多忙だったため全くブログの更新ができずに申し訳ございませんでした。私が更新を怠っている間、コメント欄で大変に楽しい議論がなされました。それを紹介したいと思います。
以前にも書きましたが、私は「廃県置藩」論者です。その心は、地球温暖化問題を含め環境問題を根本的に解決するためにも、そして戦争のない平和な社会を実現するためにも、それがもっとも合理的な方法だと思うからです。
地球温暖化対策として再生可能エネルギーを振興する中で、エネルギー供給システムは大規模集中型から小規模分散型に移行させ、エネルギー資源の地域循環、食糧の地産地消を促進させねばなりません。それを制度的に支援するためには、統治の基本単位を、国でも県でも市町村でもなく、江戸時代の藩レベルの大きさの行政単位に移すのがもっとも合理的だからです。
廃県置藩後の行政単位は、国=藩=村(町内会・自治会の範囲)という三層構造でよいと思います。いま議論されている「州」という行政単位を国と藩の中間にはさむ必要があるのかというと、私は否定的です。
最近、同じく「廃県置藩」論者花ブナさんから素晴らしいトラックバックをいただきました。「お金を人と自然に優しいものに変える方法:減価通貨による地域エコ経済システム運営」という記事です。皆様、ぜひご覧になってください。
日本円と並行して利子のつかない地域通貨であるエコマネーを藩レベルで導入し、地域の食糧・エネルギー・資源の地産地消をエコマネーによって推進しようという構想です。国レベルで取引される財には日本円、地域で循環する財にはエコマネーという二重通貨体制にするという構想です。
江戸時代、幕府は公式の通貨である金貨・銀貨・銭貨を流通させていました。と同時に、地域主権を有する各藩の多くは、幕府の公認通貨とは別に、藩札という独自の地域通貨を発行し、地域に流通させていました。
バブル崩壊後の日本経済を見ても明らかですが、そして今後の米国経済でも明らかになりますが、不況になると通貨は退蔵されて市場になかなか出てこなくなります。そこで国家が強制的に通貨を流通させるケインズ政策が必要になるのです。私がこのブログで書いているエコロジカル・ニューディールの処方箋は、もっぱらそうした観点での施策でした。
しかし国レベルでの雇用対策・内需拡大策のみならず、それほ補完する意味でも、有利子通貨である日本円とは別に、無利子の藩通貨を導入するとうのは大変に魅力的なアイディアです。やはり処方箋は重層的に存在した方が、危機に強い社会システムになります。
日本におけるポスト近代社会は、江戸の封建制と近代市民社会のアウフヘーベンとして誕生するでしょう。「封建制」を支持するような発言をすると、マルクス主義者の方々に「お前は保守反動か!」などと怒鳴られそうです。私に言わせれば、マルクス主義者の封建制の理解の仕方がおかしいのです。マルクス主義者は封建制というと、身分制度のことだとか、大地主制度のことだとか考えたりするようですが、本来の意味での封建制とは、中央集権型ではない、地方分権型の統治システムのことなのです。
つまり中央に天子がいて権威を有するが、実質的な政治は地方の諸侯によって分権的に担われているという統治形態が、本来の封建制の意味です。
中国では封建制というシステムは周の時代にしか存在しませんでした。秦の始皇帝の中国統一以来、現在の共産党システムに至るまで、戦乱の時期を除けば一貫して中央集権的官僚支配体制です。
マルクス主義者は、明朝や清朝を「封建制」と呼ぼうとしますが、あれは中央集権体制なのであって封建制ではありません。マルクス主義の発展史観では中国の歴史は分析できないのです。 中国の歴史では周の時代にしか封建制はありませんでした。日本の江戸時代は戦乱も回避した高度に発達した封建制度でした。
封建社会と近代社会をアウフヘーベンしたポスト近代社会は「市民的封建制度」とでも呼ぶべきかも知れません。つまり、世襲制の諸侯や身分制度こそありませんが、ゆるやかな分権体制という点では江戸時代に学ぶべきなのです。
以前にも書きましたが、私は「廃県置藩」論者です。その心は、地球温暖化問題を含め環境問題を根本的に解決するためにも、そして戦争のない平和な社会を実現するためにも、それがもっとも合理的な方法だと思うからです。
地球温暖化対策として再生可能エネルギーを振興する中で、エネルギー供給システムは大規模集中型から小規模分散型に移行させ、エネルギー資源の地域循環、食糧の地産地消を促進させねばなりません。それを制度的に支援するためには、統治の基本単位を、国でも県でも市町村でもなく、江戸時代の藩レベルの大きさの行政単位に移すのがもっとも合理的だからです。
廃県置藩後の行政単位は、国=藩=村(町内会・自治会の範囲)という三層構造でよいと思います。いま議論されている「州」という行政単位を国と藩の中間にはさむ必要があるのかというと、私は否定的です。
最近、同じく「廃県置藩」論者花ブナさんから素晴らしいトラックバックをいただきました。「お金を人と自然に優しいものに変える方法:減価通貨による地域エコ経済システム運営」という記事です。皆様、ぜひご覧になってください。
日本円と並行して利子のつかない地域通貨であるエコマネーを藩レベルで導入し、地域の食糧・エネルギー・資源の地産地消をエコマネーによって推進しようという構想です。国レベルで取引される財には日本円、地域で循環する財にはエコマネーという二重通貨体制にするという構想です。
江戸時代、幕府は公式の通貨である金貨・銀貨・銭貨を流通させていました。と同時に、地域主権を有する各藩の多くは、幕府の公認通貨とは別に、藩札という独自の地域通貨を発行し、地域に流通させていました。
バブル崩壊後の日本経済を見ても明らかですが、そして今後の米国経済でも明らかになりますが、不況になると通貨は退蔵されて市場になかなか出てこなくなります。そこで国家が強制的に通貨を流通させるケインズ政策が必要になるのです。私がこのブログで書いているエコロジカル・ニューディールの処方箋は、もっぱらそうした観点での施策でした。
しかし国レベルでの雇用対策・内需拡大策のみならず、それほ補完する意味でも、有利子通貨である日本円とは別に、無利子の藩通貨を導入するとうのは大変に魅力的なアイディアです。やはり処方箋は重層的に存在した方が、危機に強い社会システムになります。
日本におけるポスト近代社会は、江戸の封建制と近代市民社会のアウフヘーベンとして誕生するでしょう。「封建制」を支持するような発言をすると、マルクス主義者の方々に「お前は保守反動か!」などと怒鳴られそうです。私に言わせれば、マルクス主義者の封建制の理解の仕方がおかしいのです。マルクス主義者は封建制というと、身分制度のことだとか、大地主制度のことだとか考えたりするようですが、本来の意味での封建制とは、中央集権型ではない、地方分権型の統治システムのことなのです。
つまり中央に天子がいて権威を有するが、実質的な政治は地方の諸侯によって分権的に担われているという統治形態が、本来の封建制の意味です。
中国では封建制というシステムは周の時代にしか存在しませんでした。秦の始皇帝の中国統一以来、現在の共産党システムに至るまで、戦乱の時期を除けば一貫して中央集権的官僚支配体制です。
マルクス主義者は、明朝や清朝を「封建制」と呼ぼうとしますが、あれは中央集権体制なのであって封建制ではありません。マルクス主義の発展史観では中国の歴史は分析できないのです。 中国の歴史では周の時代にしか封建制はありませんでした。日本の江戸時代は戦乱も回避した高度に発達した封建制度でした。
封建社会と近代社会をアウフヘーベンしたポスト近代社会は「市民的封建制度」とでも呼ぶべきかも知れません。つまり、世襲制の諸侯や身分制度こそありませんが、ゆるやかな分権体制という点では江戸時代に学ぶべきなのです。
市民と政治が近くなる。
多様性が生まれ、変化に対して相対的に強くなる。
帝国主義時代に日本が近代化出来たのをヨーロッパのそれとの類推から封建地域間の競争による殖産興業とか身分固定による職業倫理などに原因を求める考え方があるようですが、それだけではないと思います。
環境が激変した時代にそこに対応できるだけの多様性が当時の日本にあった。適応できない藩もあれば巧く時代の波にのれた藩もあった。
そういうことでしょう。
現代には移動の自由がありますから、市民は成功する地域を選べるのですし、教育にしろ産業政策にしろ、自らにフィットする地域を選べば良い。
あるいは、政治が身近になるという事は我々の相対的な発言力が大きくなるということですから、自らの地方の政策を自らの望む方向に向けさせていけば良い。
ただ、どのくらいが適正な地方政治の規模かというのは、ちょっと私には判断つきかねます…。
公共事業規模とか福祉財源の安定とか…
三層構造の中で私は「村」を重要視します。中央集権の金融資本主義体制で崩壊しつつある村の自治とロスト・ジェネレーションの痛みが「共有」されることで、両者に新たな目覚めが起こることを期待します。地方の村は村で、近代的・構造的な病根を抱えています。都市の労働者をそのまま田舎に受け入れれば問題が解決するとは思っていません。そこには「共苦」に基づく意識改革が必要だと思っています。
で、地域通貨としては、まずは藩札ならぬ「村札」を導入します。これは「減価する通貨」であることが重要です。具体的理由は記事にありますが、そうしないと陰陽のバランスがつりあいません。
日本や中国の歴史に関してマルクス主義者が抱く誤解については全く同意します。
http://www.h3.dion.ne.jp/~b-free/shiranai-index.html
面白さに釣られて思わず目次から辿ってこのページ以外も全部読んでしまいました。
ただ「反ロスチャイルド同盟」という名称が、一般性に欠けるというかなんと言うか。
陰謀論との先入観を与えてしまっては敬遠されると思うのですが。
説得力はありますね。
>性が当時の日本にあった。
本当にそう思います。やはり人類が生き残るためには、多様性を確保せねば。そのためにも、アメリカン・スタンダードで世界が一色に塗りつぶされるのを回避せねば・・・・。
300余の藩ができれば、よい政治のモデルもでき、悪い政治のモデルもできるでしょうが、住居移転の自由さえ確保しておけば、悪い政治は「足の投票」で淘汰されますから。多様性は維持されつつ、社会的厚生も高めていくと思います。
>を導入します。これは「減価する通貨」であること
>が重要です。
なるほど。減価する通貨を導入するとどのようになるのか、じつはまだ私には具体的イメージが得られぬのですが、まあ実際に実験してみればよいことですね。
減価する通貨は、顔の見える範囲なら信用されるやも知れませんが、大規模な商品流通に適用するのは難しそうなので、やはり村・地域自治会の領域内で取引される財とサービスということですね。
とりあえずいろいろと実験してみることが大事だと思います。学びながら、よいものが進化していくことでしょう。
>>村・地域自治会の領域内で取引される財とサービス
まずはここからだと思います。後は(日本であれば)河の上流から下流・海岸までの村・自治体をつなぐ形に広がることが望ましいと思っています。
このことは都市(まち)・農村・山村・漁村の間で行商体制ができるということとほぼ同義です。これがある程度の規模になったのが21世紀の「藩」になると考えています。
>Cruさま
>>花ブナさまのTBのリンク先「反ロスチャイルド同盟」(?)と関係ありそう
リンク先の「日本人が知らない恐るべき真実」は反ロスチャイルド同盟の管理人さん(あべよしひろ氏)が以前運営していたサイトです。
あべ氏はもともとは地域通貨の草分け的専門家で本も出しています。
やや陰謀論的な解釈が強いことを除けば、上記のサイトはお金の歴史についてとても参考になりますし、私は彼の業績に敬意をもっております。以前あべ氏とはネットで少し議論したことがありますが、彼は長らく地域通貨をやられてきて、ある種の限界を感じておられるようです。あのようなセンセーショナルなタイトルを取る理由としては、お金のめぐる問題をなるべく多くの人に知ってもらい、アメリカのロン・ポールの主張のように、民主的な方法で、私企業であるところの銀行家から政府に通貨の発行権を移行させることを考えておられるようです。
私は彼らのいうことにも理はあると思っておりますが、「闇」を見つめすぎるように思っています。庶民に必要なのは、自分の生活の安全や幸せの確保であって、世界の闇と戦うことではないでしょう。資本主義の裏の「構造」をある程度理解しておくことは重要ですが、その打倒に活動目標を持っていくのは(義侠心あふれる国際エリートでもない限り)危険だと判断しています(私や平和党は、むしろ「包んで超える」ための社会基盤を作りましょう、というスタンスです)。なので、私のブログのブックマークにはその手のサイトは加えず、スポット的に紹介するのみにしております。以上、ご理解いただければ幸いです。
以前、あべさんと交わした議論の一部は「るいネット」で紹介されていました。また同時に紹介されている「晴耕雨読」をあわせて読むと陰謀論とのバランスが補正できると思います。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=165054
花ブナさま、了解いたしました。大変妥当な姿勢に感銘を受けました。
戦国の世には「逃散」というものがあった由。
(新しいところでは三閉伊一揆とか)
住み良い場所を選ぶ権利を有効に機能させるためにも地方の活性化できる施策が進むよう声を上げ行動していくべきですね。
ただ、江戸時代というのは決して人々が幸せであった時代とばかりは言い切れない。その負の面にも正面から向き合わなくてはアウフヘーベンなど望むべくも無いでしょう。
一番気になるのは、「300余の藩ができれば、よい政治のモデルもでき、悪い政治のモデルもできるでしょうが、住居移転の自由さえ確保しておけば、悪い政治は「足の投票」で淘汰され」る、という点です。江戸時代には飢饉がしばしば起こりました。そうした際に各藩が連携して危機回避を行ったかというと、そうではなかったと思います。住居移転の自由によりこうした面を相殺する意図はわかりますが、実際には制度をいくら整えても、事実上転居できない人は出てくるでしょう。それは原理的に救い得ない、ということで切り捨てる、ということになってしまうのでしょうか?
>とばかりは言い切れない。
職業選択の自由、起業活動の自由、学門の自由が制限されていたことは、やはり江戸社会の暗い側面だと思います。
>江戸時代には飢饉がしばしば起こりました。そうし
>た際に各藩が連携して危機回避を行ったかという
>と、そうではなかったと思います。
そして江戸のもっとも暗かった点は、享保、天明、天保という三つの大飢饉を回避できなかった点でしょう。これは、西南日本の余剰のある藩が、主に東北で飢えている藩に食料を供給できれば回避できていたと思います。
その点で、国の単位での中央政府の機能というものは必要不可欠です。ですので闇雲に主権を藩に委譲せよと叫んでいるわけではなく、再分配を公正に行うための中央政府の機能も引き続き重要だと思います。