9月25日に4年半ぶりの利根川・江戸川有識者会議が開かれたことは二つ前の記事で述べた。事前に資料が送られることはなく、その場で93通のパブコメと、それを聞き捨てにするという従来通りの国交省の方針が提示されたことも述べた。
家に帰ってくると、「会議の場での発言に加えて、追加の意見があれば文書にして27日までに送ってほしい」という内容のメールが入っていた。まさに熟慮する時間を一切与えない酷使ぶりだ。次回の会議は間隔を置かず10月4日に開かれるそうだ。会議の場で東京新聞の野呂委員が「最低2週間は間隔をあけてほしい」と要請していたが、これも聞き捨てにされた。「しかし、2日で意見書まとめろなんてあり得ない」と思いながらも、ここで負けるわけにはいかないと必死で書いた。国交省も必死である。法律に反しないことなら何でもやるという気構えらしい。いかに、寄せられたすべての意見を聞き捨てにし、従来通りの方針を貫徹するか・・・・・ その方針のために発揮される知恵は「すごい」と言える。
私も、2日の間に、大急ぎでパブコメを読んで意見書を書き、27日に国交省に送った。25日の晩は徹夜となった。歳をとってくるとなかなか徹夜できなくなっており、完徹はかなり久しぶりのことだった。
以下、その意見書をそのままコピペします。私は「必ず印刷して会議の場で配布してください」と要請したが、これまでの出来事を振り返ると、その要請も聞き捨てにされる可能性が高いので、ブログ上でも公開します。
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目標流量の議論の前に考えるべきこと
関 良基(拓殖大学准教授)
Ⅰ 書面で意見を述べることについて
まず、書面で意見を述べることで危惧されていることを述べます。
前回の会議で必要な意見を述べることができなかった委員は次回までに書面で意見を提出してほしいとされました。しかし、書面での意見はあくまで、有識者会議での議論を補足するために使うべきものであり、書面の意見提出をもって、議論の時間を短縮もしくは省略することはあってはなりません。
それは次回の会議で、事務局が書面意見の要旨を紹介し、同時にそれに対する事務局の見解を説明して、書面意見を処理してしまうことが十分に予想されるからです。
当有識者会議は、公開の場で十分な議論を行うことが課せられた使命を果たすための必須の条件です。単に通過儀礼として、有識者会議の会議を進めることは利根川流域住民の期待を裏切るものであり、絶対にあってはなりません。
以下、私は現段階として考えるべき当面の意見を記しますが、次回の会議でもこの意見に沿ったことを陳述させていただきますので、この点をご承知おきいただきたいと存じます。
Ⅱ 市民からのパブコメを踏まえた意見
市民からのパブコメ93通を拝読いたしました。全部で93通の意見が寄せられています。私が読む範囲では85通が、目標流量を1万7000㎥/秒と定めて河川整備計画を策定することに対して否定的な見解でした。肯定的であったのは、積極的賛成および「他に方法がないならやむを得ない」といった消極的賛成も含め8通ほどしか見当たりませんでした。
国交省がこれら85通(全体の91%です)を聞き捨てることは、民主主義の原則に照らして許されることではありません。これらのパブコメを全否定することは、日本が民主国家であることを否定することです。住民参加を取り入れた現行の河川法の理念そのものも踏みにじることになります。
流域住民の意見を聞き捨てることなく、しっかりと反映させて利根川水系の河川整備計画を策定できれば、それを行った国交省の姿勢は歴史的に高く評価されることは間違いありません。
以下、私の意見を具申いたします。
(1)議事運営について
パブコメを読んで、あらためて利根川流域の市民の意識と見識の高さに敬服いたしました。改正河川法が住民参加をうたい、流域住民の意見を聞くことを制度的に取り入れたのは、慧眼だったと改めて実感した思いでした。意見の中には、私などよりもパブコメを寄せた人々の方が有識者としての意見を言うにふさわしいと思います。
そこで、宮村座長をはじめ、委員の皆様にお考えいただきたいと存じます。是非、会議の中の15分でよいので傍聴席からの発言を認めていただきたく存じます。これだけ多数のパブコメの意向が全くなかったかのように無視されてしまえば、傍聴席にいる人々も耐えられないだろうと思います。河川整備計画は、住民と共に作り上げるべきものです。それが河川法改正の趣旨を理解した議事運営であると思います。
(2)高い目標流量を定めても安全確保にはつながらない
パブコメにも多数の意見が寄せられていた通り、現在の堤防では、危険個所が利根川で62%、江戸川で60%に及ぶと聞き及んでおります。
目標流量を1万7000㎥/秒と定めることは、直ちに上流に八ッ場ダムを建設してピークカットをするという理屈に直結します。まだダムの議論には入っていないと言うかも知れませんが、1万7000㎥/秒を決めた時点で自動的にそうなってしまいます。
しかし、優先順位は何かと問えば、目標流量を定めてダムによるピークカットを考えるよりも前に、目標流量以下の洪水で破堤してしまうような脆弱な堤防を利根川水系からなくすことです。
国交省・関東地整も、パブコメへの回答の(3-9)でも、市民から寄せられた「想定外でも被害を最小化するような耐越水堤防を」という要望に対し、「開発を進めることは重要」と回答しております。耐越水堤防は、いかなる洪水流量であっても住民の安全を高めることに寄与いたします。目標流量にちょうど合致するような雨が降った場合にしか効果を発揮しないダムに比べて政策の有効性は高いはずです。
(3)目標流量よりも最初に議論されるべきは予算制約
目標流量を定めても、日本国の財政が許さないのであれば、それを満たす工事計画を策定することは不可能です。関東地整も第5回会議配布資料3-3の5頁において、「河川の整備は、限られた費用と時間の制約の中で計画的に進め、他事業との計画調整を図る必要性があり、定量的な整備目標を定めて段階的に整備を行うことが不可欠だと考えます」と記しております。制約条件として最重要なのは「費用と時間」という関東地整の判断、私も全面的に同意いたします。であるならば、「定量的な整備目標」を定める前に、先ず「限られた費用と時間」の制約条件を明らかにされるよう要望いたします。それが分からなければ議論を始められません。
国交省のH21年度の国土交通白書(35頁)によれば、既存の社会資本のメンテナンスに関して、「維持管理・更新に関して今まで通りの対応をした場合は、維持管理・更新費が投資総額に占める割合は2010年度時点で約50%であるが、2037年度時点で投資可能総額を上回る」 と予測しています。
出所)国土交通省、2009『平成21年度国土交通白書』35頁。
つまりこのままでは、2040年を待たずに社会資本の新規整備は不可能になるということです。財政の制約下において、従来施設の維持更新以外に、新規の治水事業に予算を投じることのできるタイムリミットは2037年ごろということになります。
関東地整に要望いたします。利根川水系では、新規事業が不可能になるタイムリミットはいつでしょうか。また、それまでに総額いくらほどの予算が使える見込みなのでしょうか。
それが分からなければ、河川整備計画の策定は不可能ではないでしょうか。その制約条件が明らかになって初めて、その予算制約下で達成可能な目標流量の議論もでき、優先的に予算を配分すべき箇所がどこなのかの議論を始めることも可能になります。予算のない買い物がありえないように、予算制約は意思決定における最重要要素です。政策決定も、例外ではありません。政策とは、実現可能性があって初めて政策といえますので、最重要要素である予算制約から始まらない議論には、合理性を認めることはできません。
財政上の実現可能性を満たさないのであれば、目標流量の設定など意味を持たないと思います。
(4)目標流量を決めることのデメリットの検討を
前回の会議で鷲谷いづみ委員もおっしゃっておりました通り、治水の安全度目標を設定するときは、それによるメリットとデメリットを広く検討することが必要と思います。高すぎる目標は、住民が日ごろの心がけという最も大事な防災対策をおろそかにしてしまうというマイナス効果も大きいと思われます。その検討をせずして、安易に1/70から1/80と決めることはできません。
(5)国交省は流量確率法での検証に際しデータの中から2万2000㎥/秒など計算で求めた架空の数字を削除し、実測された流量のみから計算を行うこと
まず前項を満たした上で、はじめて目標流量の議論は可能と考えます。しかしあらかじめ述べておけば、計算流量1万7000㎥/秒は全くの虚構であり、科学的根拠はありません。
パブコメで同様の意見がありましたが、実測による観測データが存在する1951年から2010年までの60年間の洪水流量(ダム戻し流量)から流量確率法で求めた80年に1度の確率流量は、国土技術研究センターのソフトで計算すれば、確率流量は9679㎥/秒から1万5758㎥/秒のあいだに分布し、その平均値は1万3035㎥/秒となります。観測データのある過去60年間の最大流量が1万㎥/秒なのですから、常識的に考えて1万7000㎥/秒にもなるわけがありません。
しかるに国交省が同じ流量確率法で80年に1度を計算すると1万4879~1万9855㎥/秒になります。同じ流量確率法で計算をして、このように結果が異なるなどあってはならないことです。
国交省の流量計算が過大になるのは、統計期間を昭和11年から平成19年と設定し、観測値のない期間の机上計算流量を含めているからです。とくに、科学的根拠のない1947年のカスリーン洪水の計算流量2万2000㎥/秒を含めて計算してしまっている点が根本的な誤謬です(第5回会議資料3-3の31ページ参照)。この一つの「飛び値」の存在によって、国交省の計算では確率流量が過大に計算されてしまうのです。
流量確率法とは、もちろん実績流量から統計処理するものです。その中に、実際には流れていない架空の計算流量を含めることなど、「事実をもとに出発する」という科学の原則を根本的に逸脱しています。
私は、実測値の整っている1951年から2010年の洪水データから流量確率法で求めた計算値1万3000㎥/秒に余裕を見た14000㎥/秒が目標流量としては妥当な値と考えます。
前項で述べた、「残された時間と費用」という制約条件から考えても、まずは1万4000㎥/秒を確実に流下させるよう堤防を強化することが喫緊の課題かと存じます。もちろんピーク流量のカットも可能ならばした方がよいですが、順序が逆です。先にくるべきは1万4000㎥/秒を確実に流し、溢れても破堤しないように堤防を強化することです。
目標流量を決めてピークを下げるという選択肢を考えるにしても、予算制約の中では、後で考えるべき課題です。
家に帰ってくると、「会議の場での発言に加えて、追加の意見があれば文書にして27日までに送ってほしい」という内容のメールが入っていた。まさに熟慮する時間を一切与えない酷使ぶりだ。次回の会議は間隔を置かず10月4日に開かれるそうだ。会議の場で東京新聞の野呂委員が「最低2週間は間隔をあけてほしい」と要請していたが、これも聞き捨てにされた。「しかし、2日で意見書まとめろなんてあり得ない」と思いながらも、ここで負けるわけにはいかないと必死で書いた。国交省も必死である。法律に反しないことなら何でもやるという気構えらしい。いかに、寄せられたすべての意見を聞き捨てにし、従来通りの方針を貫徹するか・・・・・ その方針のために発揮される知恵は「すごい」と言える。
私も、2日の間に、大急ぎでパブコメを読んで意見書を書き、27日に国交省に送った。25日の晩は徹夜となった。歳をとってくるとなかなか徹夜できなくなっており、完徹はかなり久しぶりのことだった。
以下、その意見書をそのままコピペします。私は「必ず印刷して会議の場で配布してください」と要請したが、これまでの出来事を振り返ると、その要請も聞き捨てにされる可能性が高いので、ブログ上でも公開します。
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目標流量の議論の前に考えるべきこと
関 良基(拓殖大学准教授)
Ⅰ 書面で意見を述べることについて
まず、書面で意見を述べることで危惧されていることを述べます。
前回の会議で必要な意見を述べることができなかった委員は次回までに書面で意見を提出してほしいとされました。しかし、書面での意見はあくまで、有識者会議での議論を補足するために使うべきものであり、書面の意見提出をもって、議論の時間を短縮もしくは省略することはあってはなりません。
それは次回の会議で、事務局が書面意見の要旨を紹介し、同時にそれに対する事務局の見解を説明して、書面意見を処理してしまうことが十分に予想されるからです。
当有識者会議は、公開の場で十分な議論を行うことが課せられた使命を果たすための必須の条件です。単に通過儀礼として、有識者会議の会議を進めることは利根川流域住民の期待を裏切るものであり、絶対にあってはなりません。
以下、私は現段階として考えるべき当面の意見を記しますが、次回の会議でもこの意見に沿ったことを陳述させていただきますので、この点をご承知おきいただきたいと存じます。
Ⅱ 市民からのパブコメを踏まえた意見
市民からのパブコメ93通を拝読いたしました。全部で93通の意見が寄せられています。私が読む範囲では85通が、目標流量を1万7000㎥/秒と定めて河川整備計画を策定することに対して否定的な見解でした。肯定的であったのは、積極的賛成および「他に方法がないならやむを得ない」といった消極的賛成も含め8通ほどしか見当たりませんでした。
国交省がこれら85通(全体の91%です)を聞き捨てることは、民主主義の原則に照らして許されることではありません。これらのパブコメを全否定することは、日本が民主国家であることを否定することです。住民参加を取り入れた現行の河川法の理念そのものも踏みにじることになります。
流域住民の意見を聞き捨てることなく、しっかりと反映させて利根川水系の河川整備計画を策定できれば、それを行った国交省の姿勢は歴史的に高く評価されることは間違いありません。
以下、私の意見を具申いたします。
(1)議事運営について
パブコメを読んで、あらためて利根川流域の市民の意識と見識の高さに敬服いたしました。改正河川法が住民参加をうたい、流域住民の意見を聞くことを制度的に取り入れたのは、慧眼だったと改めて実感した思いでした。意見の中には、私などよりもパブコメを寄せた人々の方が有識者としての意見を言うにふさわしいと思います。
そこで、宮村座長をはじめ、委員の皆様にお考えいただきたいと存じます。是非、会議の中の15分でよいので傍聴席からの発言を認めていただきたく存じます。これだけ多数のパブコメの意向が全くなかったかのように無視されてしまえば、傍聴席にいる人々も耐えられないだろうと思います。河川整備計画は、住民と共に作り上げるべきものです。それが河川法改正の趣旨を理解した議事運営であると思います。
(2)高い目標流量を定めても安全確保にはつながらない
パブコメにも多数の意見が寄せられていた通り、現在の堤防では、危険個所が利根川で62%、江戸川で60%に及ぶと聞き及んでおります。
目標流量を1万7000㎥/秒と定めることは、直ちに上流に八ッ場ダムを建設してピークカットをするという理屈に直結します。まだダムの議論には入っていないと言うかも知れませんが、1万7000㎥/秒を決めた時点で自動的にそうなってしまいます。
しかし、優先順位は何かと問えば、目標流量を定めてダムによるピークカットを考えるよりも前に、目標流量以下の洪水で破堤してしまうような脆弱な堤防を利根川水系からなくすことです。
国交省・関東地整も、パブコメへの回答の(3-9)でも、市民から寄せられた「想定外でも被害を最小化するような耐越水堤防を」という要望に対し、「開発を進めることは重要」と回答しております。耐越水堤防は、いかなる洪水流量であっても住民の安全を高めることに寄与いたします。目標流量にちょうど合致するような雨が降った場合にしか効果を発揮しないダムに比べて政策の有効性は高いはずです。
(3)目標流量よりも最初に議論されるべきは予算制約
目標流量を定めても、日本国の財政が許さないのであれば、それを満たす工事計画を策定することは不可能です。関東地整も第5回会議配布資料3-3の5頁において、「河川の整備は、限られた費用と時間の制約の中で計画的に進め、他事業との計画調整を図る必要性があり、定量的な整備目標を定めて段階的に整備を行うことが不可欠だと考えます」と記しております。制約条件として最重要なのは「費用と時間」という関東地整の判断、私も全面的に同意いたします。であるならば、「定量的な整備目標」を定める前に、先ず「限られた費用と時間」の制約条件を明らかにされるよう要望いたします。それが分からなければ議論を始められません。
国交省のH21年度の国土交通白書(35頁)によれば、既存の社会資本のメンテナンスに関して、「維持管理・更新に関して今まで通りの対応をした場合は、維持管理・更新費が投資総額に占める割合は2010年度時点で約50%であるが、2037年度時点で投資可能総額を上回る」 と予測しています。
出所)国土交通省、2009『平成21年度国土交通白書』35頁。
つまりこのままでは、2040年を待たずに社会資本の新規整備は不可能になるということです。財政の制約下において、従来施設の維持更新以外に、新規の治水事業に予算を投じることのできるタイムリミットは2037年ごろということになります。
関東地整に要望いたします。利根川水系では、新規事業が不可能になるタイムリミットはいつでしょうか。また、それまでに総額いくらほどの予算が使える見込みなのでしょうか。
それが分からなければ、河川整備計画の策定は不可能ではないでしょうか。その制約条件が明らかになって初めて、その予算制約下で達成可能な目標流量の議論もでき、優先的に予算を配分すべき箇所がどこなのかの議論を始めることも可能になります。予算のない買い物がありえないように、予算制約は意思決定における最重要要素です。政策決定も、例外ではありません。政策とは、実現可能性があって初めて政策といえますので、最重要要素である予算制約から始まらない議論には、合理性を認めることはできません。
財政上の実現可能性を満たさないのであれば、目標流量の設定など意味を持たないと思います。
(4)目標流量を決めることのデメリットの検討を
前回の会議で鷲谷いづみ委員もおっしゃっておりました通り、治水の安全度目標を設定するときは、それによるメリットとデメリットを広く検討することが必要と思います。高すぎる目標は、住民が日ごろの心がけという最も大事な防災対策をおろそかにしてしまうというマイナス効果も大きいと思われます。その検討をせずして、安易に1/70から1/80と決めることはできません。
(5)国交省は流量確率法での検証に際しデータの中から2万2000㎥/秒など計算で求めた架空の数字を削除し、実測された流量のみから計算を行うこと
まず前項を満たした上で、はじめて目標流量の議論は可能と考えます。しかしあらかじめ述べておけば、計算流量1万7000㎥/秒は全くの虚構であり、科学的根拠はありません。
パブコメで同様の意見がありましたが、実測による観測データが存在する1951年から2010年までの60年間の洪水流量(ダム戻し流量)から流量確率法で求めた80年に1度の確率流量は、国土技術研究センターのソフトで計算すれば、確率流量は9679㎥/秒から1万5758㎥/秒のあいだに分布し、その平均値は1万3035㎥/秒となります。観測データのある過去60年間の最大流量が1万㎥/秒なのですから、常識的に考えて1万7000㎥/秒にもなるわけがありません。
しかるに国交省が同じ流量確率法で80年に1度を計算すると1万4879~1万9855㎥/秒になります。同じ流量確率法で計算をして、このように結果が異なるなどあってはならないことです。
国交省の流量計算が過大になるのは、統計期間を昭和11年から平成19年と設定し、観測値のない期間の机上計算流量を含めているからです。とくに、科学的根拠のない1947年のカスリーン洪水の計算流量2万2000㎥/秒を含めて計算してしまっている点が根本的な誤謬です(第5回会議資料3-3の31ページ参照)。この一つの「飛び値」の存在によって、国交省の計算では確率流量が過大に計算されてしまうのです。
流量確率法とは、もちろん実績流量から統計処理するものです。その中に、実際には流れていない架空の計算流量を含めることなど、「事実をもとに出発する」という科学の原則を根本的に逸脱しています。
私は、実測値の整っている1951年から2010年の洪水データから流量確率法で求めた計算値1万3000㎥/秒に余裕を見た14000㎥/秒が目標流量としては妥当な値と考えます。
前項で述べた、「残された時間と費用」という制約条件から考えても、まずは1万4000㎥/秒を確実に流下させるよう堤防を強化することが喫緊の課題かと存じます。もちろんピーク流量のカットも可能ならばした方がよいですが、順序が逆です。先にくるべきは1万4000㎥/秒を確実に流し、溢れても破堤しないように堤防を強化することです。
目標流量を決めてピークを下げるという選択肢を考えるにしても、予算制約の中では、後で考えるべき課題です。
http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/7371371.html
上記の記事によると、すでに昨日もその次の会議が終了したばかりでしょうか。どうかくれぐれもお体にご自愛ください。
1. 第5回、第6回会議での経緯を聞くところ、委員方の主張に見るべきところがないことを残念に思う。有識者からの意見を聞く場で議論をする場ではないとされているようだが、それにしても、適切な主張がなされていないと切歯扼腕の思いである。
2. そもそも主題を流量確率1/70~1/80の目標流量17000m3/sに限定したとして反論を述べているが、河川整備計画の立案には目標流量の決定が前提であるのは、関東地方整備局の事務方の説明を聞くまでもない。河川整備基本方針にさかのぼって、治水安全度に見合う適切な基本高水流量を決定する必要がある。かつてダム建設のために過大な基本高水流量が決定されてきたことへの拒否反応として、適切な基本高水流量を決定する方法すら議論の対象にすることを忌避していて、いわゆる基本高水流無用論(基本高水流量によらないでも河川整備計画の立案葉可能)や不信論(適切な基本高水流量は決定し得ないとする懐疑的立場)が依然として広まっている。しかし治水安全度に見合う適切な基本高水流量は決定することができ、その計算の前提を考慮しつつ適切な目標流量も決定し得るのである。貯留関数法による流出計算により、高めのピーク流量が得られる傾向があるのなら、基本高水流量は上限値と受け止めたよい。
3. 河川整備に環境問題が付随することは明らかであるが、環境問題は河川整備において配慮すべき因子で、環境問題と河川整備は同列には論じられない。環境の保全を優先するなら河川整備はしないほうがよい。あくまで河川整備の実施上で出来るだけ環境に負荷をかけない対策を取るべきであるとするのが趣旨で、単に河川整備と環境保全はトレードオフの関係にはない。
4. そのような前提のもとでは、有識者会議で流量確率1/70~1/80の目標流量17000m3/sを主題にすることを、関東地方整備局が河川整備計画に関して住民の意見聴取の趣旨で問題を矮小化していると受け取るべきではなく、むしろその問題に積極的な発言をすべきものである。
5. ただし主題が技術的な問題であることを念頭において主張すべきである。今更河川整備に対して哲学的な主張をすることは避けるべきである。流量確率1/70~1/80の目標流量17000m3/sが主題であるから、テーマは明らかに二つである。一つ目は流量確率1/70~1/80が適切かである。も一つは流量確率が1/70~1/80の目標流量が17000m3/sであることが適切であるかである。
6. そのような切り口で主張がなされた様子はない。私自身は流量確率1/70~1/80は利根川の諸特性から受け入れるものであるが、目標流量17000m3/sは過大であると思うものである。その原因は治水安全度1/200における基本高水流量が過大であることである。今までの公表データから試算すると19000m3/s程度が適切な基本高水流量である。この値でもまだ過大であるとの反論があろうが、八斗島の流下能力、既設ダムの洪水調節量を考えると、単純計算では八ツ場ダムは不要である。また目標流量は14500m3/s程度になり、河川整備においてダムと代替案の比較検討結果も変わると思われる。
7. 有識者会議で基本高水流量が過大であることについて主張がなされているが本質的なものではない。治水安全度1/200の基本高水流量に関して貯留関数法は信頼できない方法であると述べられたが、運動式のS=KQ^P が成立しないとする主張は河川工学的にはまったく根拠のないものである。またカスリーン台風の洪水時の氾濫について疑義が提出されたが、カスリーンの台風のピーク流量は流量確率1/200のピーク流量にはまったく関係のないものであり、単なる既往最大流量である。
8. 今回基本高水流量が過大になっている原因は、利根川で採用された総合確率法の計算方法が間違っているからである。利根川において流量確率を計算する際に、P(Qp)=ΣP(Qp)/nと定義している。任意の流量における雨量群の年超過確率の平均値を流量の年超過確率に等しいと定義しているのである。すべての流量にこの計算式を適用することは、雨量確率と流量確率が1:1に対応することになり、雨量確率と流量確率が等しいとしていることになる。換言すると、雨量と降雨の時空間分布に独立性を想定し、雨量と流量の相関係数は1.0であることを意味する。通常雨量と流量の相関係数は0.6前後であり、相関係数の差はそのまま過大な基本高水流量の決定につながる。
9. また相模川で採用された総合確率法は、任意の流量における雨量の超過確率と雨量確率の積から流量の年超過確率を求めるものであるが、その計算でも雨量確率と流量確率が等しいとする仮定をおいている。
10. 相模川の総合確率法を学術的に裏付けた日本学術会議流出モデル・基本高水評価検討分科会は、総合確率法の説明で「利根川のような降雨の時空間分布の影響がある流域では総合確率法を採用すべきである」としながら、相模川の総合確率法で雨量確率と流量確率が等しいとしていることは、降雨の時空間分布の影響はないとしてことであり、論理的破綻があることに気がついていない。
11. 有識者会議で流量確率1/70~1/80の目標流量17000m3/sに対する技術的見地からの主張がなされなかったことは、有識者の選定に問題があったと思われ関東地方整備局の深慮遠謀が隠されていたと受け取れなれないこともない。せっかく大熊委員と関委員が選定されながら小池委員の選定でオフセットされたようで後味の悪い有識者会議になりそうである。聞き置く程度で終了したら、関東地方整備局、分科会の総合確率法の誤用、結果的に流量確率1/70~1/80の目標流量17000m3/sが過大であることを世の中に知らしめることができない有識者会議は、まさに関東地方整備極の脚本にのった茶番劇であるとしか言いようがなくなるだろう。
以上
国交省国土保全局・関東地方整備局・有識者の皆様・ダム推進の議員の皆様へ
10月13日~16日に開催される日本火山学会(御代田町縄文ミュージアム)
http://www.kazan-g.sakura.ne.jp/doc/kazan2012/programP.html
P40番
14日15日にポスターセッションで発表する講演要旨です。
火山防災上も全く役に立たず、災害を誘発するだけでなく河床上昇と土砂災害・洪水を拡大してしまうダムの実態について発表いたします。
また、皆様が情報操作までしてダム建設を推し進めた手法もお話します。お時間がございましたらお出かけください。
P40
行政災害-八ッ場ダム検証に見る国交省河川部門の不正報告(Ⅱ)
Ⅰ はじめに
八ッ場ダム建設問題で実施された国交省・関東地方整備局の検証報告には,建設に不都合な資料を意図的に排除する情報操作が行われていた(大熊,2011;竹本,2011;2012).河川の有識者会議は,この指摘と事実を知りながら検証もせず放置し,建設推進の意見書を政府に報告した.
本発表では,八ッ場ダム建設に伴う応桑岩屑なだれ堆積物(OkDA)が引き起こす災害の想定を述べ,官僚が行政の裁量権を逸脱してダム推進の有識者会議を利用してずさんな検証を行っていたことを明らかにする.また,長野原町民が,罹災時に「想定外」という不利益を被ることなく生活基盤が完全保障されるよう,安全面を軽視してダム推進を導いた河川官僚・有識者会議座長の責任の所在を明らかにしておきたい.
Ⅱ 八ッ場ダムに伴う吾妻渓谷の被害想定
吾妻渓谷のOkDA分布地では,進行中と停止した古い地すべり,ブロック崩壊や深層崩壊の爪痕が各所で確認できた.これは,熱水変質地帯(小倉~八ッ場)へ瞬時に堆積したOkDA(層厚50m以上)の特性・不透水層の形成・地下水など水の挙動が関与した現象である(竹本,2011).
OkDAは,火砕岩・降下物・湖成層など粒度組成が異なるメガブロックの集合体で構成された凝集力の乏しい堆積物であるため,飽和重量も様々に異なるものである.しかし,安全解析の水浸変形実験(20cm立方体を飽和させた変形率を20mブロック換算)では,ほとんど変形しないため安全という結論を導いている.これは,試料採取そのものが恣意的だった可能性が高い.
ダム湖面に接するOkDA分布地(林/上湯原/川原畑/打越/横壁/小倉など)の湛水後の被害進行は,水位を上下することで膨張と収縮・凍結と融解を繰り返し起こし⇒剥落と土砂流亡⇒柱状崩落や谷頭状ブロック崩壊(湖面津波)へとつながるだろう.さらに,OkDAで埋積された旧谷壁斜面(接地面)の間の地下水位を度々上下させることや地震動が伴えば,地すべりや深層崩壊が発生するだろう.事態の深刻化は,町民の生活基盤そのものを奪う可能性が高い.また,新駅裏の金華山(落差300mの断崖)からの落石は,上湯原全域をカバーしており,地すべりと共に駅利用者の安全確保が課題である.しかし国・県・JRは対策をほとんど考慮していない.
Ⅲ ダム堆砂量の数字操作と運用・報告不正
ダム堆砂量は,ダムの利水・治水・防災上の有効性を左右する重要な要素であるが,八ッ場ダムの場合100年で1750万tと想定し,ダムは6千万~1億tが運用可能としている.しかし,その試算には活火山の浅間・草津白根山が活動しないことを前提に,吾妻川への土砂供給量が少ない草津側支流2つの砂防ダムの堆砂量を流域基準とし,最大の土砂供給源:浅間側のデータ・過去の中小噴火実績を全て排除していた.
3.11.を受け,防災面を指摘されると天明の泥流量が約1億tであることを理由に対処可能とする一方で,砂防予算7億円を計上した.しかし,推計1k㎥以上の天明の降下軽石・吾妻渓谷の地すべりと崩壊土石量・押さえ盛土量(=総計1億t以上)など,運用実績に影響する土砂データも全て排除していた.3.11.タスクフォース報告の主旨「複合災害の視点」を無視して,八ッ場ダムが利水・治水・防災上の全てに役立つと結論付け,聴取した「研究者の権威」を形だけ利用し,関係住民には形式的パブリックコメントセレモニーを行い,前政権のダム推進の方針を情報操作で呑ませたのが実態だろう.
Ⅳ 地すべり偽装の実態と関連学会の役割
上湯原地区は,国と県が3つの地質断面を公表している.いずれもこの地区が過去に地すべりを起こしたことを裏付けるものである.独)防災科研でも指定され,現地調査でも分裂低下したOkDAの堆積面高度は様々に異なる.裂谷内は水に乏しく,尾根状地形の先端崖から多数の湧水が確認できるなどOkDAに伴う巨大地すべりであることが裏付けられた(竹本,2011).
しかし,国交省はダムに不都合な地すべり知見を隠蔽するため,蛇行地形⇒崖錐堆積物と見解を変遷させ,新たに指摘された地学的知見まで排除して,住民と利用者の安全を軽視するなど,公僕として公的責任を果たす意思は存在しない.
3.11.を受け,防災計画見直しの必要性が指摘される中,地学関連学会は,各地の大型事業計画に対して地域研究者を総動員し,真摯な検証結果を公表する必要があるのではないだろうか.
追記
利根川の河川整備計画では、河床上昇をもたらす火山性堆積物の供給問題・堤防の破堤に繋がる内陸直下型地震に関連する活断層の履歴調査、榛名山の山体崩壊土砂の問題や浅間山・草津白根山の今後の活動を見越した安全対策など、欠落した視点が多いにもかかわらず、今までの有識者会議では聞き取りすらしていません。
河川局をはじめどこの部署も縦割りのため、柔軟な議論すらできないのが実態でしょう。そんな中で、大熊先生・関先生の頑張りと東京新聞特報部長:野呂氏のジャーナリストとしての意見表明は、大切です。
ジャーナリズムが御用報道にならないよう真摯な検証報道をお願い致します。
「有識者会議における主張の物足りなさ」の中の8.の2行目からの"P(Qp) = ΣP(Qp)/n"を"P(Qp) = ΣPM(Ri)/n"に訂正下さい。