代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

自民党改憲案は135年前の五日市憲法より後退している

2016年03月07日 | 政治経済(日本)
 安倍首相が任期中の改憲に意欲を示し、いよいよ安倍ちゃん、本気の改憲モードに突入した。

 そんな中、本日(2016年3月7日)の東京新聞の夕刊は、立憲主義の危機にある今、立憲主義の原点を見直そうと、東京都あきるの市の元中学校の社会科の先生が「五日市憲法の歌」をつくったというニュースを報道していた。その歌詞には以下のようなもの。以下参照。http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016030790135516.html


「民の自由と権利が あまたちりばめられた 
 江戸の世から まだ14年という時代に
 日本国憲法の源流が ここに生まれた」

 安倍政権が改憲に突っ走ろうとしている現在、五日市憲法草案は読まれるべきだと思う。五日市憲法草案の書き下し文は以下のサイト参照。
 
http://archives.library.akiruno.tokyo.jp/about/hyouka.html

 
 五日市憲法草案は、旧仙台藩士の千葉卓三郎が放浪の末に多摩の五日市に流れ住み、自由民権運動の中で発生した地元の人々が集う学習結社の中で起草した私擬憲法である。草案には、基本的人権や言論、集会、結社の自由など国民の権利規定に関しては現行憲法と比べても遜色のないすばらしい条文が並んでいる。地方の民衆が自発的に起草した憲法草案として日本の思想史に輝くものである。
 
 たとえば言論の自由を述べた五日市憲法草案第51条を紹介したい。以下のような条文だ。

「凡ソ日本国民ハ、法律ヲ遵守スルニ於テハ、万事ニ就キ予メ検閲ヲ受クルコトナク、自由ニ其思想、意見、論説、図絵を著述シ、之ヲ出版頒行シ、或ハ公衆ニ対シ、講談、討論、演説シ、以テ之ヲ公ニスルコトヲ得ベシ」

 万事あらかじめ検閲を受けることなく、自由にその思想、意見、論説、図絵を表明することができる。
 これは現行憲法の第21条

「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」

 と比べても遜色がない内容である。
 ちなみに自民党の改憲案の第21条は、現行の21条に以下の条項を加筆するというものだ。

【自民党改憲21条】「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」

 「公の秩序」を害すれば、自由な言論活動は認められないわけだ。これでは、政府にとって都合の悪い言論活動は容易に弾圧の対象になっていくだろう。

 自民党改憲案では、言論の自由を認めた現行の第21条が、言論活動を弾圧するための根拠条項に変えられてしまっている。
 自民党改憲案は、今から135年前の明治初期の五日市憲法草案よりなお後退してしまっている。
 
 先月、閣僚の高市早苗総務省自らが、放送局が政治的公平性を欠く報道を繰り返せば、電波停止もあり得るという趣旨の発言した。ちなみに、某党の広報放送のようになって、もっとも政治的公平性を欠く報道をしているのは某公共放送であろう。
 高市大臣の発言は、完全に憲法21条違反だが、これがまかり通ってしまっているのは、日本が実質的に憲法がないがしろにされている無法国家になったということである。

 この上さらに自民党改憲案が通れば、大手を振って、電波停止も合憲となるわけだ。明治初期の言論状況よりもさらに悪いものに変えようとは、長州政権、恐るべし。
 


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