代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

真田丸第2回「決断」感想

2016年01月17日 | 真田戦記 その深層
 今週は故・林邦史朗さん演じる武田信玄の亡霊が登場。NHKの時代劇の殺陣を長年にわたって指導してこられた功労者。自決直前の勝頼と、その夜に真田昌幸に何かを伝えにやってきた信玄。あのシーンの撮影の後、林邦史朗さんはご他界されたそうです。

 信玄は、何も言わずじーっと勝頼と昌幸を見つめ、眼でそれぞれ何かを訴えていきました。じつに印象的な眼でした。勝頼に対しては、ただ寂しそうな眼でした。また、自分の軍略の全てを注ぎ込んだ愛弟子の真田昌幸に対しては、「後は託した」と言いたそうな眼でした。これが亡くなる直前の林さんの最後のメッセージだと思うと、私も自然に背筋を正して視聴しておりました。林さん、NHKのスタッフと俳優たちに対しても、「後は託した」と告げられていたように思えます。

 心なしか、信玄登場のあとの大泉信幸と堺信繁の殺陣は冴えていたようです。家族を救いにきた草刈昌幸さんが、一撃で小山田家臣を射抜くシーンは鳥肌ものでした。
 この救出シーンはクランクインして早い時期に撮影されたようですが、草刈さんはこれで真田家の結束が固まっていったように話されていました。今後、ますます一族の絆が深まって好演が期待できると思います。

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 小山田の手勢が真田を生け捕りにしようとしたというストーリーは不要な脚色だったかな・・と思えました。まず、武蔵・甲斐国境の小山田領から、真田一行を捕えようと軽井沢まで追ってくるといっても、甲斐の領国はすでに織田勢が充満しています。甲斐国内を通って軽井沢まで行くというのは設定的に無理があります。
 母上が扇子を落として百姓姿の変装がバレるという設定も、ちょっとリアリティを欠くように思えます。
 
 実際の史実は、ドラマで描かれた以上に緊迫した絶対絶命の状況だったようです。かなり信憑性が高い史料と思われる、沼田藩真田家に伝わる『加沢記』の記述を紹介します。
 『加沢記』によれば、新府より落ち延びる真田一行は、野盗や「信州のスッパや上州と武州のワッハ」およそ一千余人に囲まれたとあります。ここで「スッハ」「ワッハ」とあるのは、私もよく分からないのですが、多分、サンカのことを指しているのでしょうか? 対する真田勢は、女子供含めて200人。女・子供を含めた200人が、1000人の山賊に囲まれたのでは、絶対絶命です。

 信幸と信繁の母は「盗賊に襲われて死ぬくらいなら自害します」と自害を決意。こっちの母はドラマの中の母上よりはるかに凛々しい! 信幸が母を必死に押しとどめ、奇策を用いて野盗の群れを追い散らしたとのこと。信幸は200人の真田一行を三手に分け、それぞれに貝や太鼓や旗指物を持たせて、三方から貝を吹き鳴らし、鬨の声をあげさせます。山賊は、真田ではなく、織田の大軍に囲まれてしまったと勘違いして、逃げて行ったとのことです。『加沢記』の信幸は、十文字槍を引っさげて、武田勝頼より貰い受けた駿馬にまたがり、獅子奮迅の活躍をしています。
 小山田の手勢に騙されるというよりも、こっちのストーリーをそのまま採用した方がよかったのではと思いました。実際の史実の状況の方が、今回のドラマ以上にドラマティックだったのではないかと思われます。

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 巨大な岩櫃城の城郭が、実写とCGの組み合わせで見事に再現されていたのは感動いたしました。在りし日もあんな感じだったのかと思います。真田昌幸がもっとも頼りにしたのが岩櫃城でした。武田の大軍が全力で攻めてびくともしなかった砥石城よりも、北条軍が何度攻撃してもその都度撃退した沼田城よりも、昌幸は、岩櫃城こそが織田=徳川連合軍を迎え撃つことのできる最大の防御力を持つと判断したのです。岩櫃城に行けば、その理由は分かるかと思います。

 一緒に観ていた中1の息子が、「もし勝頼が岩櫃城に来ていたらどうなったの? やっぱり織田には勝てないよね?」と訊いてくるので、「いやあの城だったらどうなっていたか分からないよ」と答えておきました。
 
 ドラマの後の今週の紀行では岩櫃城が紹介されました。昌幸が勝頼を迎えるために造営した御殿の跡も映されました。できればドラマの中でも、昌幸が御殿を急ピッチで普請する様子なども描写されればよかったのにと思いました。
 『加沢記』によれば、昌幸は榛名山や猿渡の山中なに杣人を入れ、急いで材木を調達して、わずか三日の突貫工事で勝頼のための書院まで造ってしまったとあります。


PS 紀行では、岩櫃城とともに、真田の郷から岩櫃を結ぶ真田道も紹介されました。じつは岩櫃城のすぐ上に、現在、八ッ場ダムの巨大な工事現場が広がっています。真田道はダムに水没させられて寸断されます。真田家の忍者が修行したであろう吾妻渓谷の一部も、いままさにダムで破壊されようとしています。
 八ッ場あしたの会のツイッターに八ッ場ダムで沈む真田道の写真が投稿されていました。以下です。

https://twitter.com/yambatomorrow/status/688706807754166272



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