長らく更新をサボってしまい申し訳ございませんでした。ここ数年、大学教員をやっております。就職氷河期に匹敵する今年の就職活動の厳しさといったら言語に絶する状況。4年生の教え子の中でも未だに就職が決まらない学生が多く、こっちまで胃の痛くなる日々を送っております。就職が決まらなくては仕方ないから「今年は卒業を見送って(つまり留年して)、来年もう一回挑戦しようか」といっても「もう学費が出せません・・・」。しかも留年して来年少しは就職戦線が好転するようならよいですけど、来年はもっと厳しいかも。このままでは「第二ロスジェネ世代」の誕生必死です。しかし「第二」というより、慢性的ロスジェネ化という感じですが・・・・・。
3年生もまだ就職活動が本格化しない今からクラーイ顔をしています。先日、3年ゼミの時間中に「人と競争するのが好きな人手をあげて」と聞いたら、その場にいた9人中「競争は好きだ」と答えたのがたったの1名。あとの8名は、「人との競争はイヤ」とか「できることなら避けたい」という回答でした。
公務員(消防)を志望している学生は、「たえず人と比べられながら、少しでも儲けるために競争に追いまくられるのが自分にはできない。人助けが仕事の消防なら、誰の迷惑にもならないし、やり甲斐をもって自分でもできる」と言っていました。その彼は、探検部所属で、食料もテントも何も持たずに無人島に行って、魚をモリで突いたり貝を採りながら1週間サバイバルできるというツワモノです。「競争が好き」と答えてもおかしくなさそうですけど、そうではありませんでした。無人島での生活こそ、まさに乏しい食糧を皆で分け合って、助け合わなければ生きていけないのです。
それにしても教え子の90%が「競争キライ」とは・・・。いわゆる「エリート大学」に行けば、もう少し回答の傾向は変わるのでしょうが。しかし、それを勘案しても、日本の大学生を平均して、まあ7割は競争がキライで、好きと答えるのは3割くらいになるのではないでしょうか。
市場原理大好きなアメリカに行けば、この数字が逆転して7割が「競争好き」で、3割ほどがキライという結果になるのかも知れません。これは「文化の差」と考える他ないでしょう。日本人は、元来競争がキライなんです。この国をアメリカ型競争社会に変えようとした小泉=竹中路線の破たんは必然でした。
「和を以て貴しと為せ」を「日本の原理」として、憲法の第一条に据えた聖徳太子は本当に先見性があったなあ、といまさらながらに感心しております。日本で憲法を改正するとしたら、「和を以て貴しと為せ」をふたたび憲法の第一条にもってきましょう。そうすれば、アメリカ型の「株主至上主義経営」を憲法違反として訴えることもできます。
話は変わりますが、私の勤務先の大学は女子の某球技が強くて、昨日はインカレの「事実上の決勝」といわれた準決勝でした。私の授業を受講している学生も何人か出場しているので応援に行きました。壮絶な大激戦を展開した末、2点差で惜敗するという何とも残念な結果でした。しかし残り2秒で相手ボールになっても、最後まで逆転を信じてスティールしようとボールに食いついていった選手たちの姿を見て、深く感動した次第です。本当に美しかった。感動をありがとう。
試合が終わった後、声をかけるのも辛かったのですが、「(試合に出ていなかった)Sさんはどうしたの」と聞くと、「Sはまだ就職が決まらなくて・・・」とのこと。そう、Sさんのみならず、4年生の選手の何人かが就職決まらず試合に出ていないのです。Sさん、スピーディな動きでペネトレートから得点を決め、試合の流れを変えられる選手なので、彼女が出ていたらなあ、とも思った次第です。大学生活最後の試合なのに出れなかったのは本人たちも辛いことでしょう。
まあ、4年生の中心選手が就活で抜けているというのは、他の大学も同じ状況でしょうから、お互い同じ条件なのでしょうけど。それでも、お互いに持てる力のすべてを出しきれないで試合に臨まねばならないというのは残念なことです。
それにしてもあの素晴らしい部員たちにして、未だに就職が決まっていない学生が多いのには唖然とするばかりです。大学日本一の選手ともなれば、少しお高くとまってもおかしくなさそうですが、全く奢らず、謙虚にひたむきで、勉強をおろそかにせず、私の授業も大会のとき以外は皆勤でした。風邪で熱がある時でも、それを押して授業に出ていた姿を思い出します。あの優秀な選手たちにして、この時期になっても就職決まらないというのはオカシイですね。
日本社会が音をたてて崩壊していっているのを日々感じます。
政府の皆様、事業の仕分けもいいですけど、無駄を削るのは、それを雇用のために有用な分野へ支出するためでなければなりません。いま何にもまして最優先せねばならないのは雇用を守るこです。日本版グリーン・ニューディールの精神はどこにいったのでしょう?
3年生もまだ就職活動が本格化しない今からクラーイ顔をしています。先日、3年ゼミの時間中に「人と競争するのが好きな人手をあげて」と聞いたら、その場にいた9人中「競争は好きだ」と答えたのがたったの1名。あとの8名は、「人との競争はイヤ」とか「できることなら避けたい」という回答でした。
公務員(消防)を志望している学生は、「たえず人と比べられながら、少しでも儲けるために競争に追いまくられるのが自分にはできない。人助けが仕事の消防なら、誰の迷惑にもならないし、やり甲斐をもって自分でもできる」と言っていました。その彼は、探検部所属で、食料もテントも何も持たずに無人島に行って、魚をモリで突いたり貝を採りながら1週間サバイバルできるというツワモノです。「競争が好き」と答えてもおかしくなさそうですけど、そうではありませんでした。無人島での生活こそ、まさに乏しい食糧を皆で分け合って、助け合わなければ生きていけないのです。
それにしても教え子の90%が「競争キライ」とは・・・。いわゆる「エリート大学」に行けば、もう少し回答の傾向は変わるのでしょうが。しかし、それを勘案しても、日本の大学生を平均して、まあ7割は競争がキライで、好きと答えるのは3割くらいになるのではないでしょうか。
市場原理大好きなアメリカに行けば、この数字が逆転して7割が「競争好き」で、3割ほどがキライという結果になるのかも知れません。これは「文化の差」と考える他ないでしょう。日本人は、元来競争がキライなんです。この国をアメリカ型競争社会に変えようとした小泉=竹中路線の破たんは必然でした。
「和を以て貴しと為せ」を「日本の原理」として、憲法の第一条に据えた聖徳太子は本当に先見性があったなあ、といまさらながらに感心しております。日本で憲法を改正するとしたら、「和を以て貴しと為せ」をふたたび憲法の第一条にもってきましょう。そうすれば、アメリカ型の「株主至上主義経営」を憲法違反として訴えることもできます。
話は変わりますが、私の勤務先の大学は女子の某球技が強くて、昨日はインカレの「事実上の決勝」といわれた準決勝でした。私の授業を受講している学生も何人か出場しているので応援に行きました。壮絶な大激戦を展開した末、2点差で惜敗するという何とも残念な結果でした。しかし残り2秒で相手ボールになっても、最後まで逆転を信じてスティールしようとボールに食いついていった選手たちの姿を見て、深く感動した次第です。本当に美しかった。感動をありがとう。
試合が終わった後、声をかけるのも辛かったのですが、「(試合に出ていなかった)Sさんはどうしたの」と聞くと、「Sはまだ就職が決まらなくて・・・」とのこと。そう、Sさんのみならず、4年生の選手の何人かが就職決まらず試合に出ていないのです。Sさん、スピーディな動きでペネトレートから得点を決め、試合の流れを変えられる選手なので、彼女が出ていたらなあ、とも思った次第です。大学生活最後の試合なのに出れなかったのは本人たちも辛いことでしょう。
まあ、4年生の中心選手が就活で抜けているというのは、他の大学も同じ状況でしょうから、お互い同じ条件なのでしょうけど。それでも、お互いに持てる力のすべてを出しきれないで試合に臨まねばならないというのは残念なことです。
それにしてもあの素晴らしい部員たちにして、未だに就職が決まっていない学生が多いのには唖然とするばかりです。大学日本一の選手ともなれば、少しお高くとまってもおかしくなさそうですが、全く奢らず、謙虚にひたむきで、勉強をおろそかにせず、私の授業も大会のとき以外は皆勤でした。風邪で熱がある時でも、それを押して授業に出ていた姿を思い出します。あの優秀な選手たちにして、この時期になっても就職決まらないというのはオカシイですね。
日本社会が音をたてて崩壊していっているのを日々感じます。
政府の皆様、事業の仕分けもいいですけど、無駄を削るのは、それを雇用のために有用な分野へ支出するためでなければなりません。いま何にもまして最優先せねばならないのは雇用を守るこです。日本版グリーン・ニューディールの精神はどこにいったのでしょう?
先日、生物多様性条約関連のシンポに呼ばれ、経団連や環境省の方々がいる前で、「現時点では、経団連も日本政府も決して受け入れることはできない論点かと思います。しかしながら、本当は農産物貿易の自由化路線を放置する限り、生物多様性の保全など不可能なのです。このことを頭の片隅に入れておいて下さると嬉しく存じます」と言ってきました。そうしたところ、けっこう会場にいた財界の方々も頷いておりました。
潮流は確実に変わってきています。そのうち、経団連が率先して「関税引き上げ」を主張するようになるかもしれません。結構「その日」は近いような気がするのです。
これまで、日本政府が環境税をかけるといえば、日本経団連は「海外に逃げるぞ」といって脅してきました。しかしながら、日本で環境税をかけた分、環境税のない外国からの輸入品にそれと同率の関税を課してしまえば、競争力は変わらないわけで、海外に工場を移転させる必要もないのです。
関税をかけて、環境税のない国からの環境ダンピングに対抗するという主張は国際的に正論です。あとは気候変動枠組み条約とWTO協定のどちらを優先させるべきかという国際法上の議論になります。米国も既に自由貿易には後ろ向きですし、温暖化防止とWTOのどちらを取るかと言われれば、国際的なコンセンサスは温暖化防止ということになるでしょう。
ポスト京都議定書では、日本政府が率先してこうした主張を議題にあげるべきなのです。
エマニュエル・トッド 歴史人口学者・家族人類学者――もし自由貿易が続くなら民主主義は消えるだろう