菅首相が昨日(5月18日)の記者会見で、発送電分離案に関して「当然議論及ぶだろうし、そうすべきだ」との認識を示した。また電力地域独占の問題にもメスを入れるという。「議論する」だけではなく、実現せねば意味がない。ここは不退転の決意でこの問題に取り組んでほしい。
支持率を回復させて政権を維持したいのであれば、経団連肝いりのTPPなど「震災でそれどころじゃなくなりました」とさっさと止めるべきだ。この間、経産省と経団連の社会的信用は完全に地に落ちた。彼ら「大本営」が主張することなど大抵は間違っているのだろうとますます多くの人々が了解し始めている。例えるなら、1945年8月15日を境に大本営の言っていたことがみんなウソだったってバレちゃったのと同じなのだ。
菅は、官と経団連にコビるのではなく、国民にコビるべきだろう。発送電分離と電力地域独占の解体に政治生命をかけるべきだ。
それに関連して、本日(5月19日)の東京新聞・特報面で竹田茂夫氏(法政大学教授)が「送電コモンズ」を提案していた。「送電システムはコモンズ、つなり国民の共有財産」とすることが必要であると。同感である。
田中優氏も、近著『原発に頼らない社会へ』(武田ランダムハウスジャパン)で次のように述べている。紹介させていただく。以下のご意見、私も全く同感である。
******田中優、前掲書、28~29頁より抜粋して引用********
(原発災害の)賠償額は、はるかに東京電力の試算額を超えてしまう。それならば、日本政府が賠償を肩代わりする担保として、電力会社から送電線を取り上げるのがいいと思うのだ。電気事業は3つの事業に分けることができる。「発電」、「送電」、「配電」だ。(中略)
ヨーロッパで行われているような電力の自由化は、3つに分けた事業の中の、本来公共財となるインフラ部分を公共の所有としている。 (中略)
送電線は、自動車にとっての道路である。公共財として、その送電線に誰もがつなげて、誰もがそこから使っていいという仕組みにしていくことがエネルギーの民主化に欠かせないのだ。現状は電力会社が送電線を一企業の私物にしてしまっている。その権力のために自然エネルギーからの電気が買ってもらえなかったり、電力会社の子会社からの電気だけが高く買い取られたりしている。(中略)
誰でも新たな自然エネルギーを作ったならば、送電線に繋いで利益を得ていいという仕組みにしていくべきだ。今回の原発震災の著しい損害額を、これからのエネルギーデモクラシーに向けてのターニングポイントにできるなら、未来に対して希望が持てるようになる。
*****引用終わり***********
これまで自然エネルギーの普及が著しく遅れてきたのは、送電網を支配する電力独占が、難癖をつけて自然エネルギーの買い取りを拒んできたからだ。
送電網は、原則的に発電事業者を差別してはならず自由に参入させねばならないが、同時に混雑現象を避けるためのルールも必要だ。さらに採算の取れない遠隔地も含めて全ての国民の需要に応えねばならないという公的責務も負っている。
そのためには利潤追求を目的とする私的資本に管理させてはならないし、原子力ムラと癒着する官僚たちによって独占させてもならない。国民が共有する社会的共通資本として、社会的に管理すべきであろう。公有といっても、決して官僚に管理させてはならない。各ステイクホルダーの代表者によって構成される社会的組織が管理するのである。
支持率を回復させて政権を維持したいのであれば、経団連肝いりのTPPなど「震災でそれどころじゃなくなりました」とさっさと止めるべきだ。この間、経産省と経団連の社会的信用は完全に地に落ちた。彼ら「大本営」が主張することなど大抵は間違っているのだろうとますます多くの人々が了解し始めている。例えるなら、1945年8月15日を境に大本営の言っていたことがみんなウソだったってバレちゃったのと同じなのだ。
菅は、官と経団連にコビるのではなく、国民にコビるべきだろう。発送電分離と電力地域独占の解体に政治生命をかけるべきだ。
それに関連して、本日(5月19日)の東京新聞・特報面で竹田茂夫氏(法政大学教授)が「送電コモンズ」を提案していた。「送電システムはコモンズ、つなり国民の共有財産」とすることが必要であると。同感である。
田中優氏も、近著『原発に頼らない社会へ』(武田ランダムハウスジャパン)で次のように述べている。紹介させていただく。以下のご意見、私も全く同感である。
******田中優、前掲書、28~29頁より抜粋して引用********
(原発災害の)賠償額は、はるかに東京電力の試算額を超えてしまう。それならば、日本政府が賠償を肩代わりする担保として、電力会社から送電線を取り上げるのがいいと思うのだ。電気事業は3つの事業に分けることができる。「発電」、「送電」、「配電」だ。(中略)
ヨーロッパで行われているような電力の自由化は、3つに分けた事業の中の、本来公共財となるインフラ部分を公共の所有としている。 (中略)
送電線は、自動車にとっての道路である。公共財として、その送電線に誰もがつなげて、誰もがそこから使っていいという仕組みにしていくことがエネルギーの民主化に欠かせないのだ。現状は電力会社が送電線を一企業の私物にしてしまっている。その権力のために自然エネルギーからの電気が買ってもらえなかったり、電力会社の子会社からの電気だけが高く買い取られたりしている。(中略)
誰でも新たな自然エネルギーを作ったならば、送電線に繋いで利益を得ていいという仕組みにしていくべきだ。今回の原発震災の著しい損害額を、これからのエネルギーデモクラシーに向けてのターニングポイントにできるなら、未来に対して希望が持てるようになる。
*****引用終わり***********
これまで自然エネルギーの普及が著しく遅れてきたのは、送電網を支配する電力独占が、難癖をつけて自然エネルギーの買い取りを拒んできたからだ。
送電網は、原則的に発電事業者を差別してはならず自由に参入させねばならないが、同時に混雑現象を避けるためのルールも必要だ。さらに採算の取れない遠隔地も含めて全ての国民の需要に応えねばならないという公的責務も負っている。
そのためには利潤追求を目的とする私的資本に管理させてはならないし、原子力ムラと癒着する官僚たちによって独占させてもならない。国民が共有する社会的共通資本として、社会的に管理すべきであろう。公有といっても、決して官僚に管理させてはならない。各ステイクホルダーの代表者によって構成される社会的組織が管理するのである。
送電は発電と分離して地域独占を排除し、高い電気料金を下げる誘引としなければならない。
JR及びNTTが国営のときは、鉄道と通信は国民の共有財産であったが、民営化することによって社会主義の国民負担をなくした。
>社会主義者ないし共産主義者の考えである
一般の道路は、国道か県道か市道でいずれも公有です。もし、国は一切関与せず、受益者である自動車会社が負担して道路を勝手に整備しろということになったら、自動車の値段はとんでもなく高くなってしまうことでしょう。
あるいは別の方法として、民間会社が道路を整備し、通行する車すべてから通行料を取るということになったら、物流コストも移動コストもとんでもなく高くつくことになります。
送電網を民間会社に担わせれば、送電の利用料金が高くなって電気料金はますます高くなってしまうでしょう。発電に関しては、民間の自由な参入を認めた方が料金は下がりますが、送電に関しては逆に作用します。
世の中には、私的に管理した方がよいものと、そうでないものがあるのです。
>受益者である自動車会社が負担して道路を勝手に整備しろということになったら、自動車の値段はとんでもなく高くなってしまうことでしょう。
ここに本質が出ている、と私は思いました。
電力の安定・安価の供給に、送電網が寄与する可能性は、私もわかるのですが、
いっぽう、事業者としては、公共資産に依存して事業を行うわけで、いわばフリーライドの状態になります。
自家用車所有に対し、公共交通機関の鉄道が衰えていったのは、結局は片側の事業者が路線を私有しなければならなかったからです。
電力へ一方的に肩入れし、公有化すると、ガスや自家発電にとって、イコールフィッティングの競争ではなくなります。
「利権が発生すると、官僚や政治家は理性的な予算配分などできなくなる」という主張もその通りだと思います。
もっとも、「だから自己責任で」という意見にもくみできません。
やはり一般の納税者も含めた各ステークホルダーの協議で、道路か鉄道かが十分に議論し、その上で血税を投入すべき、ということになります。官僚が人選で主導権を握れる審議会じゃ全くダメなんで、公募で真摯に民主的に話し合わねばなりませんが・・・・。
何か、この問題は延々とデルタさんと議論していますが・・・。
>公有化すると、ガスや自家発電にとって、イコールフィッティングの競争ではなくなります。
自家発電の場合は、送電距離が短いので問題はないと思うのですが、ガスに対して不利に働く可能性はありますね。これに関しては十分な配慮が必要だと思います。
>電力へ一方的に肩入れし、公有化すると、ガスや自家発電にとって、イコールフィッティングの競争ではなくなります。
現下の電力体制が抱える問題は、そのシステムが巨大化したことにあると考えています。効率という錦の御旗のもと、火力発電は巨大化の一途を辿り、原発は、巨大であるが故に、コストダウンに成功して来たのです。
その結果、長大送電線が必要になり、巨大な潮流制御を安定的に行うための複雑な潮流制御技術を必要とし、電力の独占を維持する状況を確固なものとしてきたのです。
この強大な発電システムを温存したままでは、送配電線路を公有化しても、巨大な発電業者に振り回されるだけで、単に分離してみたと言うだけのことになってしまうのは目に見えています。
この問題を解決し、自然エネルギーや、自家用発電などの多様な発電システムの参入を容易にするには、発電の小規模分散化が必須の条件になります。
この条件を充たすのは、燃料電池です。燃料電池に依れば、現在の、ガスインフラをそのまま発電に振り替えることが出来ます。都市ガス供給網、或いは地方のLPGインフラでそのまま発電し、熱電併給すれば、小規模分散電源と、自然エネルギーとの共存、系統の安定化、高効率化などの様々な課題が一挙に解決します。脱原発も可能になります。
燃料は無限にあります。石炭、天然ガス、産業廃棄物、バイオマス。
今回のような大規模災害になれば、市場原理主義に任せた場合復旧すらされない可能性も大きいですし、過疎地なんかはライフラインすらなくなるでしょうしね。
それから自然エネルギーに関しては日本では難しいでしょうね。
何より土地が狭く人口密度が高いですから。
これがうまくいけば農山漁村はエネルギー的に独立し、国も電力会社も津津浦浦まで送電網を張りめぐらせる義務から解放されます。
都市部では、自然エネルギーによる電力も受け入れる賢い送電網が必要です。それにしても、一方で各発電者がエネルギー貯留機能を持って時間的にならして提供し、他方で消費者が電圧や周波数のこれまでよりも大きな変動にたえる機器を使う必要があると思います。
電力網は公共財産とし、運用は、目標を地方自治体で設定したうえで、請け負いという形で会社にやってもらうのがよいのではないでしょうか。