本は秀逸だと思います。
 ただ欲を言えば、人命を損失させない戦い方、ここ重要なので、ちょっとで良いからその戦いのシーンを描いてほしかった。ドラマの中では、それが源次郎の初陣のはずなのに~。まだ六文銭の旗が翻った合戦シーンって、一回も描かれてない・・・・。

P.S. 紀行では、上田市上室賀にある室賀さんの室賀城(笹洞城)が紹介されました。ちょっと前に当ブログで室賀城の写真を掲載したものを再掲させていただきます。
   

室賀さんの室賀城(笹洞城)と真田本城の位置関係。縮尺がないですが、真田本城から室賀城まで直線距離で16kmほどです。出浦さんの出浦城は、室賀城からすぐ近く。峠を越えるので、出浦さんの領地は小県郡ではなく隣の埴科郡になります。小県郡には他にも、祢津さん、丸子さん、小泉さん、矢島さんなどの国衆がいました。


室賀城(笹洞城) 画面中央のピークが本郭の場所。


室賀城の本郭の石塁。

 


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