このブログの2月1日の記事「地球温暖化対策としての関税政策」に対し、みやっちblogの宮下アツシさんから以下のコメントをいただきました。
「日本国内の大手企業はパーム油からのディーゼル燃料大量生産を目的に森林消失に関与している有様で、・・・・(中略)
加えて、バイオエタノールの需要増から自然林を伐採してサトウキビ畑を増やすというのでは本末転倒のような気がしています」
バイオ燃料: やってはいけない二つの行為
本日は、みやっちさんの提起を受ける形で、この問題を考えてみようと思います。現在の世界を見渡して、熱帯林の破壊にもっとも貢献している作物は、インドネシアとマレーシアにおける油ヤシと、ブラジルにおける大豆です。熱帯林破壊の上で生産されるヤシ油や大豆油からバイオディーゼル燃料を生産して「環境にやさしい」と言うのは、みやっちさんの言うとおり、本当に本末転倒でメチャクチャな話しだと思います。
地球温暖化対策の共通認識として、先ず確認せねばならないのは、熱帯林の破壊こそ最悪の炭酸ガス排出行為であり、何にもまして熱帯林でのこれ以上の商業的プランテーション開発を抑制することを最優先に考えねばならないということです。
では既存の農地で生産されるトウモロコシやサトウキビからバイオエタノールを生産するなら良いのでしょうか?
既に多くの研究者やNGOや日本のマスコミも警鐘を鳴らしているように、そうした行為は人間の食べる分の食糧にしわ寄せが行くことになります。
実際、ブッシュが、イラク戦争の失敗で石油資源戦略に黄信号が灯ったことを受けて、昨年あわてて打ち出した「バイオエタノール増産計画」によって、トウモロコシ相場が高騰し、世界の貧困層の食糧事情を悪化させているのです。
つまり、バイオエタノールとバイオディーゼル生産を行う上で次の二つの基本原則の確立が必要になるでしょう。
(1)それが森林の農地転用に帰結することを戒める。
(2)それが既存の食糧生産機能を損なうことを戒める。
この二点です。えっ、「この二点の原則に抵触しない土地なんていったい何処にあるのだ」ですって? 大いにあります。日本人の足元に・・・。
減反した農地でエネルギー米生産
そう、減反政策によって余っている休耕田です。この土地ならば、森林破壊にも全く寄与しないし、既存の食糧生産を損なうこともありません。日本中で減反した水田や、耕作放棄された棚田などをすべてあわせれば、100万ヘクタール近くあるはずです。この100万ヘクタールを復田し、コメからエタノールを生産するのです。
私は一昨年の2005年3月にエコロジカル・ニューディール政策の一環として「国産牛の振興・治水対策・温暖化対策を同時に行う方法」という記事で、減反した土地を復田し、そこに飼料用米を作付けし、治水対策として水田の遊水地機能を回復しながら、コメからはエタノール燃料を採取し、稲ワラは国産牛の飼料にしよう、と書いたことがあります。
最近、ようやく日本でもこうした動きが本格的に始まっているようです。
折りしも、AERAの2月19日号で「イモ・コメが地球を救う」という特集をして、岩手県奥州市や新潟県三条市、福岡県築上町の取り組みを紹介しながら、各地で始まった「エネルギー米生産」の動きを特集していました。
現場で頑張っている人々には本当に頭が下がります。こうした英知にあふれ、意欲も旺盛な農家の努力が、農地を救い、日本を救い、ひいては地球を救うと思います。(日々パソコンに向かいながら、ひたすら日本の恥をさらすような排外主義を煽り続ける自称「愛国者」の方々も、野外に出て太陽の光を浴びながら日本を救う道を考えて欲しいと切に願います)
所詮は従米姿勢の現われかも?
ちなみに安倍首相は昨年11月に「国産バイオ燃料をガソリン消費量の1割にする」という目標を農水省に支持したそうです。ガソリン消費量の1割というとエタノール換算で、600万キロリットルになるそうです。
これだけ大風呂敷な数値目標を掲げたことに関して、私は大いに支持いたします(もっとも他の面では支持できない政策が多いのは言うまでもありませんが・・・)。
持続可能な社会をつくるために、国のリーダーが大きな計画目標を掲げ、民間をやる気にさせ、環境保全産業への投資を促進し、必要とあらば政府が財政資金を投入してでも応援し、そこに雇用を生み出していくというのが、エコロジカル・ニューディール政策です。
ただ、バイオエタノール生産計画に関しては、ブッシュが言い出した後の二番煎じなのが何とも痛々しいです。ブッシュよりも先に言うべきでした。そういうアイディアは在野にたくさんあったのだから・・・。
日本の政治家ときたら、アメリカの頭ごなしに戦略的な技術開発計画を立てることにも脅えてしまっているのかも知れませんね。アメリカが御墨付きを与えたバイオエタノールならブッシュの後追いで言えても、私がこのブログで主張しているような間伐材のエネルギー利用に関しては、首相の口からは出てきませんからね。
実際にどのくらいのエネルギーを確保できるのか?
さて、日本の休耕田でバイオエタノールを生産をした場合、どのくらいのエネルギーを確保できるのでしょうか? ちょっと試算してみます。
先ほど紹介したAERAの記事によれば、新潟県の三条市で、昨年試験的に牛の飼料用の超多収量米を作付けしたところ、1ヘクタール換算でなんと8トンが収穫できたそうです(食用米の1.5倍!)。8トンはちょっと多すぎるとして、ここでは平均6トンが生産できると仮定いたします。日本の減反地・耕作放棄地を100万ヘクタールかき集めたとして、日本全体では600万トンの燃料米が生産できる計算になります。
エネルギー米の1万トンを発酵させると、だいたい4500キロリットルのエタノールが作れるそうです。600万トンならば270万キロリットルになります。
ガソリン消費量の1割という安倍首相の計画目標が600万キロリットルです。日本の減反農地を全力動員しても、計画目標の半分にしかならないわけです。(もっとも木材や稲ワラ、トウモロコシの茎など繊維からもエタノールを生産する技術が確立すれば、600万キロリットルも達成可能かも知れません)。
それにしても「ガソリン消費量のたったの1割」でもいかに困難な数値かが身にしみます。やはり「ガソリン消費」の分母の方を減らす努力が絶対的に必要です。
採算は取れるのか?
さて、以上のことを実行すれば、日本の炭酸ガス排出量は大幅に減らすことができます。しかしながら最大の難関は言うまでもなく採算問題です。
先ほどのAERAの記事によれば、ブラジルなどから輸入されるバイオエタノールに対抗するためにはエネルギー米のキロ単価は20円程度に抑えねばならないのだそうです。それに対して、食用米生産農家はキロ当たり210円程度の手取りがあるそうですから、キロ20円の手取りでは誰もエネルギー米生産をしないでしょう。
関税で防衛しようとすれば、輸入バイオエタノールに1000%の関税をかけねばならなくなります。もっともこれをやれば、ブラジルなどから即座にWTOに訴えられ、有罪を宣告されることでしょう。いかにしてWTO問題を回避しながら、持続可能な日本の農地でバイオエタノールを生産できるのかが、じつに大きな問題なのです。
熱帯林の破壊にも寄与せず、既存の食糧生産へもしわ寄せが行かないという点でもっとも合理的な試みである日本の減反地でのバイオエタノール生産なのですが、価格競争というグローバル市場原理主義からの要請に従えば、もっとも不合理な試みということになってしまうのです。皆さん、世の中おかしいと思いませんか?
熱帯林を焼却して大量の炭酸ガスを排出した上で生産されたヤシ油のバイオディーゼルは、生産性も高く、価格も安い。国際市場では圧倒的な競争力があります。これは「環境ダンピング」と言ってよいでしょう。持続可能性の原理と自由貿易の原理は根本的に衝突するのです。
京都議定書という国際条約を守るために日本でバイオエタノールを生産しようとすれば、WTO協定という別の国際条約違反で訴えられる・・・・・。
私は21世紀においては、「持続可能な方法で生産されたモノは、たとえコストが高くても、持続不可能な方法で生産された低コストのモノよりも優先して使用されるべき」という原則を確立せねばならないと思うのです。
ブラジルのバイオエタノールもアメリカのバイオエタノールも、冒頭に見た(1)と(2)の原則に抵触します。ならば例え価格が高くとも、日本の農地で生産されたバイオエタノールが優先的に使用されるべきなのです。
「日本国内の大手企業はパーム油からのディーゼル燃料大量生産を目的に森林消失に関与している有様で、・・・・(中略)
加えて、バイオエタノールの需要増から自然林を伐採してサトウキビ畑を増やすというのでは本末転倒のような気がしています」
バイオ燃料: やってはいけない二つの行為
本日は、みやっちさんの提起を受ける形で、この問題を考えてみようと思います。現在の世界を見渡して、熱帯林の破壊にもっとも貢献している作物は、インドネシアとマレーシアにおける油ヤシと、ブラジルにおける大豆です。熱帯林破壊の上で生産されるヤシ油や大豆油からバイオディーゼル燃料を生産して「環境にやさしい」と言うのは、みやっちさんの言うとおり、本当に本末転倒でメチャクチャな話しだと思います。
地球温暖化対策の共通認識として、先ず確認せねばならないのは、熱帯林の破壊こそ最悪の炭酸ガス排出行為であり、何にもまして熱帯林でのこれ以上の商業的プランテーション開発を抑制することを最優先に考えねばならないということです。
では既存の農地で生産されるトウモロコシやサトウキビからバイオエタノールを生産するなら良いのでしょうか?
既に多くの研究者やNGOや日本のマスコミも警鐘を鳴らしているように、そうした行為は人間の食べる分の食糧にしわ寄せが行くことになります。
実際、ブッシュが、イラク戦争の失敗で石油資源戦略に黄信号が灯ったことを受けて、昨年あわてて打ち出した「バイオエタノール増産計画」によって、トウモロコシ相場が高騰し、世界の貧困層の食糧事情を悪化させているのです。
つまり、バイオエタノールとバイオディーゼル生産を行う上で次の二つの基本原則の確立が必要になるでしょう。
(1)それが森林の農地転用に帰結することを戒める。
(2)それが既存の食糧生産機能を損なうことを戒める。
この二点です。えっ、「この二点の原則に抵触しない土地なんていったい何処にあるのだ」ですって? 大いにあります。日本人の足元に・・・。
減反した農地でエネルギー米生産
そう、減反政策によって余っている休耕田です。この土地ならば、森林破壊にも全く寄与しないし、既存の食糧生産を損なうこともありません。日本中で減反した水田や、耕作放棄された棚田などをすべてあわせれば、100万ヘクタール近くあるはずです。この100万ヘクタールを復田し、コメからエタノールを生産するのです。
私は一昨年の2005年3月にエコロジカル・ニューディール政策の一環として「国産牛の振興・治水対策・温暖化対策を同時に行う方法」という記事で、減反した土地を復田し、そこに飼料用米を作付けし、治水対策として水田の遊水地機能を回復しながら、コメからはエタノール燃料を採取し、稲ワラは国産牛の飼料にしよう、と書いたことがあります。
最近、ようやく日本でもこうした動きが本格的に始まっているようです。
折りしも、AERAの2月19日号で「イモ・コメが地球を救う」という特集をして、岩手県奥州市や新潟県三条市、福岡県築上町の取り組みを紹介しながら、各地で始まった「エネルギー米生産」の動きを特集していました。
現場で頑張っている人々には本当に頭が下がります。こうした英知にあふれ、意欲も旺盛な農家の努力が、農地を救い、日本を救い、ひいては地球を救うと思います。(日々パソコンに向かいながら、ひたすら日本の恥をさらすような排外主義を煽り続ける自称「愛国者」の方々も、野外に出て太陽の光を浴びながら日本を救う道を考えて欲しいと切に願います)
所詮は従米姿勢の現われかも?
ちなみに安倍首相は昨年11月に「国産バイオ燃料をガソリン消費量の1割にする」という目標を農水省に支持したそうです。ガソリン消費量の1割というとエタノール換算で、600万キロリットルになるそうです。
これだけ大風呂敷な数値目標を掲げたことに関して、私は大いに支持いたします(もっとも他の面では支持できない政策が多いのは言うまでもありませんが・・・)。
持続可能な社会をつくるために、国のリーダーが大きな計画目標を掲げ、民間をやる気にさせ、環境保全産業への投資を促進し、必要とあらば政府が財政資金を投入してでも応援し、そこに雇用を生み出していくというのが、エコロジカル・ニューディール政策です。
ただ、バイオエタノール生産計画に関しては、ブッシュが言い出した後の二番煎じなのが何とも痛々しいです。ブッシュよりも先に言うべきでした。そういうアイディアは在野にたくさんあったのだから・・・。
日本の政治家ときたら、アメリカの頭ごなしに戦略的な技術開発計画を立てることにも脅えてしまっているのかも知れませんね。アメリカが御墨付きを与えたバイオエタノールならブッシュの後追いで言えても、私がこのブログで主張しているような間伐材のエネルギー利用に関しては、首相の口からは出てきませんからね。
実際にどのくらいのエネルギーを確保できるのか?
さて、日本の休耕田でバイオエタノールを生産をした場合、どのくらいのエネルギーを確保できるのでしょうか? ちょっと試算してみます。
先ほど紹介したAERAの記事によれば、新潟県の三条市で、昨年試験的に牛の飼料用の超多収量米を作付けしたところ、1ヘクタール換算でなんと8トンが収穫できたそうです(食用米の1.5倍!)。8トンはちょっと多すぎるとして、ここでは平均6トンが生産できると仮定いたします。日本の減反地・耕作放棄地を100万ヘクタールかき集めたとして、日本全体では600万トンの燃料米が生産できる計算になります。
エネルギー米の1万トンを発酵させると、だいたい4500キロリットルのエタノールが作れるそうです。600万トンならば270万キロリットルになります。
ガソリン消費量の1割という安倍首相の計画目標が600万キロリットルです。日本の減反農地を全力動員しても、計画目標の半分にしかならないわけです。(もっとも木材や稲ワラ、トウモロコシの茎など繊維からもエタノールを生産する技術が確立すれば、600万キロリットルも達成可能かも知れません)。
それにしても「ガソリン消費量のたったの1割」でもいかに困難な数値かが身にしみます。やはり「ガソリン消費」の分母の方を減らす努力が絶対的に必要です。
採算は取れるのか?
さて、以上のことを実行すれば、日本の炭酸ガス排出量は大幅に減らすことができます。しかしながら最大の難関は言うまでもなく採算問題です。
先ほどのAERAの記事によれば、ブラジルなどから輸入されるバイオエタノールに対抗するためにはエネルギー米のキロ単価は20円程度に抑えねばならないのだそうです。それに対して、食用米生産農家はキロ当たり210円程度の手取りがあるそうですから、キロ20円の手取りでは誰もエネルギー米生産をしないでしょう。
関税で防衛しようとすれば、輸入バイオエタノールに1000%の関税をかけねばならなくなります。もっともこれをやれば、ブラジルなどから即座にWTOに訴えられ、有罪を宣告されることでしょう。いかにしてWTO問題を回避しながら、持続可能な日本の農地でバイオエタノールを生産できるのかが、じつに大きな問題なのです。
熱帯林の破壊にも寄与せず、既存の食糧生産へもしわ寄せが行かないという点でもっとも合理的な試みである日本の減反地でのバイオエタノール生産なのですが、価格競争というグローバル市場原理主義からの要請に従えば、もっとも不合理な試みということになってしまうのです。皆さん、世の中おかしいと思いませんか?
熱帯林を焼却して大量の炭酸ガスを排出した上で生産されたヤシ油のバイオディーゼルは、生産性も高く、価格も安い。国際市場では圧倒的な競争力があります。これは「環境ダンピング」と言ってよいでしょう。持続可能性の原理と自由貿易の原理は根本的に衝突するのです。
京都議定書という国際条約を守るために日本でバイオエタノールを生産しようとすれば、WTO協定という別の国際条約違反で訴えられる・・・・・。
私は21世紀においては、「持続可能な方法で生産されたモノは、たとえコストが高くても、持続不可能な方法で生産された低コストのモノよりも優先して使用されるべき」という原則を確立せねばならないと思うのです。
ブラジルのバイオエタノールもアメリカのバイオエタノールも、冒頭に見た(1)と(2)の原則に抵触します。ならば例え価格が高くとも、日本の農地で生産されたバイオエタノールが優先的に使用されるべきなのです。
海、特に栄養塩類が乏しく砂漠同然の光合成しかしていない熱帯・亜熱帯の外洋です。
そこに化学肥料を薄く散布し、海藻を養殖してその海藻からバイオエタノール(と牛肉)を作ればどうでしょう。
詳しくは「こんな明日はいかが?」
http://www.moemoe.gr.jp/~nakayosi/fiction/if.html
に書いています。
それと、地球環境は生物圏によって作られ維持されているもの(=ガイア)であり、その機構の詳細が明らかではない以上、私たちの知識が増えるまでは外洋には手をつけないほうがいいと思います。何がおきるかわかったものではないでしょう。>Chic Stoneさん
>農薬とF1雑種を販売する大資本が牛耳る形ではないバイオエタノールの未来、というものにどう道筋をつけて可能性を作っていくのか、大変な問題だと思います。
大資本をどうするか、難しい問題です。それ以前にどうかできるのか、も。
最悪のシナリオは二つ、大資本が暴走した挙句文明崩壊、または大資本が人類の大半を人工伝染病で選別する(僕は黙示録計画と呼んでいます)、です。
ではそれを防いだとして、どうするか…世界共産主義革命で大資本を排除するか、それとも大資本の力を利用して賢明に文明を運営するか、他に何かあるか…。
>機構の詳細が明らかではない以上、私たちの知識が増えるまでは外洋には手をつけないほうがいいと思います。何がおきるかわかったものではないでしょう。
その懸念は確かにあります。
しかし、それをいうなら今の熱帯雨林の伐採も、これまでのあらゆる森の伐採も、陸上耕地への化学肥料の施肥や農薬の利用も産業革命自体も、それ以前の灌漑の初めから同じことがいえます。
人類の文明自体が「何も分かっていない自然を作り変える」無謀な営みです。
研究はすべきですが、外洋に手をつけられるほど…それをいうなら農地を灌漑できるほど人知が進むことは考えられません。永遠に無理ですし、今後下手をすれば十年で深刻になる文明崩壊には絶対間に合いません。
外洋への施肥もしない、熱帯雨林も伐採しない道はあるのでしょうか?
人類の九割を殺さない、また世界環境共産主義の強制収容所で皆が薄いトウモロコシ粥だけの半飢餓状態で生きるのでもない道はあるでしょうか?
核融合炉が実用化されれば砂漠に海水を淡水化した水をまけるかもしれませんが、核融合炉は無理だという前提で考えなければならないでしょう。
僕はなんとか、誰も餓死せず「百億にマクドナルド」を供給したいのです…毎日牛肉は無理にしても、週に二日は肉や魚が食べられる生活を全人類に。
そのための緊急避難として外洋開発を考えているのです。
一人の餓死も奴隷も、選別も文明崩壊もない未来を選びたいのです。
仮に外洋開発が成功しても、現行の経済システムではその程度のマージンはあっという間に食い尽くされるでしょう。
それから、地学的立場からは一瞬も同然とはいえ、歴史的にはそれなりに長い試行錯誤の上にある農業と、まったく未経験の領域である外洋の開発を同列に論じることはいささか乱暴ではないでしょうか。現在の熱帯雨林の伐採でさえ、今すぐに対策をとればかなりの部分が回復可能なはずです。一方、地球環境のバッファーとなっている可能性の高い外洋の富栄養化が何をもたらすか、まったく未知なのです。最近ウナギについて大変面白い発見がありましたが、事ほど然様に海は繋がっています。短慮を恥じず思い付きを申し上げるならば、施肥した栄養塩類の殆どが沿岸部に流れ着いて大規模な赤潮を発生させ、近海漁業壊滅なんていう可能性もあるかもしれません。
>現在の危機を救う鍵はテクノロジーではなく、経済システムにあると考えています。
では、厘斗さんが理想とする未来はどのようなものでしょう。
・人口は=意図的であるにせよないにせよ、大量死はあるかないか。
・貧富について。特に最弱者・最強者それぞれの生活(食料+エネルギー)水準は。
・食料はどこで得るか。水は。
・エネルギーは何(どこ)から得るか。(バイオエタノールや化学肥料のように、ある程度食料とエネルギーは互いに変換できます)
・政治・経済システムは?政治的自由度、主権は誰にあるか。
など、最大限うまくいった場合についてどのようなイメージがあるでしょうか?
>農業と、まったく未経験の領域である外洋の開発を同列に論じることはいささか乱暴ではないでしょうか。
現在の農業の相当部分は、明らかに狂気の沙汰です。
そして、熱帯林も切らず外洋もいじらず、持続可能で安全だと伝統で確かめられている農業だけで、今の人口さえ養うことはできるのでしょうか?十億、いや五億まで減らすか、餓死ぎりぎりの配給に限定すればできるかもしれませんが…僕はいやです。
外洋開発について、ご指摘のリスクは充分理解しています。
ですが、僕はそのリスクを承知で、一つの選択肢、未来像を提示したのです。
どんな明日を選ぶか…安全な道などないと僕は考えています。もう手遅れである可能性も大きいのです。
でも予測不能だからこそ全力で研究し、そして選択すべきです。
リスクがある、テクノロジーは嫌いだ、で百億を食べさせ、教育・介護し、枯渇せず地球を壊さないエネルギーを確保し、持続可能文明に転換し、地球の傷を癒すことができるでしょうか?
Chic Stoneさんの科学的知見の豊富さ、鋭さにはいつも驚嘆させられます。
私も、ひたすら大規模化・モノカルチャー化・遺伝子組み換え化・熱帯林破壊へと邁進する今の資本主義的農業は狂気の沙汰だと思います。
外洋開発は、多少のリスクはあっても、今のこの狂気を少しでも代替できる可能性があるのなら、試してみるべきかと思います。でも如何せん、その辺の自然科学的知識が欠如していてあまり口をはさめず、申し訳ございません。
とりあえず言えることは、まずは小規模な試験から始めようということでしょうか。
また、プランテーションをはじめとする大規模農法を放棄し、「持続可能」な農業のみを残しても、SRIのような技術を考えれば、食糧を確保することは十分可能だと思います。大規模農法を放棄し、農産物をWTOから除外する道筋がないことが最大の問題でしょう。
マクロビオティックではなるべく近隣の地域でとれた有機農産物を使用するということが体にいいからという理由で推奨されていて、それ自体は栄養学的根拠がありませんが、この考え方は地域経済を守るためには大変有効なのではないかと思います。マクロビオティックはおいしいですし、トンデモ栄養学的側面を削ぎ落として郷土愛的な意味合いでの身土不二に変換できればよいと思いますね。
外洋開発について、多少のリスクとおっしゃいますが、海洋における富栄養化と海洋微生物の光合成量増大は全地球凍結の原因のひとつとされています。全地球凍結が本当にあったのなら、それは複合的な原因によって起きたとされていますから、外洋開発によって即凍結の危険があるとはいいませんし、外洋開発を頭からすべて否定するつもりはありませんが、関さんが言われるように、小規模な試験からはじめるべきですし、地球環境についての地道な研究を重ねてシミュレーションを行い、慎重の上にも慎重に行うべきです。
http://www.jimbo.tv/videonews/000345.php
を見ると温暖化は今後100年で最大6.3℃ということなので、最大ならLPTMに匹敵し、確かに大変なことです。しかし、このマル激では日本が温暖化対策の劣等生になりつつあることも指摘されています。こういう身近なところからの地道な努力の積み重ねで排出量を削減する努力をすることが重要なのではないでしょうか。それをせずに一発逆転を狙う、というようにも聞こえてしまいます。
それに、外洋を開発するのは結局は大資本でしょう。そこで働く論理はヤシ畑のそれと違わないのではないでしょうか。「持続可能」な外洋開発が可能なくらいわれわれの社会が成熟しているならば、現在のような森林破壊は起こらないのではないでしょうか。
バイオエタノールについても、地域経済の中にとどまっている限りはいいのですが、グローバルな話になると環境負荷が跳ね上がりますので、そうならない道筋が必要でしょう。これはテクノロジーの問題ではありません。間伐の問題だってテクノロジーでは解決できないでしょう。
私はテクノロジーが嫌いではありません。どちらかというと開発側の人間ですしね。しかし、大きな問題に際してひとつの手法に過度に期待するような単純化はよくありません。それはモノカルチャーを生み出したのと同じ論理ですよ。
コメントも含めありがとうございました。
確かにまず小規模試験を急いで欲しいです。
僕も数値レベルで研究できる力はないので、ただ考えて欲しいというだけです。
>厘斗さん
互いに誤解があるようです…
大資本、技術主導の文明が現在の自然破壊を生んでいる、ということに対する危機感は僕もかなり共有しています。
それを現実にどう制御するか、いろいろ考えるべきでしょう。
また、逆に誤解されていないか不安なのですが、僕は外洋開発一点張りではないです。充分な試験、研究も当然ですよ。
むしろできることは全部やるべき、という考えです。
「こんな明日はいかが?」でも海洋開発を中心に描いていますが、他にも砂漠緑化、太陽発電、二酸化炭素固定型火力発電、風力発電、宇宙鏡、将来的には宇宙太陽光発電などあらゆる方向から現在のように原生林破壊型でなくバイオマスを増やしてエネルギーと食料を得、緑を増やして二酸化炭素を吸収する手段を模索しています。「こんな明日」と同じ世界で、元砂漠の緑地を主舞台にしてもよかったのです。
地産地消、身土不二も輸送にかかる炭素税が高く、自給自足・持続可能・伝統型農林業に大きな補助金がありますから自動的に実現されています。
また作中では社会自体、人類全体の主権が大資本から移行して人類(+α)全体で「誰も餓死しない、文明崩壊を防ぐ」目的を追求していますから、今の世界とは根本的に前提が違いますね。
現在の社会をどうよくするか、とはもう違う領域かもしれません…逆に、人類全体の主権をどうすれば大資本から民主化し、目的を明確にするか、もっと考えなければ。
サトウキビはともかく、トウモロコシで人間の食料と競合する、というのはプロパガンダではないかと私は考えています。特に一頭の牛の成育に必要な穀物の量で何百人分の栄養をまかなえると聞いたことがあります。また牛が食べるアルファルファを育てるには大豆の10倍の水が必要だそうです。
米の転用ももちろんですが、先進国の人間が牛肉を食べる量をちょっと減らせば済むんじゃないかと私は考えています。
〉サトウキビはともかく、トウモロコシで人間の食料
〉と競合する、というのはプロパガンダではないかと
〉私は考えています。
確かに、もしかしたらプロパガンダかも知れません。私もこれを書いた後、「まてよ」といろいろ考えるところがありました。
バイオエタノールブームで国際的にトウモロコシ価格が高騰したのは事実です。しかし、もしかしたらアメリカの輸出補助金付の遺伝子組み換えトウモロコシの輸出量が減った方が、他の国は食糧自給率を上げることができ、穀物価格の上昇は世界の貧困農家にとっては良いニュースかも知れません。
トウモロコシの原産国であるメキシコはNAFTA(北米自由貿易協定)に加盟してから、トウモロコシ生産が激減しました。古代マヤ文明の当時からトウモロコシを栽培してきた先住民族の小規模農家が、安価な米国産遺伝子組み換えトウモロコシの輸出攻勢を受けて、農業を続けていられなくなったのです。それこそ何百万人が離農したとも言われています。(正確な統計数値はないらしい)。
「NAFTAは先住民族にとって死を意味する」との声明を発しメキシコでサパティスタ民族解放軍が反乱をおこしたのも、米国トウモロコシの輸出攻勢が原因だったのです。
アメリカがバイオエタノールにトウモロコシを回して、価格が上昇してくれた方が、メキシコの先住民族はまた伝統的なトウモロコシ農業を復活させることができるかも知れません。
日本の食糧自給率を上げるのにも有利かも知れません。
そういうわけで、とくにアメリカの遺伝子組み換えトウモロコシに関しては、どんどんバイオエタノールに回してくれるのが良いのかも・・・・(本当は作付しないのが一番よいのですが)。ちょっと詳しく調べる必要がありそうです。
牛肉に関しては、おおせの通り、牛肉なんか食べない方が、世界は丸くおさまると思います。 ただアメリカ人にとっての牛肉は、日本人にとってのコメと同じくらいの民族的な思い入れがあるようですので、アメリカ人に「牛肉食べるな」とは言いませんが・・・・・。
でも日本人の場合、もともと牛肉なんか食べなかったのですから、食べなくても平気でしょう。(私は実際に牛肉は食べません)。