代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

持続可能な社会と経済成長は両立可能か?

2005年05月06日 | エコロジカル・ニューディール政策
 持続可能なチャンネルの管理人さんからコメントのトラックバックをいただきました。私のコメントに丁寧に回答して下さったのです。持続可能なチャンネルさんは、持続可能な社会を建設するためには、やはり「経済規模の縮小を覚悟せねばならない」とのご意見でした。
 私がこのブログで主要に訴えているのは、「エコロジカル・ニューディール政策」という環境・経済政策です。その政策の要旨は、「循環型社会の建設に向けた代替エネルギー開発やその他の環境保全政策に公共投資を重点投入することにより、脱石油・脱原子力社会の実現に向けた民間設備投資の波を引き起こすことが可能であり、現在の経済的停滞状況を打開できる。つまり循環型経済の構築および、ポストバブル不況と高失業状態からの脱却という二つの課題を同時に達成できる」というものです。

 本日は、「持続可能な社会と経済成長は両立可能か?」という問題に関して若干のコメントをしたいと思います。もっともこの問題は、現在の人類が直面する政策課題の中でももっとも大きなものの一つだと思います。現時点での私の回答は十分なものではありません。これからも自分なりに考えて、折りに触れて論じていきたいと思います。

 現在の経済規模を維持するということは、GDPを現在の水準で維持することと解釈します。日本の場合、GDPはだいたい500兆円です。現在の経済規模を維持するのは、要は年間500兆円の資本がグルグルと循環していればよいわけです。産業革命以降の経済システムにおいては、循環する資本の量の増大にだいたい比例してエネルギー投入量も増加してきました。しかし、「より多くの資本を循環させるためには、それに比例してエネルギー投入量を増やさねばならない」という命題は真ではないと思います。
 経済規模を維持しながら、エネルギー消費量を削減していく方法は、三つあると思います。一つは、エネルギー効率を増加させること。二つ目は、化石燃料集約的な現行の技術を人間の手による労働集約的な技術に置き換えていくこと。三つ目は、生産された財を運搬する範囲をなるべく小さくしていくことです。そうすれば、投入エネルギーを減らしながら経済規模は維持し、なおかつ失業率を削減していけるはずです。

 ある工場で財を生産するのに、化石燃料の投入量を半分に抑えて、その分の仕事を人間の熟練労働で置き換えたとします。それによって生産の効率性が低下し、その財の年間生産量が半分になったとします。しかし、その財の価格が2倍になり、かつ全て完売できれば、工場の年間総売り上げは同じ額です。つまり、同じ経済規模は維持できるわけです。(もちろん大問題は、熟練労働に依存した2倍の価格の財を消費者が買うかどうかなのですが…)。

 現在の工業的農業では、1カロリーの食糧を食卓にのせるのに10カロリーもの化石燃料を使用していると言われています。エネルギー収支では完全にマイナスです。それに対して、人力と畜力のみに依存していた工業社会以前の農業は1カロリーの食糧を生産するのに0.1カロリー程度しかエネルギーを消費していなかったそうです。
 工業的農業で1本100円のダイコンをつくり、有機農業で1本200円のダイコンをつくったとします。化石燃料の投入量は、有機農業では2分の1になると仮定します。かりに経済全体で、ダイコンは全て工業的ダイコンから有機ダイコンに置き換わるものとします。そして価格が100円から200円に2倍になってもダイコンの消費量は減らないものと仮定します(実際はそのようなことはないでしょうが、あくまで思考実験です)。
 すると、ダイコンの総売上(数量×価格)は2倍に伸びたのに、化石燃料の使用量は半分に減るわけです。こうしたことがマクロで積み重なっていけば、エネルギー投入量を減らしながら、経済規模を増大させることが理論的には可能なはずです。
 
 つぎに「運搬の範囲をより小さくする」ことを考えてみましょう。遠くスカンジナビア半島のフィンランドからスエズ運河を越え地球を半周して日本に運搬してくる木材と、すぐ近くの裏山で採れるスギ木材があったとして、運搬に必要なエネルギー消費量は、後者では1000分の1だとします(正確な数字は知りませんが…)。残念ながら、価格や質などさまざまな要因によって、消費者は、後者よりも前者を選択してしまう場合が多いです。しかし、消費者がスギ木材を選択すれば、輸入が減る分だけ日本のGDPを増大させながら、エネルギー消費量は削減できるわけです。
 
 「持続可能なチャンネル」の管理人さんも、「建前としてしばらくの間は、『経済の縮小無しに持続可能な社会に移行できる』という宣伝活動も必要なのかも知れません」と述べています。そう割り切っていただいてよいと思います。

 私の場合、少なくとも短期的には、持続可能な社会への移行のための技術を開発しながらGDPを増大させ、現在の閉塞状況を打ち破ることは可能だと思います。これは宣伝活動と割り切る以上のものだと思っております。
 
 バブル崩壊後の日本社会の病理は、民間設備投資が著しく落ち込んだことでした。民間設備投資さえ回復すれば、不況や高失業、さらに赤字国債依存症という病理は終わるはずなのです。
 自然エネルギーや燃料電池など代替エネルギー部門への民間設備投資が活発化すれば、その資金の流れは、間違いなく景気を回復させる原動力になります。アーバン・マイニングやリサイクルなど「静脈産業」に対する設備投資が増えても、経済を活性化させます。とにかく資金が流れればよいのです。今までの産業社会では、「資金の循環」の背後に、循環しない物質の「大量廃棄」がありました。しかし今後は、資金といっしょに、財を構成する原子・分子も循環させていけばよいわけです。持続可能な社会の構築のためには財を私的所有に任せるのではなく、財そのものは「社会的共有物」であるという概念を育成しつつ、財の持つサービス機能のみを売り買いするという「リース社会」に変えていかねばならないと思います。
 そのような改革を通して、「資金の流れを大きく」させながら、「化石エネルギーや他の天然資源の投入量を減らしていく」ことは十分に可能になると思います。
 政府の産業政策と公共投資をテコにして、そのような民間投資の流れを作り出そうというのが、エコロジカル・ニューディール政策の意図するところです。

 もちろん、「持続可能なチャンネル」の管理人さんが仰るように、再生可能エネルギーの開発が十分に進んでも、その供給が、現在の化石燃料と原子力のエネルギー供給量を代替できるだけの量を確保できるとは到底思えません。
 しかし短期的には、少なくとも代替エネルギーの新技術が一通り出揃い、普及していくという40-50年というタイム・スパンで活発な設備投資が続くものと思われ、その期間は経済成長を達成しながら(少なくとも現状の規模を維持しながら)、化石燃料の使用削減(段階的に少しづつ)が可能になると思います。
 そうした技術開発と普及の波が一通り終わった段階で(2050年ごろ?)、つぎに何が起こるかはわかりません。そのときは、並行して使っていた化石燃料の枯渇がいよいよ見えてきて、「経済規模の縮小」がいよいよ必要になるかも知れません。しかし、その時点までに代替エネルギー技術が一通り出揃っていれば、よりスムーズなソフトランディングが可能になるでしょう。

 もっとも、このシナリオを実現させるためには、「民営化・自由化・規制緩和=効率化=絶対善」とする市場原理主義というトンデモ・イデオロギーのファッショ的支配からの脱却が急務であるように思われます。

持続可能なチャンネル

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2 コメント

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意識が変わる? (oozora通信)
2006-03-23 20:45:52
身近なことですが、練り歯磨きという商品はなかのペ-ストが価値ですが、チュ-ブにいれているまではまあ必要でしょうが、これを箱にいれて商品化すると、箱は単なるゴミですね。たとえばドイツなどではこういう過大包装物にたいしては環境税を課しているとききます。税がかかると価格が上がります。競争にかてないからメ-カ-は無包装にせざるをえない。とまあ、単純なはなしなんですが、問題はそういう風にしてでも環境問題をすこしでもどうにかしようという(社会の仕組みの変更)共通の認識のようなものがそだてばいいんですが?

ゴミは出し放題、焼却場は、おらが地元には立てさせねえぞ!。ですから。ここから変わらんと、とおもいますねえ。
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oozora通信さま ()
2006-03-23 23:12:09
 このエントリーの考察はまだ生煮えで不十分なものでお恥ずかしい次第です。また考察を深めて何か書きたいです。oozora通信さまのブログも暇のあるときにじっくり拝読させていただきます。
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