またタイで軍事クーデター。1992年の流血の「5月事件」以来だ。あのときは中国の天安門事件なみに多くの死者を出した。米国や日本のメディアは天安門事件ほどには騒がず、「アメリカの友好国の政府なら市民を殺してもいいのか」と怒りを覚えたものだったっけ。さて、私はタイ事情に詳しくないのだが、今回の件に関して、気になった情報が一つあるので書きとめておく。「バンコクの公立大が約2000人を対象に20日実施した緊急世論調査では、軍のクーデターへの支持率が約84%に達した」と報じられたことだ。この記事。この世論調査は公正な手法で行われたとはとても思えない。おそらくは、バンコク市内のそれも比較的富裕層ばかりを対象に世論調査を実施したのだろう。農村も含めて全国からランダムに抽出すれば、この数字はあり得ないと思う。
タクシン首相は、歴代のタイ首相で初めて農村の貧困対策を中心課題として取り組んだ人物である。日本の大分県に学んだ一村一品運動による農村振興、多大な負債を抱えた貧困農家を救済するための債務返済繰り延べ(借金苦自殺を放置する某国与党に見習わせたい)、低所得者が一律30バーツで医者にかかれる低額医療制度の導入などに真摯に取り組み、それは大きな成果をあげてきた。農村住民のあいだではタクシンは絶大な支持を受けてきたのである。
昨年の総選挙では、農村の圧倒的支持でタクシン与党の愛国党は大勝している。だから、この世論調査の結果はどう考えても信じられない。それとも地方の農民は「国民世論」の数に含めないということなのだろうか??
タクシン氏の汚職金権体質は残念ながら事実のようだ。まあ、同じく農村で圧倒的な支持を得た日本の田中角栄もそうだった。田中角栄に正反両面あるのと同様、タクシンに関しても公正な評価が必要だろう。
おそらくは今回のことは国王が軍に命じて起こさせたクーデターであろう。軍人たちだって貧しい農村の出身者が多いのだから、内心忸怩たる思いでいる兵士が多いことだろう。
おそらく農村の貧困層のあいだでは、今回の事態によって巨大な憤懣が堆積し、それが将来爆発する可能性は高い。民政移管された後の将来の選挙において、いずれは「第二のタクシン」を生み出していくことだろう。
フィリピンでは2001年の「富者によるクーデター」によって、「貧者の味方」を掲げ民意で選ばれたエストラーダ政権が超法規的に葬られた。エストラーダ大統領の場合も、汚職体質が命取りになった。その後、フィリピンの貧困層のあいだには鬱屈した想いが堆積し、それは今も脈々と引き継がれている。
願わくば、タイで将来現れるであろう「第二のタクシン」はクリーンな人物であって欲しい。
タクシン首相は、歴代のタイ首相で初めて農村の貧困対策を中心課題として取り組んだ人物である。日本の大分県に学んだ一村一品運動による農村振興、多大な負債を抱えた貧困農家を救済するための債務返済繰り延べ(借金苦自殺を放置する某国与党に見習わせたい)、低所得者が一律30バーツで医者にかかれる低額医療制度の導入などに真摯に取り組み、それは大きな成果をあげてきた。農村住民のあいだではタクシンは絶大な支持を受けてきたのである。
昨年の総選挙では、農村の圧倒的支持でタクシン与党の愛国党は大勝している。だから、この世論調査の結果はどう考えても信じられない。それとも地方の農民は「国民世論」の数に含めないということなのだろうか??
タクシン氏の汚職金権体質は残念ながら事実のようだ。まあ、同じく農村で圧倒的な支持を得た日本の田中角栄もそうだった。田中角栄に正反両面あるのと同様、タクシンに関しても公正な評価が必要だろう。
おそらくは今回のことは国王が軍に命じて起こさせたクーデターであろう。軍人たちだって貧しい農村の出身者が多いのだから、内心忸怩たる思いでいる兵士が多いことだろう。
おそらく農村の貧困層のあいだでは、今回の事態によって巨大な憤懣が堆積し、それが将来爆発する可能性は高い。民政移管された後の将来の選挙において、いずれは「第二のタクシン」を生み出していくことだろう。
フィリピンでは2001年の「富者によるクーデター」によって、「貧者の味方」を掲げ民意で選ばれたエストラーダ政権が超法規的に葬られた。エストラーダ大統領の場合も、汚職体質が命取りになった。その後、フィリピンの貧困層のあいだには鬱屈した想いが堆積し、それは今も脈々と引き継がれている。
願わくば、タイで将来現れるであろう「第二のタクシン」はクリーンな人物であって欲しい。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=131672
がるいネットの大森さんの「タイ・クーデターはなぜ起きたのか?」という投稿です。こちらにもトラックバックいただけると幸いです。
タイ情勢は私も無知なのですが、タクシンがそれほどアメリカ・ベッタリの人間だったようには思えませんが・・・。かなり巧妙に、米国にも良い顔をしつつ、市場原理主義路線を修正していたように思えます。
でも、今回のクーデターを見ても、アジアにおける米国の影響力が急速に失墜していることはあきらかですね。国王はアメリカの顔色をうかがうことなく堂々とクーデターを起こせたわけですから。
>国王はアメリカの顔色をうかがうことなく堂々とクーデターを起こせたわけですから。
なるほど、それはいえますね。そうだとしたら、それだけの下準備をタクシンがしたともいえるし、東アジアの経済的な地力がついてきたからだといえるのかもしれません。
少なくとも日本政府にはアメリカの尻馬に乗って、「クーデターは遺憾だ」などというような発言だけは控えてもらいたいものですね。
>「クーデターは遺憾だ」などというような発言だけ
>は控えてもらいたいものですね。
よほどの事がない限り、民意で選ばれた政権を軍がひっくり返すということは許されてはならないと思います。「汚職がひどい」というのは選挙で審判を下すレベルの次元の事象で、武力を用いるような問題ではないと思います。
国王と軍がくっつきすぎかもしれないけど、日本の三権分立も最近は崩れてないかとも思うので。
日本やアメリカを見てると「民主主義」って本当に良いものなのか? と疑問を抱くようになりました。
タイの人で「どこの馬の骨とも知れぬ奴よりは、伝統ある国王に統治してもらった方が良い」なんて意見もあったようです。
タイという国は汚職に対する嫌悪感が強いそうですし。
今まではクーデターなんてあってはならないものだ、などと盲目的に思ってましたが、その国の歴史を紐解くと一言では切り捨てられない問題がある。
無知まま批判するのは危険なのだと痛感しました。
だいたい、多くの国々で少なくとも近代化の初期の段階は強権的権威主義政治を経験しますから。
今回の市民集会は、いろいろ批判するよりこれだけの国民が都市から地方からも集まって、自分達の集会のために、寄付して自分達のための政治をしてほしい。政治家が行った汚職、あるいは、間違った判断に対して抗議している事実を政治家は、もっと事実として受け止めるべきだ。責任を取るべきだということではないでしょうか。
日本の方も、この集会が、100日以上 続いていることを歴史的なことだとうけとめて、応援して欲しい。
同じ国民の声がこれだけ上がっていること、武力や武器をもった集会ではなく、国民の声を警察の力や法律を利用して抑えようとしている事は、市民集会に賛成しない日常生活を乱されたくない派の人たちも認めざる終えない事実ではないでしょうか。
これまで続く国民の力に、私も圧倒されますが、これらの活動の力になっているものは、「仏教の教え」
「どう生きる?」「どう生きるべきか?」という問いではないでしょうか。
タイに長くいて、多くの国民の心の中に「仏教の教え」が少なからず根づいて、「生きるための力」になっていると感じるのは、私だけでしょうか。