ブログのコメント欄でにわかに吉田松陰論が活発に展開されるようになってきました。吉田松陰を深く尊敬する安倍晋三首相の肝いりでしょうか、来年からは小学生向けの道徳教科書に吉田松陰が「再登場」することになったそうです。「再登場」というのは、松陰は戦前の「修身」の教科書で愛国教育の教材としてさんざんに利用されてきたからです。戦前教育の復活を目指す安倍晋三政権の地ならしとしての松陰再登板いったところでしょうか。いよいよ中国共産党も真っ青な状態になってきました。
かくいう私も安倍首相と同じく吉田松陰を好きですが、教科書に載せて小学生に大々的に教育するとなると「????」となります。私は吉田松陰の人間臭いところが好きなのですが、安倍首相は松陰を半ば神格化して尊敬しているのだと思われるからです。後者の態度は非常に危険です。
「長州神社の「招魂」の謎(2)」という記事のコメント欄でのりくにすさんと薩長公英陰謀論者さんのコメントを一部紹介させていただいきます。
*******
素に戻っただけだった? (りくにす) 2014-03-11 07:37:17
どうも松陰の「変節」は、素に戻っただけと考えたほうがいいのかもしれません。すでにお読みかもしれませんが、こちらのページでは松陰が父から神国思想を叩き込まれていた、と述べられています。
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj011005.html
旅に出ていろいろな人々と出会い、象山塾で開国論になったまではいいのですが、故郷で攘夷派の若者たちとしゃべっている間に地が出てきてしまったのでは。
松下村塾と「招魂」の間に、遺書「留魂録」があるような予感があるのですがこの辺は私も苦手で…
いつもだったら読み飛ばすエンディングノート的部分を調べなきゃいけないと思うとめんどくさくて。
ところで『中国化する日本』のなかで、与那覇潤氏は『近代日本の陽明学』で扱っている「動機が純粋で正しければ手段や結果はどうでもいい」風潮を「動機オーライ主義」と呼んでます。(そう言ったのは野口武彦氏らしい)
これを歓迎する風潮が民衆の間にあり、赤穂浪士の討ち入りが成功した背景にもこれがあり、近代になっても政府の弱腰外交を突き上げるという形で存続してきました。
*****************
吉田松陰の「遺書」である『留魂録』にある辞世の句。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂
たしかに松陰の『留魂』の発想と長州(靖国)神社の招魂の発想は連続性がありそうです。これは引き続き研究課題です。またご指摘の通り、松陰門下生たちの過激テロ活動にも、濃厚に動機オーライ主義があると思います。
********************
3.11 に取り急ぎ。 (薩長公英陰謀論者)2014-03-11 13:00:25
ご投稿により学んだことのうち、参照の『吉田松蔭は思想家だったか ー思想という概念についてー』( http://www25.atpages.jp/dokushin/yoshida.htm )から以下とくにとくに深く感銘を受けたところを:
・・・山県大弐が勤労人民の解放という根源的発想に立っていたのに対して、松陰は国の運命(国という概念の実態は掴んでいない)という抽象的な観念形態から出発し、しかも自己の倫理をどう守るかという個人的問題にかかずらわって低迷しているのである。これは山県大弐と吉田松陰がまったく逆の方向から思想というものにアプローチしていることをはっきり示している。
武士という同じ支配階級に属しながら、二人がこのように根本的に反対の方向から思想にアプローチした理由は、二人が同じ階級に「出身」しながら「依拠」する階級がまったく異なっていたためであると考えられる。松陰は身を切り刻むような苦しみの中で大弐の思想に導かれて、遂に幕藩体制を否定し一君万民の思想に到達して行く。しかし・・非合理主義的、神秘主義的天皇信仰に流れて彼の個人的心情論に堕している。つまりここでも松陰の視野の中には苦しみの底に喘いでいる勤労人民の姿はなかったのだ。
**********************
吉田松陰の「草莽崛起」論は、徳川封建体制を否定し身分制度の廃止と人民革命を唱えて処刑された江戸中期の思想家山県大弐(戦国ファンにはおなじみの武田軍最強と呼ばれた山県昌景の子孫)から来ていると言われています。しかし松陰の思想は根本的なところで、山県と相容れないというもの。私も両者の発想には根本的なところで相違があると思います。
さて、最近読んだ本でぜひ紹介したい本があります。一坂太郎著『司馬遼太郎が描かなかった幕末 ―松陰・龍馬・晋作の実像』(集英社新書、2013年)。これは面白い。とくに著者の執筆の動機に私は深く共感しました。以下は同書を少し紹介したい。
著者の一坂氏は、日本では「生活格差が拡大」し、先が見えない厳しい状況の中で「誇りが持てる国」「美しい国」といった「幻」が語られ、その危うい政治状況に「妙にフィットする」のが司馬遼太郎であり、松陰や龍馬や晋作の物語であるという。著者は、政治家や経営者たちが安易に司馬遼太郎を礼賛し、実像とかけ離れた「松陰・龍馬・晋作」を「尊敬する人物」として挙げている点に危機感を抱いて本書を執筆している。
拙ブログの議論とも絡む重要な論点をいくつか紹介したい。
★吉田松陰の言う「草莽」を、司馬遼太郎は「革命的市民」として解釈した。しかし松陰の「草莽」概念は下級武士を指していて、百姓は含まれていない。
これは山県大弐と吉田松陰の思想の差異という論点に通じる部分。
★愛弟子吉田稔麿への松陰のストーカー行為と葬式ごっこ
松陰は、弟子の吉田栄太郎(稔麿)が「魂」の抜けた状態であると非難し、それを「心死」と称して葬式ごっこまでやった。このエピソードも、りくにすさん指摘の「招魂」「留魂」とも絡んで興味深い。
★超過激テロリストだった松陰
吉田松陰のテロリストとしての側面は避けて通れない問題である。松陰が老中・間部詮勝の暗殺を計画していたとき、同志・小国融蔵に向けて「死を畏(おそ)れざる少年三、四輩、弊塾(松下村塾)まで早々お遣わししかるべく」と依頼している。
著者の一坂氏曰く、「テロリストに仕立てたいから、死んでも構わぬ少年がいれば三、四人みつくろって、早く送れと依頼しているのだ。ここまでくると無茶苦茶で、清く正しい教育者のイメージからはほど遠い」。
たしかに、幼い子供たちにまで自爆テロをさせることをも厭わないビン・ラディンを彷彿とさせるエピソードである。行動派右翼や中核派の方々なら吉田松陰から学べるところは大きいとは思うが、小学生の道徳教科書に載せるとなると、さすがに松陰好きの私も尻ごみせざるを得ない。いったい安倍首相は、テロリスト松陰の側面を知っているのだろうか?
松陰のみならず、高杉晋作や坂本龍馬に関しても興味深い考察がたくさんある。晋作に関して一つエピソードを紹介したい。
★人斬り晋作・人斬り俊輔
司馬遼太郎の『世に棲む日々』のみならず、通常の晋作を主人公にした小説や伝記でもスルーされているのは、高杉晋作の「人斬り」エピソード、幕府密偵と噂された摂津高槻の宇野八郎暗殺事件である。著者の一坂氏は、テロリズムを一概に否定する立場ではないのだが、この事件に関する著者の感想が面白かった。「柳生新陰流免許皆伝の腕を持つ晋作にしては、卑怯な殺し方である」と。この暗殺の仕方(詳しくは本で)は、「たしかに卑怯だ」と同意であった。
伊藤俊輔(=伊藤博文)による国学者塙次郎暗殺のエピソードも紹介されている。著者は、「晋作にせよ伊藤にせよ、流言蜚語を信じて簡単に他人の生命を奪うような側面もあり、その上当時はそれを自慢するような風潮もあった」と言う。
伊藤博文はまがうことなき人斬りであった。平時であれば罪人として死罪になっていてもおかしくない殺人犯でありテロリストなのである。その元テロリストが堂々とわが国の初代内閣総理大臣を務めたわけである。私は、そのような人物たちが創った国家体制(=長州レジーム)を、とても誇りには思えない。
伊藤博文を暗殺した安重根を「テロリスト」と呼ぶ自民党の政治家は、テロリスト・伊藤の側面を知っておいた方がよいだろう。
薩摩の田中新兵衛に中村半次郎、土佐の岡田以蔵、肥後の河上彦斎・・・・「幕末四大人斬り」の中に、なぜ長州人は誰もいないのだと疑問に思った人も多いのではなかろうか。これは自らも人斬りであった長州の元勲たちに都合が悪いからあまり語られなかっただけである。上記の四人はいずれも罪人として刑死ないし戦死しているから、後に人斬りのレッテルを貼りつけても問題のない人々ばかりであったのだ。
実際には、松陰門下の人々は、「人斬り晋作」「人斬り俊輔」「人斬り弥二郎」・・・・人斬りだらけであった。これも松陰の教育の賜物としか言いようがない。
また松陰門下の桂小五郎(木戸孝允)と久坂玄瑞は、幾多のテロリズムを統括した総責任者であった。
薩長公英陰謀論者さんから紹介していただいた井上勝生氏の『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』(岩波新書、2006年)には、久坂と桂による陰惨なテロリズムの一端が紹介されている。同書で紹介されているのは、長州の草莽志士二名に、薩摩の貿易商船の船頭の暗殺を強要し、暗殺させた上でいやがる本人たちを無理やり切腹させた事件である。桂や久坂の行為の陰惨さに関しては、連合赤軍事件を彷彿とせざるを得ない。
吉田松陰は孝明天皇を神として崇拝していたが、孝明天皇は、松陰の弟子たちが行うこうした陰惨なテロリズムが大嫌いであった。好きな相手に良かれと思ってなにかすればするほと逆に嫌われていくというストーカーの心理に似たものがある。
安倍首相も天皇のために良かれと思っているのかも知れないが、その行為のことごとくが天皇陛下の御心に反し、やればやるほど嫌われることになろう。
松陰は動機が純粋でさえあれば殺人も肯定する人物でった。松陰が狙ったのは井伊直弼の腹心の老中・間部詮勝であった。当時は安政の大獄の最中で、為政者の側が国家テロに手を染めてしまっていたので、追い詰められた側がやむを得ず最後の抵抗手段として井伊を狙うというのはあり得たと思う。
しかしながら松陰の弟子たちは、全く無実の、殺してはいけない人々を殺しすぎた。伊藤、山縣、品川ら生き残った弟子たちが国家権力を掌握すると、今度は井伊も顔負けの国家テロを行使する側に回ったのもむべなるかなといえる。
木戸や伊藤や山縣や品川らの松陰門下がつくった明治という「長州レジーム」など最初からろくなもんじゃなかった。彼らは、多くの人々に対し「長州レジーム」のための死を強要するための「装置」として長州神社(靖国神社)を創った。この体制が太平洋戦争の滅亡に至ったのも、明治の最初から運命づけられていたといえるだろう。しかし敗戦にもかかわらず、GHQが岸信介を釈放したことによって長州レジームは復活してしまったのだ。安倍政権の下でさらに強化されようとしている。
明治維新の誤謬を正し、江戸公儀体制の良い部分(地方分権、内需主導、循環型社会)の延長上に新しい日本をつくり直すしか、日本再生の方法はないだろう。
かくいう私も安倍首相と同じく吉田松陰を好きですが、教科書に載せて小学生に大々的に教育するとなると「????」となります。私は吉田松陰の人間臭いところが好きなのですが、安倍首相は松陰を半ば神格化して尊敬しているのだと思われるからです。後者の態度は非常に危険です。
「長州神社の「招魂」の謎(2)」という記事のコメント欄でのりくにすさんと薩長公英陰謀論者さんのコメントを一部紹介させていただいきます。
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素に戻っただけだった? (りくにす) 2014-03-11 07:37:17
どうも松陰の「変節」は、素に戻っただけと考えたほうがいいのかもしれません。すでにお読みかもしれませんが、こちらのページでは松陰が父から神国思想を叩き込まれていた、と述べられています。
http://homepage2.nifty.com/kumando/mj/mj011005.html
旅に出ていろいろな人々と出会い、象山塾で開国論になったまではいいのですが、故郷で攘夷派の若者たちとしゃべっている間に地が出てきてしまったのでは。
松下村塾と「招魂」の間に、遺書「留魂録」があるような予感があるのですがこの辺は私も苦手で…
いつもだったら読み飛ばすエンディングノート的部分を調べなきゃいけないと思うとめんどくさくて。
ところで『中国化する日本』のなかで、与那覇潤氏は『近代日本の陽明学』で扱っている「動機が純粋で正しければ手段や結果はどうでもいい」風潮を「動機オーライ主義」と呼んでます。(そう言ったのは野口武彦氏らしい)
これを歓迎する風潮が民衆の間にあり、赤穂浪士の討ち入りが成功した背景にもこれがあり、近代になっても政府の弱腰外交を突き上げるという形で存続してきました。
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吉田松陰の「遺書」である『留魂録』にある辞世の句。
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂
たしかに松陰の『留魂』の発想と長州(靖国)神社の招魂の発想は連続性がありそうです。これは引き続き研究課題です。またご指摘の通り、松陰門下生たちの過激テロ活動にも、濃厚に動機オーライ主義があると思います。
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3.11 に取り急ぎ。 (薩長公英陰謀論者)2014-03-11 13:00:25
ご投稿により学んだことのうち、参照の『吉田松蔭は思想家だったか ー思想という概念についてー』( http://www25.atpages.jp/dokushin/yoshida.htm )から以下とくにとくに深く感銘を受けたところを:
・・・山県大弐が勤労人民の解放という根源的発想に立っていたのに対して、松陰は国の運命(国という概念の実態は掴んでいない)という抽象的な観念形態から出発し、しかも自己の倫理をどう守るかという個人的問題にかかずらわって低迷しているのである。これは山県大弐と吉田松陰がまったく逆の方向から思想というものにアプローチしていることをはっきり示している。
武士という同じ支配階級に属しながら、二人がこのように根本的に反対の方向から思想にアプローチした理由は、二人が同じ階級に「出身」しながら「依拠」する階級がまったく異なっていたためであると考えられる。松陰は身を切り刻むような苦しみの中で大弐の思想に導かれて、遂に幕藩体制を否定し一君万民の思想に到達して行く。しかし・・非合理主義的、神秘主義的天皇信仰に流れて彼の個人的心情論に堕している。つまりここでも松陰の視野の中には苦しみの底に喘いでいる勤労人民の姿はなかったのだ。
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吉田松陰の「草莽崛起」論は、徳川封建体制を否定し身分制度の廃止と人民革命を唱えて処刑された江戸中期の思想家山県大弐(戦国ファンにはおなじみの武田軍最強と呼ばれた山県昌景の子孫)から来ていると言われています。しかし松陰の思想は根本的なところで、山県と相容れないというもの。私も両者の発想には根本的なところで相違があると思います。
さて、最近読んだ本でぜひ紹介したい本があります。一坂太郎著『司馬遼太郎が描かなかった幕末 ―松陰・龍馬・晋作の実像』(集英社新書、2013年)。これは面白い。とくに著者の執筆の動機に私は深く共感しました。以下は同書を少し紹介したい。
著者の一坂氏は、日本では「生活格差が拡大」し、先が見えない厳しい状況の中で「誇りが持てる国」「美しい国」といった「幻」が語られ、その危うい政治状況に「妙にフィットする」のが司馬遼太郎であり、松陰や龍馬や晋作の物語であるという。著者は、政治家や経営者たちが安易に司馬遼太郎を礼賛し、実像とかけ離れた「松陰・龍馬・晋作」を「尊敬する人物」として挙げている点に危機感を抱いて本書を執筆している。
拙ブログの議論とも絡む重要な論点をいくつか紹介したい。
★吉田松陰の言う「草莽」を、司馬遼太郎は「革命的市民」として解釈した。しかし松陰の「草莽」概念は下級武士を指していて、百姓は含まれていない。
これは山県大弐と吉田松陰の思想の差異という論点に通じる部分。
★愛弟子吉田稔麿への松陰のストーカー行為と葬式ごっこ
松陰は、弟子の吉田栄太郎(稔麿)が「魂」の抜けた状態であると非難し、それを「心死」と称して葬式ごっこまでやった。このエピソードも、りくにすさん指摘の「招魂」「留魂」とも絡んで興味深い。
★超過激テロリストだった松陰
吉田松陰のテロリストとしての側面は避けて通れない問題である。松陰が老中・間部詮勝の暗殺を計画していたとき、同志・小国融蔵に向けて「死を畏(おそ)れざる少年三、四輩、弊塾(松下村塾)まで早々お遣わししかるべく」と依頼している。
著者の一坂氏曰く、「テロリストに仕立てたいから、死んでも構わぬ少年がいれば三、四人みつくろって、早く送れと依頼しているのだ。ここまでくると無茶苦茶で、清く正しい教育者のイメージからはほど遠い」。
たしかに、幼い子供たちにまで自爆テロをさせることをも厭わないビン・ラディンを彷彿とさせるエピソードである。行動派右翼や中核派の方々なら吉田松陰から学べるところは大きいとは思うが、小学生の道徳教科書に載せるとなると、さすがに松陰好きの私も尻ごみせざるを得ない。いったい安倍首相は、テロリスト松陰の側面を知っているのだろうか?
松陰のみならず、高杉晋作や坂本龍馬に関しても興味深い考察がたくさんある。晋作に関して一つエピソードを紹介したい。
★人斬り晋作・人斬り俊輔
司馬遼太郎の『世に棲む日々』のみならず、通常の晋作を主人公にした小説や伝記でもスルーされているのは、高杉晋作の「人斬り」エピソード、幕府密偵と噂された摂津高槻の宇野八郎暗殺事件である。著者の一坂氏は、テロリズムを一概に否定する立場ではないのだが、この事件に関する著者の感想が面白かった。「柳生新陰流免許皆伝の腕を持つ晋作にしては、卑怯な殺し方である」と。この暗殺の仕方(詳しくは本で)は、「たしかに卑怯だ」と同意であった。
伊藤俊輔(=伊藤博文)による国学者塙次郎暗殺のエピソードも紹介されている。著者は、「晋作にせよ伊藤にせよ、流言蜚語を信じて簡単に他人の生命を奪うような側面もあり、その上当時はそれを自慢するような風潮もあった」と言う。
伊藤博文はまがうことなき人斬りであった。平時であれば罪人として死罪になっていてもおかしくない殺人犯でありテロリストなのである。その元テロリストが堂々とわが国の初代内閣総理大臣を務めたわけである。私は、そのような人物たちが創った国家体制(=長州レジーム)を、とても誇りには思えない。
伊藤博文を暗殺した安重根を「テロリスト」と呼ぶ自民党の政治家は、テロリスト・伊藤の側面を知っておいた方がよいだろう。
薩摩の田中新兵衛に中村半次郎、土佐の岡田以蔵、肥後の河上彦斎・・・・「幕末四大人斬り」の中に、なぜ長州人は誰もいないのだと疑問に思った人も多いのではなかろうか。これは自らも人斬りであった長州の元勲たちに都合が悪いからあまり語られなかっただけである。上記の四人はいずれも罪人として刑死ないし戦死しているから、後に人斬りのレッテルを貼りつけても問題のない人々ばかりであったのだ。
実際には、松陰門下の人々は、「人斬り晋作」「人斬り俊輔」「人斬り弥二郎」・・・・人斬りだらけであった。これも松陰の教育の賜物としか言いようがない。
また松陰門下の桂小五郎(木戸孝允)と久坂玄瑞は、幾多のテロリズムを統括した総責任者であった。
薩長公英陰謀論者さんから紹介していただいた井上勝生氏の『シリーズ日本近現代史① 幕末・維新』(岩波新書、2006年)には、久坂と桂による陰惨なテロリズムの一端が紹介されている。同書で紹介されているのは、長州の草莽志士二名に、薩摩の貿易商船の船頭の暗殺を強要し、暗殺させた上でいやがる本人たちを無理やり切腹させた事件である。桂や久坂の行為の陰惨さに関しては、連合赤軍事件を彷彿とせざるを得ない。
吉田松陰は孝明天皇を神として崇拝していたが、孝明天皇は、松陰の弟子たちが行うこうした陰惨なテロリズムが大嫌いであった。好きな相手に良かれと思ってなにかすればするほと逆に嫌われていくというストーカーの心理に似たものがある。
安倍首相も天皇のために良かれと思っているのかも知れないが、その行為のことごとくが天皇陛下の御心に反し、やればやるほど嫌われることになろう。
松陰は動機が純粋でさえあれば殺人も肯定する人物でった。松陰が狙ったのは井伊直弼の腹心の老中・間部詮勝であった。当時は安政の大獄の最中で、為政者の側が国家テロに手を染めてしまっていたので、追い詰められた側がやむを得ず最後の抵抗手段として井伊を狙うというのはあり得たと思う。
しかしながら松陰の弟子たちは、全く無実の、殺してはいけない人々を殺しすぎた。伊藤、山縣、品川ら生き残った弟子たちが国家権力を掌握すると、今度は井伊も顔負けの国家テロを行使する側に回ったのもむべなるかなといえる。
木戸や伊藤や山縣や品川らの松陰門下がつくった明治という「長州レジーム」など最初からろくなもんじゃなかった。彼らは、多くの人々に対し「長州レジーム」のための死を強要するための「装置」として長州神社(靖国神社)を創った。この体制が太平洋戦争の滅亡に至ったのも、明治の最初から運命づけられていたといえるだろう。しかし敗戦にもかかわらず、GHQが岸信介を釈放したことによって長州レジームは復活してしまったのだ。安倍政権の下でさらに強化されようとしている。
明治維新の誤謬を正し、江戸公儀体制の良い部分(地方分権、内需主導、循環型社会)の延長上に新しい日本をつくり直すしか、日本再生の方法はないだろう。
「大和魂」という言葉が普及しすぎてしまったために、松陰の「魂」へのこだわりが結構あったらしい、ということを見過ごしておりました。ふと死者の魂を機械に組み込む『新世紀エヴァンゲリオン』の決戦兵器を連想してしまいました。「留魂録」はまだ読んでいないのでオカルト的な評価は保留にしたいと思います。
そういえば出雲大社が近くにありますが、松陰はこれをどう認識していたか、といったら私の守備範囲を超えてしまいます。正月の特番で出雲の国譲りが平和裏に行われたわけではない考古学的証拠があると紹介されたので、あそこにはまだ何かあるのではなかろうかと…でも気になるのです。悪い癖でついスサノオとその一族に同情してしまうのですが、なんでも高天原(実際は大陸か朝鮮半島か?)で罪を犯したからやっつけられても仕方がないらしい。納得いきません。
そういえば竜馬暗殺の黒幕候補にも長州って出てきませんよね。
関さん、関さんとりくにすさんのトピックの展開に到底追いつくことができません。多くの論点が拡がり、重なり合い、ネットワークになっていくこと、確かにそう気がつきます。
が、その結節点が「吉田松陰」にあることに(つくられた松蔭を含めての)また、どうしても?そうなること自体が問題ではないのかと、立ちすくんでしまいます。
佐久間象山がそのような存在にはなされなかったこと(まして山県大弐や安藤昌益が)、そこに「維新近代化」の日本と、そして現在の日本との重大な問題があるのだろうと。嘆くだけではすまないでしょうから、何とか一矢を・・と。
りくにすさん、もっぱら新書をソースにしていてはとても手の届かない大書の『朱子学化する日本近代』をお読みになったのですか!・・・日本は明治以降にこそ「儒化」したと。科挙まがいの学歴主義と大企業を含めての官僚エリート支配、さらには陽明学が政財界のバックボーンであること、宜なるかな。出版後2年近くたってなおアマゾンへの読者レビュー投稿が皆無であることが印象的です。
松蔭の「一君万民」が「万民の間の平等」を意識したものであったのかどうか疑問ですが、やがてすぐに「一君」=王権の絶対性を言い立てるものになり、民の君主への隷従的同化を求める「君民一体」に変えられてしまったのかと、すみません字面だけからそう読みました。
松蔭の「一君万民」と、関さんからおしえていただいた赤松小三郎が「口上書」に述べた「國中の人民平等に御撫育相成、人々其性に準じ、充分力を盡させ候事」との間に、遙かな距離があることを感じます。
3月9日の記事にある、帝国陸軍の「長州システム」について、この数日ずっと考えています。 長州閥支配の陸軍の内部改革を誓ったという、永田鉄山(出身地は信州諏訪・同郷の岩波茂雄と終生の交友があったとか)とその盟友たちが、「バーデン・バーデンの密約」(1921)をスタートに、「恨み骨髄に徹する長州人など、まっぴらごめんだ」と、あるときいきり立ったという、あの東条英機(東京麹町出身、祖父は能楽師から取り立てられた盛岡南部氏家臣とのこと)を加えて、少なくとも人的な意味での長州支配を一掃しながらその後に、二・二六事件のテロリスト「皇道派」と軍国ファシズムの「統制派」を生み出したこと。
また「長州陸軍」で戦った日露戦争のあと、日露戦後派で正規の軍事教育を受けて育ったプロフェッショナルな軍人エリートたちが一貫して、兵站戦略抜きの短期決戦主義に陥ってしまったこと。これらについて。
土地鑑なしですが、「長州的なるもの」のストーカーになろうと思います。ずっと机の上に置いておりまして関さんのおかげでようやく頁を開いた『司馬遼太郎が書かなかった幕末 - 松蔭、龍馬、晋作の実像』の一坂太郎氏(萩博物館にお勤めだとか)のホームページでの吐露をご覧になりましたでしょうか。
http://www.h2.dion.ne.jp/~syunpuu/index.html
ここ ↑ から「長州」をのぞき見るのはフェアではないでしょうが・・・
一坂太郎氏のサイトで、宇都宮黙霖・吉田松陰の往復書簡を拝見しました。
間違っているかもしれませんが、これは「カルトへの勧誘」ですね。相手を問い詰めて「本音」を吐かせ、それが前々からの信条であるかのようにさせてしまう。松陰も弟子たちにそれをやる。「カルト」は宗教、政治、ビジネスとあらゆる分野に存在しますが、せこい「教祖」個人への奉仕でないだけに「カルト」と気づきにくい。はじめは「君は何のために勉強するんだね」と聞くそうですが、近づく者をみんな「国家存亡の危機」に目覚めさせて「討幕の志」を持っていたことに気付かせるなら、ちょっと洗脳めいています。日本陸軍の視野狭窄は、この辺のカルト的なところに由来するのかもしれません。
松陰の変節については密貿易説も面白いのですが、そのことを教えるられるほど松陰は信用されていないだろうし、利権のためだと「航海遠略策」的なうさんくささが出てしまうと思います。
黙霖とか、私のまだ知らない危険な文通相手のほうが可能性がありそうです。
長州戦争は遠くから来た敵を迎え撃つ戦いだったから兵站の必要は薄かったのだと思います。その「成功体験」が帝国陸軍に影響しているのかな。
ただ最近、BS歴史館で「長州ファイブ」をやっていたのを途中から観たのですが、かなり政権の意向が反映されているのではと危惧される内容でした。井上薫や伊藤博文は実際にはイギリスの言いなりになって、イギリスに都合のよい講和交渉をまとめていますが、その事実を隠しながら、彼らが「日本を救った」というストーリーになっていました。これも政権肝いりの長州史観宣伝キャンペーンの一環でしょうか。
後番組「英雄・・・」ですか。政権の意向を受けて、英雄史観に傾斜した「新しい歴史教科書」的な内容になりそうで怖いことです。
りくにすさんに推薦された『近代日本の陽明学』を読了し、いま同じく小島毅氏の『朱子学と陽明学』を読んでいます。私の気質も相当に陽明学的で、大塩平八郎も大好きでしたので、少々気まずい思いをしながら読んでいます(汗)。
また皆さま推薦の本をいろいろ本を紹介してくださいませ。
>永田鉄山(出身地は信州諏訪・同郷の岩波茂雄と終生の交友があったとか)とその盟友たちが、「バーデン・バーデンの密約」(1921)をスタートに、「恨み骨髄に徹する長州人など、まっぴらごめんだ」
私はこの辺の事情全く知りませんので、ぜひいろいろ教えて下さい。文献なども教えてくださると幸いです。
日本陸軍から、長州系の元勲は消えても、後をついだ人々もますます長州的というか、より悪化してしまったというような印象を持ちます。長州人でも東北人でも同じ発想になってしまっていたのではないでしょうか。
岩手南部藩が出自の東條英機と東條内閣の閣僚の岸信介は、ルーツの違いから非常に仲が悪かったでしょうが、何だかんだと発想は似ているような気もします。
都知事選に立候補した田母神さんなど、福島人であるにも関わらず靖国大好きで発想は非常に長州的です。
「国体(官僚独裁システム?)護持」という発想が大好きで、そのためには人命なんてなんとも思っちゃいないところが、長州的というか吉田松陰的なのだと思います。
関良基さま
関さん、そしてりくにすさん、すみません。無理やりに考えなければならないことを抱え込んでおりまして(いわゆる「ビジネス」の関係で)この週の終わりの金曜日28日までは長州に戻ることができません。
そこで取り急ぎ、関さんの問題意識が掲題のようなことになるのではないかと考えましたこと、それから南ドイツにある欧州有数の温泉地から始まったとされる陸軍長州閥に対する日露戦後っ子エリート将校によるクーデターに関するとりあえずの資料情報の所在を破れ行李に不器用に詰め込んでお送りします。どうかあしからずご容赦ください。
Wikipedia「昭和維新」を見ますと、つぎつぎと登場する言葉に眼がくらみます。強引かつ恣意的につなぎあわせてみますと:
1920年代から1930年代前半にかけて明治維新の精神の復興、天皇親政を求める声が急速に高まった。維新『討伐』・『天誅』・『天皇親政』、しかし「暗殺してからどうするのか、その後誰が何をするのか」においては甚だ具体性に欠けていた。昭和維新的思想を持ちながらついに直接行動に出ることはなかったのが安岡正篤。しかし、不可思議さを感じさせるほどの思想的進歩性。北一輝の『日本改造法案大綱』は、男女平等・男女政治参画・華族制度廃止・貴族院廃止・所得累進課税の強調・私有財産制限・大資本国有化(財閥解体)・皇室財産削減と社会主義者の主張と見間違うほど。二・二六事件の主犯格、磯部浅一は日本の国体を「天皇の独裁国家ではなく天皇を中心とした近代的民主国家」であるべきところ「現在は天皇の取り巻きによる独裁状態にある」とする。日露戦争以前の日本を理想国家とする。二・二六事件の鎮圧によって彼らは否定されたまま戦争へ。革新官僚・岸信介が北一輝を評価、外地での経済政策に生かされた。奇しくも敗戦により『日本改造法案大綱』はGHQ民政局によって実現される。
Wikipediaの示す参考文献は:
1.橋川文三 『昭和維新試論』 朝日選書、1993年、ちくま学芸文庫 2007年
2.高橋正衛 『二・二六事件 「昭和維新」の思想と行動』 中公新書、増補新版1994年
3.『二・二六事件と昭和維新』 <別冊歴史読本>新人物往来社、1997年
ですが、思想史として明治維新(国家主義)から昭和維新(帝国主義)への変貌をトレースしたものと思われる、1.に興味が惹かれます。
そして、本日付のネット記事、田中良紹氏による「岸信介と安倍晋三はこれほど違う」が奇妙なことに符合します。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakayoshitsugu/20140315-00033588/
<抜粋>
優秀な学生なら軍人を志す時代に彼は官僚を目指して東京大学に入学する。国粋主義者の上杉慎吉教授に私淑するが、天皇を絶対視する上杉教授の教えに疑問を抱き、坂本龍馬を源とする自由民権運動の流れをくむ民主主義者、北一輝の思想に共鳴していく。優秀な学生なら内務省か大蔵省を目指す時代に農商務省に入省する。役所で賃上げ運動を主導して上司に逆らい大臣からは「岸はアカだ」と言われた。
左遷と見られている満州ではソ連を真似た計画経済を実施し、帰国後は「革新官僚」として戦時統制経済体制をつくりあげた。その仕組みが戦後になって日本型資本主義による高度経済成長を生み「一億総中流国家」をつくりあげた。東条内閣の商工大臣となるが、東条とは意見が合わず、戦後社会党の中心となった三宅正一や川俣清音らと共に反東条の政治団体を作る。巣鴨プリズンに収容され、保釈されると社会党から国会議員に立候補しようとした。
吉田茂の対米従属路線に反対、自主独立を訴えて鳩山一郎らと民主党を結成、吉田内閣を打倒して鳩山政権を作る。石橋内閣の与党幹事長として訪米、ダレス国務長官と交渉するが、ソ連の軍事力と比べ、防衛力を強化しながら安保条約を対等なものにするしかないと考えた。反共主義を強調してアメリカに取り入り、それによって日米対等の関係を追求する。アジアの国々に対しては謙虚に謝罪を表明し「アジアの日本」という立場を重視した。昭和32年にアジア各国を謝罪のため歴訪。
「アジアの日本」を固めてアメリカからの自立を図るために反共主義を強調してアメリカに取り入りながら「自主憲法」を制定しようとした。共産中国とは敵対関係になったが「政経分離」の原則を貫き、日本の経済的利益が左右されないようにした。
☆☆☆
関さん、上の二つから掲題のように考えまして、ちょっと身震いがしました。
しかして、「長州イズム」がどのように帝国陸軍を、また軍国支配を貫いていったのか、それが戦後から現在までにどう投射されているのかを、何ゆえ戦後派会津人の田母神氏に「長州イズム」が憑依したのか、というようなことを含めて問題とした文献資料にはまだぶつかっていません。 「長州イズム」とは何か、という問題とともに重大な課題なのではないでしょうか。
「バーデン・バーデン」事情についての文献は、筒井清忠『昭和期日本の構造 二・二六事件とその時代』(講談社学術文庫、1996年。原本は昭和59年、有斐閣)。アマゾン出品の中古本を今日落手し未読です。「『長州の陸軍』から二・二六事件まで」という項目が見えます。この非常にコントロヴァーシャルな力作についてはネットにいくつかの論評があります。カウンター議論を含めて参考になると思いますから下記します。
小論文のような書評で煩瑣で屈曲した論旨のものですから、お待ちいただければ来週に抜粋とコメントを報告します。
http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/shohyo21.html
http://d.hatena.ne.jp/tono-tani/20120226/1330233024
なお、後年の筒井氏については、京大文学部教授を辞めた事情、また氏が現在関与しているシンクタンクが示唆する思考特性に、いささか足を引きますが、本書自体は歴史研究者による類書のないものではないかと推察します。
また、大江志乃夫『日本の参謀本部』(中公新書、昭和60年)の第7章「幕僚機構の官僚機構化」第8章「目標喪失の時代」が参考になるのではないかと本棚から取り出しております。
咀嚼して報告するつもりでおりますネット記事は次のものを:
http://turekuruma.naganoblog.jp/d2013-09-03.html
軍事史的視点を軸にした眼の深い論述ではないかと思います。同感し刮目するところ多数だと。
http://plaza.rakuten.co.jp/oceandou/diary/200902270000/
これは「東条発言」のソースです。
http://www.kokubou.com/document_room/rance/rekishi/gunji/226_gunbatu/koudou2-1.htm
これは「バーデン・バーデン以降の陸軍内部史」です。
それでは取り急ぎこれで多少のお茶濁しになりますことを。失礼ながらとりあえずで、いささかなりとお役に立ちますことを・・・乱文どうかご容赦ください。
関良基さま
関さん、岸信介を提起していただいて本当に感謝しています。軍の筋ばかり見ていましたのを救っていただきました。「視野狭窄シンドローム@りくにすさん」に陥るところを。
いやはや、岸信介は「みごとな補助線」ではなく、まさに関さんのテーマの「主線」であると一晩明けた今日になってはっきりと気がつきました。
岸信介の「深さ」については、孫崎享『戦後史の正体』(創元社、2012年)の中の、強い当惑と反発を呼んだと聞く、第四章「保守合同と安保改定」のP185~220がずばりその壺に嵌まっているので驚きます。
陸軍長州閥については:
お茶の水大学のウェブ・ライブラリィに「明治期陸軍における長州閥の数量的検討 : 専門官僚制の 形成と藩閥」(大江、洋代)というのがあって、非常に興味深いデータが丁寧に集められているようです。
http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/35719/1/02_011-024.pdf
宮中の長州閥(「公」)に目を向けることの必要性を示唆してくれるネット記事があります『薩長因縁の昭和平成史(1)』。
http://www.asahi-net.or.jp/~vb7y-td/k8/180924.htm
なお、帝国陸軍の体質形成について本棚から取り出して机に積んだものは:
藤原彰『天皇制と軍隊』(青木書店、1978年)の冒頭の章の「青年将校の反革命運動」と「幕僚層の精神構造」を、
また、大江志乃夫『昭和の歴史3 天皇の軍隊 帝国陸海軍の特質と全貌』(小学館、1982年)「バーデンバーデンの会合」の項を含む「軍事官僚と政治軍人」とを参照するつもりでおります。
それから、戸部良一(当時、防衛大学助教授)ほか『失敗の研究 日本軍の組織論的研究』(ダイヤモンド社、昭和59年。1991年、中公文庫に)の第2章「失敗の本質」と第3章「失敗の教訓」を見ておこうと。
これは気の利いた企業参謀の定番の参考書で、じつはそのように意図されたものであろうと思いますが、大企業経営の視点からの長州的組織体質の総括として読んでのコメントをする機会があればと思います。
その戸部良一氏『日本の近代9 逆説の軍隊』(中央公論社、1998年)、そして、永田鉄山ストーカー(?失礼を)の川田稔氏による時宜に照らしてきわめて魅力的な『浜口雄幸と永田鉄山』(講談社選書メチエ、2009年)に惹かれています。
Wikipediaで斜め読みしましたら、ファザコンだったかもしれない明治・靖国少年、田母神閣下、いささか手に余り、日中戦争と太平洋戦争は蒋介石とルーズベルトを操ったコミンテルンの陰謀であるとか、その論理・思考の「独特の」品位からして「会津の長州化」の研究対象とするには手ごわいと逃げ腰になるだろうと思います。前もってお詫びします。
ただし「軍事組織体の羊水としての長州イズム」がいま以て引き継がれていることの目をひきやすい実例になりうるのではないかと推察しますが。
それでは、またしばしのちほどに。出る前にあわてての拙速をおゆるしください。どうかよろしくお願いいたします。リダンダントにはならず何とかお役に立ちますことを。
田中良紹氏の記事から考察すると、「長州的なるもの」とは
①経済的利得よりイデオロギー重視
②現実に妥協せず理想を追う
③敗北しても決してあきらめず再起を目指す
なのかなと思います。サンプル少ないので結論早すぎると思いますが。
毛利家の長州藩と松下村塾・奇兵隊のどちらに由来するものかわかりませんけど。
宮崎市定の『古代大和朝廷』入手しました。「長州的なるもの」が密貿易の利得から来ているとすると、薩摩藩が二つあるみたいな幕末になるのではないかと思います。吉田松陰のような動機オーライな人は冷遇されそうです。
この本は交易とか文化交流に重きを置いていますが、吉田松陰に関してはカルト的情熱のほうが大きいと思います。「イデオロギーだけで人々が動くわけではない」という向きには、なぜ死に急ぐ若者たちが大勢いたのか、という歴史人口学による説明をどうぞ。
「明治維新」を現出させたユース・バルジ(Youth Bulge)
http://renqing.cocolog-nifty.com/bookjunkie/2009/09/youth-bulge-e71.html
この話は『中国化する日本』でもちょこっと触れています。
ところで岸信介が出たついでですが、安富歩の『幻影からの脱出―原発危機と東大話法を超えて』(明石書店)を読んでいたら保守本流と田中角栄グループの確執に触れていました。田中角栄―小沢一郎はこの場合どこに位置づけられるのでしょうか。
関様、ふと見ますと、山室信一氏という方が安倍株価首相による日本の「満州国化」を言っておられるというので、長州陸軍「統制派」ー 満州 というつながりで考えてみました。
りくにす様ご紹介の「中国化する日本」という話のグローバルなスケールに比べると、この話をずいぶん卑小に思われるでしょうが。
いささか取り乱した思考を糊塗するために文をリズミカルにと、いつになく断定調になっていることをご寛恕くださいますよう。
http://www.asahi.com/articles/DA3S10917668.html
朝日新聞ネット 2014年1月10日 05時00分 「満州国化」する日本 山室信一さん(京都大学人文科学研究所長 51年生まれ。専門は法政思想連鎖史)聞き手・尾沢智史
山室信一氏は「日本の満州国化」をこのように指摘します・・・「安倍さんは『自立する国家』を掲げてきました。でも現実には、特定秘密保護法やTPPなどで、アメリカのかいらい国家という性格が強くなってきているのではないか。理想国家の建設を掲げながら、日本のかいらい国家への道を歩んだ満州国に似てきています」
・・と。深い問題意識をアジアに対して持つとともに幕末以来の日本における平和非戦思想の流れの中に憲法9条を位置づける『憲法9条の思想水脈』(朝日選書、2007年)でなんと「司馬遼太郎賞」を!貰ったという、この山室氏の名著『キメラ 満州国の肖像』(中公新書、1993年。増補版、2004年)をろくに読まずに言うのは内心忸怩たるものがありますが、現在目の前にする日本のこれからの行く末を「満州国」に見るというのは、たしかにおそろしい重さを持ちながら、どうしてもすわりがわるいと思えてなりません。
満州国は「かいらい国家」(他から操られている政権が統治する国)の典型とされますが、「被征服国家」であり、「移民支配国家」であり、その国の民に依拠した、その国の民に正統性が由来する国家ではない「人工国」であると思いますから。
日本がこのままではそういう国家になってゆくと!?
「アタマが関東軍で、胴体は天皇制国家、尾は中国皇帝」である「キメラ」が満州国だと山室氏は書いておられるとのこと。で、足は満州国原住の民だ、というつもりだったのでしょうか。民を度外視し、民の目線にどうしてもならないのは八幡和郎氏とおなじく東大法卒だから?
それはともかく、さすれば日本は「アタマは米軍産複合体ないしグローバル金融資本、胴体は0.1%と99.9%に分かれる新自由主義グローバル社会、尾は自公政権」ということになりましょうか。あまりに<ありのまま>で心臓がとまりそうです。たしかに日本はキメラなのでしょうが、人工国家/移民国家(イスラエルを想起させます)ではないように思います。もし安倍首相がそれらを目ざしているのであれば「イスラエル化」する日本、というべきでしょう。
しかし、山室氏によれば、
<山室氏> 安倍さんの国家観は、自然主義的とでも言いましょうか、国はあくまで自然にあったもので、しかも国家主導は正しいという発想です。戦後レジームだけが否定すべきもので、それ以前の体制は『美しい国』だったと。
・・・『戦後レジームからの脱却』と言いますが、日本国憲法のもとで国家意識が薄れていったのが戦後だという意識があるのでしょう。だから、もう一度、国家主導体制をつくることが戦後民主主義から『日本を取り戻す』ことに直結すると意識されているようです。 ・・・おそらく安倍さんは、憲法を変えればみんな変わると思っていたのでしょう。戦後レジームの頂点にある憲法を壊せば、すべて正常に戻ると。しかし96条改正への反対が強かったので、解釈や立法で変えてしまおうという方向に行っている。
・・・と。東大法学部を卒業し京大で法学博士号を取り、法制局参事であったという山室氏は、安倍氏が国と国家を混同していることになぜか同調していますが、法律学の専攻ではなく政治学専攻であったためでしょうか。
それはそれとして「自然主義的国家観」の安倍氏は「人工国家」を念頭に置いているわけではないのでしょう。杜甫の言う「国破れて山河あり」の「国」が国家のことで特定の統治支配機構(水戸用語で「国体」= 対外戦争遂行者)を意味しており、この「山河」こそが国のことです。「山河」はその水土に根ざす人びとの暮らしを含んでいます。「美しい国」はこちらのほうの話で、国家が美しいのではありません。まさか「美しい国家」を?
戦前の大日本帝国憲法は帝の国の基本法であり「国民の義務と、国家がそれを求める権利」をさだめていますが、戦後の日本国憲法は民の国の基本法として当たり前のこと、「国民の権利と、国家がそれを守る義務」をさだめています。
安倍氏は日本国憲法と独立を失った戦後の被占領体制を一体のものとして「戦後レジーム」と呼び、それを否定すべきだと考えているとのことですが、「戦後レジーム」とは、米軍による単独占領から生まれた日米安全保障条約と独立後になお駐留する米軍の治外法権を規定した日米地位協定のことであり、それらが遺憾ながら事実上優位にある、国内法の基本法としての日本国憲法のことではありません。
日本国憲法は「戦後レジーム」の頂点にはなく、「戦後レジーム」を安倍首相が否定したいのであれば、日米安保条約と日米地位協定を否定すべきなのです。
安倍氏が憲法の基本構造を戦前に戻したいと考えているのであれば、日本国憲法を日米安保条約と日米地位協定と一緒に否定して戦前に戻らねばなりません。さらに言えば、世界の憲兵とは言え権威のみならずあきらかにその実力が落日途上の米国との集団的自衛権というのは「戦後レジームの否定」と両立しないどころか、あえて言えば「国益」を考えない、惰性的暴走に思えます。まさにハーメルンのネズミ症候群かと。
<山室氏> 岸と安倍さんは発想がよく似ています。2人とも多元的な勢力の存在が嫌いのようですね。権力が一元化されていないと、物事がうまく進まないと考える。満州国では関東軍と革新官僚だけで全部を決めた。今の安倍政権のように1強多弱になってしまうと、自民・公明という一元的な権力で全て決められる。満州国と同じシステムが今、小選挙区制の下で偶然にでき上がっています。・・・権力の一元化は、特定の局面突破には効果的かもしれません。しかし一点突破だけを考えていると、全体のバランスが崩れる。満州国は、軍事的な統制だけすればいいと考えたのが崩壊のもとになった。・・・満州国は関東軍による占領下に置かれて、独自の軍隊を持たず警察組織だけあればいいとして出発した。それがやがて満州国軍として肥大化していき、関東軍に牛耳られるようになった。これはまさに戦後の自衛隊と米軍の関係です。
・・と。国家の本質は、人からもの(カネ)、自由、命を対価なく奪うことであろうと思われます。たぶんレーニンの国家論である「国家=軍隊+警察/監獄」に、税務当局を加えるとそうなります。率直に言って、今まで生きてきて見聞きしたことからそうだろうと思います。
そうであるだけに、多元的国家というものは内乱・内戦状態を除いて存在し得ないのかと。
選挙による代議制度というのはまさにイチジクの葉で、じつはそれすら、マス・メディアの世論調査という名の誘導をはじめとするさまざまの手立てによって枯れ葉になっていると思えてなりません。
ともあれ、国家の根源である軍隊(自衛隊)が英語(米語)による指揮系統で動き、また主力軍である駐留米軍こそがじつはアベ・シン株価総統を含めてレーニン的な意味での国家権力の源泉である、という事実に鑑みれば、文字どおり首相官邸にいない人への権力の一元化とは笑止の沙汰なのですが。
アベ・シン閣下が天ぷらではなく権力を我が手にしたいと真に思うのならば、自衛隊を米軍の指揮・情報系統から切り離すべきです。それから、国家治安警察である東京地検特捜部を同じく。とてもできるわけがないでしょう。
息切れして突然飛躍しますと、国というものの基本はあくまで、民が権力を握ることだと思います。ありえない? 吉田松陰は「一国万民」といえばよかったのに。
まさに長州閥そのものです