最近、仕事で多忙だったためブログの更新ができず申し訳ございませんでした。本日は少しアカデミックな話題をいたします。3月13日の私のブログの記事「政府の失敗再考」に、経済学者の塩沢由典先生が訪れてコメントをしてくださいました(塩沢先生がコメントしてくださったのは3月25日)。私が塩沢先生のブログにコメントしたら返信して下さったのです。塩沢先生は、進化経済学/複雑系経済学と呼ばれる分野に関して、世界的に先駆的な業績をあげた方です。そこで本日は、塩沢先生の業績である複雑系の経済学に関する話題などを提供してみることにいたします。(もっとも私は経済学者ではありませんので、以下に書くことはあくまでもシロートから見た感想であることをご了承ください)。
本ブログの底流にあるのは、新古典派経済学に基づく市場原理主義による世界支配が続けば、失業の増大、貧富の格差の増大、世界経済のカジノ化、バブルの生成と崩壊の頻発化、戦争、デフレスパイラルから恐慌、さらには地球環境の破局的な破壊…… などに歯止めがかからず、結局は人類の生存そのものが不可能になるという危機意識です。
このブログで米国批判のトーンが強いのは、市場原理主義による世界的カタストロフィーの震源地が米国だからです。私は米国という国家を批判しているのではなく、彼らが世界各国に押し付けている市場原理主義というイデオロギーを批判しているのです。彼らが一国内で市場原理主義を実践することは彼らの勝手で何も申しませんが、違う価値観・違う文化を持った人々に対し、強圧的な手法で彼らのイデオロギーを押し付けてくることには耐えられないのです。
そして彼らは、単なるイデオロギーでしかない市場原理主義を、あたかも科学的真理であるかのように主張いたします。単なるイデオロギーに「科学」の粉飾をほどこしているのが、「新古典派経済学」という根本的にインチキな学問分野なわけです。
さて現在の世界を見渡して、新古典派経済学に対してもっとも根源的な批判を行い、新古典派の体系とは全く異なる新しいパラダイムを構築しようとしている経済学の分野が、進化経済学あるいは複雑系経済学の分野です。日本の進化経済学会の現在の会長が塩沢由典氏です。
塩沢氏は1985年から経済システムを「複雑系」と捉える見方を確立していました。1980年代の一連の論文がまとめられて1990年に『市場の秩序学 ―反均衡から複雑系へ―』(筑摩書房)が出版されていますが、これは世界で初めて「複雑系」という言葉がタイトルに入った経済学の書物なのではないかと思います。
その中で塩沢氏は、丸山孫郎の「セカンド・サイバネティックス」の理論や、非平衡熱力学分野のイリヤ・プリゴジンらの散逸構造理論を経済システムに導入し、収穫逓増の条件下では初期状態でのわずかな逸脱が正のフィードバックで増幅する、つまり、ゆらぎが累積的効果を得て、経済構造は分岐に至り、経済システムでは、比較的長い時間続く安定化ないし準安定化の過程と、累積的に変化する短期の構造変化の過程が交互に現れると論じています。
日本で「複雑系」というと、米国の科学ジャーナリストのM.ミッチェル・ワールドロップの著作である『複雑系』(新潮社)という本が1996年に出版され、米国のサンタフェ研究所における複雑系研究が紹介されたことによって一時的に社会的ブームが起こりました。(そのブームは数年で終わりましたが)。
その本では、米国において複雑系の経済学を打ち立てたサンタフェ研究所のブライアン・アーサー氏が英雄のように持ち上げられていました。米国のトレンドを受け売りすることしか脳のない日本の経済学者やエコノミストは、こぞってアーサーの業績を褒め称え、彼の理論を紹介するような商業出版物が、日本で相次いで出されました。
しかしながら、経済システムを複雑系とする見方は、塩沢由典氏の方がサンタフェ研究所のアーサー氏よりも早くから提唱していたことなのです。
ちなみに塩沢氏の他にも、日本においては、独自の視点で費用逓減の経済学を構築した村上泰亮氏(『反古典の政治経済学(上・下)』中央公論社、1992年を参照)、経済学に生物のニッチや適応戦略の理論を導入していた西山賢一氏(『企業の適応戦略』中公新書、1985年を参照)など、サンタフェ研究所に先駆けて「進化経済学」の見方を確立していた研究者がいます。
当時の私には、なぜあそこまでサンタフェ研究所の活動が礼賛されねばならないのか、サッパリ分かりませんでした。自然科学分野の複雑系研究にしても、サンタフェ研究所のそれは、散逸構造論を構築したベルギーのイリヤ・プリゴジンらや、シナジェイティクス理論を構築したドイツのヘルマン・ハーケンらの業績の二番煎じに過ぎず、哲学的深遠さにおいてもプリゴジンには遠く及ぶものではないように思えました。
私は当時、年の半分はフィリピンの山の中でフィールドワークをしていましたが、あの異常ともいえるようなサンタフェ研究所の礼賛の嵐という「複雑系ブーム」を横目で見ながら、日本人の米国信仰もここまで極まったか、と深く嘆息するしかありませんでした。
ポール・クルーグマンなんていう、人の国だと思って適当な内政干渉まがいの主張ばかりするいい加減な経済学者の著作が、何冊も本屋に平積みになり、日本人がありがたがってそれらに飛びついている様子は、私には絶望的な事態であるように思えました。そういう信仰的態度のしっぺ返しが、ちょうど複雑系ブームの直後に発生したアジア通貨危機・金融危機であったのだと思います。
そういえばドイツの物理学者のヘルマン・ハーケンは次のように述べて嘆いておりましたっけ。「アメリカのような大国では、多数の読者がいるので出版は容易で効果的である。そのため英文の雑誌は世界中に出回り、シナジェイティックスの考えではそれが支配者の役を果たすようになる。雑誌の輸出は思考の輸出を表すが、これによって、ヨーロッパの科学者の業績はしばしば正当に扱われないことがある。どんな分野の発展も、すべてアメリカからきたようにみえるからである」。(ヘルマン・ハーケン『自然の造形と社会の秩序』東海大学出版会、1985年、237頁)。
おそらく塩沢氏は、このハーケンの嘆きが痛いほどよく分かることかと思います。
気がついたら経済学から話がそれていました。長くなってきましたので、新古典派経済学の何が根本的に間違っているのかに関しては、また別の機会に書くことにいたします
本ブログの底流にあるのは、新古典派経済学に基づく市場原理主義による世界支配が続けば、失業の増大、貧富の格差の増大、世界経済のカジノ化、バブルの生成と崩壊の頻発化、戦争、デフレスパイラルから恐慌、さらには地球環境の破局的な破壊…… などに歯止めがかからず、結局は人類の生存そのものが不可能になるという危機意識です。
このブログで米国批判のトーンが強いのは、市場原理主義による世界的カタストロフィーの震源地が米国だからです。私は米国という国家を批判しているのではなく、彼らが世界各国に押し付けている市場原理主義というイデオロギーを批判しているのです。彼らが一国内で市場原理主義を実践することは彼らの勝手で何も申しませんが、違う価値観・違う文化を持った人々に対し、強圧的な手法で彼らのイデオロギーを押し付けてくることには耐えられないのです。
そして彼らは、単なるイデオロギーでしかない市場原理主義を、あたかも科学的真理であるかのように主張いたします。単なるイデオロギーに「科学」の粉飾をほどこしているのが、「新古典派経済学」という根本的にインチキな学問分野なわけです。
さて現在の世界を見渡して、新古典派経済学に対してもっとも根源的な批判を行い、新古典派の体系とは全く異なる新しいパラダイムを構築しようとしている経済学の分野が、進化経済学あるいは複雑系経済学の分野です。日本の進化経済学会の現在の会長が塩沢由典氏です。
塩沢氏は1985年から経済システムを「複雑系」と捉える見方を確立していました。1980年代の一連の論文がまとめられて1990年に『市場の秩序学 ―反均衡から複雑系へ―』(筑摩書房)が出版されていますが、これは世界で初めて「複雑系」という言葉がタイトルに入った経済学の書物なのではないかと思います。
その中で塩沢氏は、丸山孫郎の「セカンド・サイバネティックス」の理論や、非平衡熱力学分野のイリヤ・プリゴジンらの散逸構造理論を経済システムに導入し、収穫逓増の条件下では初期状態でのわずかな逸脱が正のフィードバックで増幅する、つまり、ゆらぎが累積的効果を得て、経済構造は分岐に至り、経済システムでは、比較的長い時間続く安定化ないし準安定化の過程と、累積的に変化する短期の構造変化の過程が交互に現れると論じています。
日本で「複雑系」というと、米国の科学ジャーナリストのM.ミッチェル・ワールドロップの著作である『複雑系』(新潮社)という本が1996年に出版され、米国のサンタフェ研究所における複雑系研究が紹介されたことによって一時的に社会的ブームが起こりました。(そのブームは数年で終わりましたが)。
その本では、米国において複雑系の経済学を打ち立てたサンタフェ研究所のブライアン・アーサー氏が英雄のように持ち上げられていました。米国のトレンドを受け売りすることしか脳のない日本の経済学者やエコノミストは、こぞってアーサーの業績を褒め称え、彼の理論を紹介するような商業出版物が、日本で相次いで出されました。
しかしながら、経済システムを複雑系とする見方は、塩沢由典氏の方がサンタフェ研究所のアーサー氏よりも早くから提唱していたことなのです。
ちなみに塩沢氏の他にも、日本においては、独自の視点で費用逓減の経済学を構築した村上泰亮氏(『反古典の政治経済学(上・下)』中央公論社、1992年を参照)、経済学に生物のニッチや適応戦略の理論を導入していた西山賢一氏(『企業の適応戦略』中公新書、1985年を参照)など、サンタフェ研究所に先駆けて「進化経済学」の見方を確立していた研究者がいます。
当時の私には、なぜあそこまでサンタフェ研究所の活動が礼賛されねばならないのか、サッパリ分かりませんでした。自然科学分野の複雑系研究にしても、サンタフェ研究所のそれは、散逸構造論を構築したベルギーのイリヤ・プリゴジンらや、シナジェイティクス理論を構築したドイツのヘルマン・ハーケンらの業績の二番煎じに過ぎず、哲学的深遠さにおいてもプリゴジンには遠く及ぶものではないように思えました。
私は当時、年の半分はフィリピンの山の中でフィールドワークをしていましたが、あの異常ともいえるようなサンタフェ研究所の礼賛の嵐という「複雑系ブーム」を横目で見ながら、日本人の米国信仰もここまで極まったか、と深く嘆息するしかありませんでした。
ポール・クルーグマンなんていう、人の国だと思って適当な内政干渉まがいの主張ばかりするいい加減な経済学者の著作が、何冊も本屋に平積みになり、日本人がありがたがってそれらに飛びついている様子は、私には絶望的な事態であるように思えました。そういう信仰的態度のしっぺ返しが、ちょうど複雑系ブームの直後に発生したアジア通貨危機・金融危機であったのだと思います。
そういえばドイツの物理学者のヘルマン・ハーケンは次のように述べて嘆いておりましたっけ。「アメリカのような大国では、多数の読者がいるので出版は容易で効果的である。そのため英文の雑誌は世界中に出回り、シナジェイティックスの考えではそれが支配者の役を果たすようになる。雑誌の輸出は思考の輸出を表すが、これによって、ヨーロッパの科学者の業績はしばしば正当に扱われないことがある。どんな分野の発展も、すべてアメリカからきたようにみえるからである」。(ヘルマン・ハーケン『自然の造形と社会の秩序』東海大学出版会、1985年、237頁)。
おそらく塩沢氏は、このハーケンの嘆きが痛いほどよく分かることかと思います。
気がついたら経済学から話がそれていました。長くなってきましたので、新古典派経済学の何が根本的に間違っているのかに関しては、また別の機会に書くことにいたします
マイナーな本ですが、拙著『フラーとカウフマンの世界』(http://www.taiyo-g.com/shousai59.html)でその辺を論じていますので、御参照ください。
コメントとTBをいただきましてありがとうございました。返信がおくれ申し訳ございませんでした。浅学でバックミンスター・フラーとは全く知りませんでした。機会があればご著書をぜひ拝読させていただいて勉強したいと思います。
丸山孫郎氏に関しては、ご指摘の通り、歴史的な業績をあげたすごい学者だと思っています。とくに「セカンド・サイバネティックス」は、後に複雑系としてブームになる理論の核心はすべて詰まっていると思っています。米国ではそれなりに正当に評価されていますが、日本であまり知られていないのは不思議です。
欧米人の学者の業績は媚びて賞賛できても、日本人自らの業績を正当に評価できないという「足の引っ張り合い」をする日本人の特性が出ているのでしょうか?
サンタフェ研究所のジョン・ホランドやマレー・ゲルマンが「複雑適応系」という概念を提示する25年も前の1967年に、理論社会学者のウォルター・バックレイがSociologu and Modern System Theoryという本の中で、「複雑適応系」という概念を提示しています。そのバックレイの複雑適応系のシステムモデルは、基本的に丸山孫郎の「構造生成」概念を発展させたものです。その意味でも、丸山孫郎はじつは複雑系研究の始祖ともいえるのではないでしょうか。
用語編の担当項目で「セカンド・サイバネティクス」があたり、原著論文は何年だったか調べるために「丸山孫郎 セカンド・サイバネティクス」と入れてみたら、このblogが出てきました。
わたしと進化経済学、複雑系経済学が詳しく紹介されていてびっくりしました。
わたしのブログは、6月9日で途絶えたままです。近く復活させるつもりなのですが、いまは『経済学ハンドブック』の「概説」の執筆で手一杯です。
関さんは、経済学が専門ではないようですが、新古典派に対する鋭い批判は、なまなかな経済学者には手の届かないものですね。こういう観察者がいるとおもうと、経済学の少数派/異端派のわたしたちも元氣がでます。経済学の進歩のために、今後も厳しい批判者であってください。
シロートであることを言いことに、言いたい放題でした。自分の専門分野(森林政策分野)でしたら、多少記述も遠慮がちになるのかも知れませんが、専門外の分野だと村八分を恐れる心配がないので、かなり思い切ったことを書いてしまいます。
といっても、やはり新古典派あるいは市場原理主義の問題だけは、経済学者以外の人々にとっても他人事ではないと思います。私の専門方面である森林の持続的利用など考えても、どうしても新古典派の教義が巨大な壁として立ちはだかります。
私は木材に関しては、国際条約の下に「公正な」関税政策を採用して貿易をコントロールすべきだと論じていますが、こうした問題でも新古典派と闘わねばなりません。それで、新古典派を知る必要性がどうしても発生します。
私ももうじき単著本が出る予定です。『複雑適応系における熱帯林の再生 -違法伐採から持続可能な林業へ-』(御茶ノ水書房)というタイトルです。
違法伐採依存という現在の東南アジアにあるカオス的状態から、人工林育成林業という逸脱的な技術的自己複製子が、正のフィードバックを得て生成していく様子を、フィールド調査によって明らかにしたものです。まさに丸山孫郎の「セカンド・サイバネティックス」の世界です。
自己複製子の変異と選択、拡散を論じている塩沢先生の最近の『EIER』誌上の論文なども引用させていただいております。
11月に出版予定ですので一冊お送りいたします。
もともと私は、文化人類学者みたいなフィールド研究をやっていているので、複雑適応系における構造生成の研究も、実際の村人たちの行動(市場・制度・自然環境などへの適応戦略)から明らかにしていこうというのが手法です。
今後とも何卒よろしくお願いいたします。
>『進化経済学ハンドブック』の編集を進めてい
> ます。進化経済学会編で2006年3月には出版の
> 予定です。
予定が半年遅れて、2006年9月25日にようやく出版されました。単価の高い(8000円)のが難ですが、こうした『ハンドブック』としては、なかなかのものではと自画自賛しております。事例が63載っていて、結構たのしく読んでもらえるのではないでしょうか。
諸学説・関連理論は、短くまとまっているところが良いところでしょう。
わたしも「概説」を延々130ページも書きました。
じつは、ちょうど塩沢先生の『マルクスの遺産』を読んでいるところでした。興味のある章だけ拾い読みしているのですが・・・。塩沢先生の中で、構造主義のアルチュセールがどう複雑系に結びついていったのかが大変に興味深いところです。
私の場合は、構造主義の影響を受ける前に、先にプリゴジンなどを読んでしまったので、その後にはもう構造主義などを勉強する気になれませんでした。それでアルチュセールもちゃんと読んでおりませんでした。
それから、何故か私の本がアジア経済研究所の途上国研究奨励賞を受賞してしまいました。
もっとも受賞の理由として評価されたのは、フィールド研究で実証した事実関係についてであって、複雑適応系という方法論の採用には疑問の声が寄せられました。
これは「進化経済学」というテーマで現在わたしが考えるていることをほとんどすべて盛り込んだものです。
・経済学において「進化」の概念をどう定義すべきか。
・経済における進化する諸カテゴリー
これは編集過程でもいろいろ議論しました。結論として採用したのは、以下の7カテゴリーです。
商品・技術・行動・制度・組織・システム・知識
・進化の総過程
変異、企業における選択、市場における選択
・市場経済の諸原理
ここでは進化経済学というより進化の場としての市場経済について、なにを基本とすべきかを考えました。
・自立的な経済学としての進化経済学の方法と分析例
・新古典派経済学の7つのドグマ
なとです。
出版されてから読み直してみると、「イノベーション」については、少なくとも項を設けて、もうすこしキチンと書くべきだったと反省しています。
塩沢由典
> それから、何故か私の本がアジア経済研
> 究所の途上国研究奨励賞を受賞してしま
> いました。
ご受賞、おめでとうございます。上の「補足」を書き込むとき、関さんの「返事」読み落としていました。アジア経済研究所のスタッフから認められたのですから、たいしたことです。アジ研のひとたちは、複雑系はあまりすきでないのかな。それでも受賞したのは、ベースの実証がとても優れていたという証拠ですね。
『マルクスの遺産』の副題は「アルチュセールから複雑系」なのですが、これはわたし自身の遍歴であって、本を読んでいただいても、アルチュセールから複雑系への関連は、なかなか分りにくいかとおもいます。
構造主義については、わたしの場合、アルチュセールからの影響というより、数学時代のブルバキの影響の方がおおきいかもしれません。もちろん、アルチュセールは、当時は一生懸命読んでいたのですが。最近の大部の時点などについては、まだ読んでいません。わたし自身、大分、熱が冷めたというべきでしょう。
塩沢由典