代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

近刊書紹介『不平等でなかった幕末の安政条約 関税障壁20%を認めたハリスの善意』

2019年06月22日 | 長州史観から日本を取り戻す
 共著で以下のような本を書きました。
 『不平等でなかった幕末の安政条約 関税障壁20%を認めたハリスの善意』(勉誠出版)
 7月1日から書店に並ぶ予定です。新書で800円+税とお求めやすい価格になっています。出版社のサイトは以下です。
 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101025




 数多くの歴史書を著しておられる鈴木荘一氏より「日米修好通商条約で認められた関税率20%の意義について論じて欲しい」という依頼を受け、引き受けさせていただきました。
 第一部は鈴木荘一氏、第三部は日本初のアメリカ総領事館が置かれていた下田の玉泉寺のご住職の村上文樹和尚が執筆しておられます。第二部を私が書き、関税20%は国際水準であり、「不平等条約」とは言えない事実を論証しています。
 
 著者間で見解がすべて一致しているわけではありませんが(たとえば鈴木氏の徳川斉昭への評価と私のそれは異なり、本の中でも一致していません)、日米修好通商条約以下の安政の五か国条約を「不平等条約」と規定する日本の歴史教科書の理解はおかしい、という点の想いは共通です。
 アメリカ初代総領事のタウンゼント・ハリスは日本では著しく誤解されているということで、表紙の写真にハリスが抜擢されています。表紙にハリスの写真という本も珍しいです。玉泉寺住職の村上文樹氏は、誤解を解き、ハリスの実像を正しく伝えようと熱意あふれる筆をふるっておられます。

 私が書いた第二部の冒頭を紹介いたします。

***以下『不平等でなかった幕末の安政条約』76頁より引用

 列強の圧力に対して弱腰だった「江戸幕府」は、日米修好通商条約によって治外法権を強要され、関税自主権も失ったと解釈されてきた。学校教育でもそのように教えられている。試みに、手元にある育鵬社の高校歴史教科書『〈新編〉新しい日本の歴史』(平成二九年度版)を参照してみたい。一八五八年の日米修好通商条約の締結について次のように書かれている。
 
「この条約は、清がイギリスと結んだ不平等条約と同じく、日本には関税自主権がなく、外国に領事裁判権(治外法権)を認めるなど、わが国にとって不平等な内容でした。同様の不平等条約は、オランダ、ロシア、イギリス、フランスとも結ばれました。(一六一頁)」

 この条約は、果たして教科書の言うように、「清がイギリスと結んだ不平等条約と同じ」であっただろうか? 本章では、関税問題に焦点を絞って、この「定説」が誤りであることを論証したい。

********************

 本の目次は以下のようになっています。

目次
第一部 日米通商条約の経緯 鈴木荘一
第一章 ペリー来航と日米和親条約   
ペリー来航
ペリー艦隊の再来日
徳川幕府とペリー艦隊の神経戦
日米和親条約締結
 
第二章 日米通商条約の無勅許調印
日米通商条約案の確定
アメリカ総領事ハリスとの通商交渉
雄藩連合
朝廷の攘夷論
通商条約再諮問
井伊大老の無勅許調印   
 
第三章 桜田門外の変
戊午の密勅
密勅返納問題

第二部 関税率二〇%を容認したアメリカ 関良基
第四章 関税率二〇%はどのようにして決まったか 
教科書の「定説」
関税率二〇%は国際水準だった
大英帝国の自由貿易帝国主義
米国の保護関税政策
日米条約交渉と関税率の決定
通貨問題は日本側の判断ミス
老中・松平忠固と生糸輸出
  
第五章 尊王攘夷運動がもたらした関税自主権の喪失
開港後の貿易
エスカレートする攘夷派のテロ
下関戦争と関税自主権の喪失
関税率引き下げによって失ったもの

第三部 アメリカ総領事ハリスの親切 村上文樹 
第六章 日本へ来たハリス
来日前のハリス
ハリス来航直前の下田の実情
玉泉寺がアメリカ領事館に選ばれる
寺院が領事館となる宗教上の軋轢
アメリカ総領事館になった玉泉寺

第七章 交渉人としてのハリス
領事館の日々
砲艦外交のペリーと誠実外交のハリス
大病を患ったハリス
日本に関税20%を許したハリス
アヘン貿易を厳禁したハリス

第八章 唐人お吉物語その虚構と真実
玉泉寺へ通った五人の女性
三日間の勤務で解雇されたお吉


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