イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

振り返りはしない

2009-04-15 00:57:47 | ニュース

亀田大毅選手の次の対戦相手、滝壺に転落して?死亡、というニュースをスポーツ新聞の見出しで見かけました。

 滝のそばに上着は脱いで置いてあったそうで、まさか滝打たれ修行を試みたわけではないでしょうが、こうなると流ノ介(@『侍戦隊シンケンジャー』2幕)みたいに公園の噴水にしておけばよかったのに、なんて思ってしまいますね。

さて『シンケンジャー』、第9幕視聴後に、番組、ドラマとして今後どうなってほしいかではなく、自分が今後視聴をどうするか改めて考えてみました。

たぶん414日現在、関係者を除けば、日本で一番『シンケンジャー』について考えている大人が月河かもしれない。←最上級を使って英文に訳せ。それはシンケンジャーじゃなくて英作文の試験じゃー。

…アホぬかしている場合ではありません。第8幕“花嫁神隠”視聴後、「ピンク茉子(高梨臨さん)が薄い」と感想を持ち、ここにも書きましたが、第9幕を見て、ピンクだけではなく「レッド丈瑠(松坂桃李さん)以外全員薄い」ことに改めて気がつきました。

同話の冒頭、変身したレッド丈瑠とブルー流ノ介(相葉弘樹さん)が志葉家中庭で立会い稽古をしている。互角の勝負。これを見せることは同エピソード内だけではなく、今後の展開上も重要です。しかし、「流ノ介相当強いよな」(千明・鈴木勝吾さん)「流さんの剣、綺麗やもんな」(ことは・森田涼花さん)「教科書に載せるなら(丈瑠より)流ノ介かも」(茉子)と、それぞれの表現で賞賛する他3メンバーが、縁側前にいつものカジュアル私服で、ポケットに手を突っ込んだり腕組みしたりの格好で論評しているというのはどんなもんでしょう。“チームメイト”の形ではない。

チームの中でも力量上位の、リーダーとサブリーダーによる、敵もいないのにわざわざ変身しての(←素顔の変身前役俳優さんではそこまで剣戟が上手そうに見せられない、という大人の事情はさておき)“模範演武”と言ってもいい場なのだから、他3人は揃いの道着で正座ぐらいするのが当然でしょう。あの格好ではたまたま外から来て外に帰っていく、行きずりの見学者です。

流ノ介がヒトミダマに操られ、本気で討つ気か止める気か、殿ひとり先に出陣してしまった、さあ大変!と追いかけ現場に到着した後も、3人は見て、「やめろー!」「目を覚まして!」と叫んでいるだけ。まぁこれは殿が「手を出すな」と制したからなのですが、「勝負あったな」と突然現われた流浪の剣士、実は外道衆の一味・腑破十臓(唐橋充さん)の「あの青いほうがそろそろ力尽きる、技術に長けた者は一本を取りに行くが、稽古と実戦は違う」「一瞬の隙を、ヤツ(=丈瑠)は待っていたはずだウンヌン」という解説縷々を、「誰だオマエ」(千明)と言いながら、同じ方向を向いて黙って聞いているのもあまりに無策。これも描写としてはチームメイトではなく、傍観者、せいぜいベンチに控えたサポートスタッフのそれです。

いちばんやりきれなかったのは、流ノ介がヒトミダマの洗脳を浴びたのは咄嗟に千明を庇ったからなのに、庇われた千明がそれを自覚して流ノ介救出&丈瑠との同士討ち阻止のための特段の働きや、少なくとも意欲、思考を見せる描写がほとんどなかったことです。

リーダーであり主君であり、剣でもモヂカラでも別格の使い手であるレッド丈瑠とは違った、未洗練でやんちゃだがすばしっこさなどの身体能力には秀でたグリーン千明ならではの活かし方がいくらでもあるはずだし、そのエピソードの主役ではないキャラを本スジに絡ませることでこそ、戦隊の持ち味である“チームでヒーロー”性も際立つのに。

この回もうひとりの主役(というより行きがかり上変身後の出番が長かっただけ)のブルー流ノ介にしても、結局は“殿への忠誠心”でしか感情も言動も展開していかない。

日下部爺(伊吹吾郎さん)、新規参加の腑破十臓を含めて、顔出しで出てくるキャラが全員「殿=レッド丈瑠をどう思っているか」に低回している(ピンク茉子に至ってはそこすら明確に展開してもらっていない)。

もっとメンバーをひとりひとり輝かせ、立てなければ、戦隊として成立しません。イエローはイエローらしい形で、グリーンはグリーンの得意な形で、ピンクはピンクにしかできない形で、ちゃんと戦闘プランにも、本スジにも関わらせてくれなければ。

ひとりひとりがそれぞれにカッコよく強くおもしろく、かつ全員集まることで“チーム”として一個のヒーロー人格を持つ、それが戦隊のはず。

この2ヶ月ほど、『シンケンジャー』について書くたびに苦言になっていくのが心苦しいのですが、本当に『シンケン』、スーパー戦隊ドラマとして、不出来とか粗悪とかではなく“ヘン”です。おかしい、作り方が。

ここまで来ると、小林靖子さんの脚本どうこう、鬱期どうこうと言うより、冒頭の私服見学シーンや千明の庇われ自覚なさなど、プロデューサーの指針付け、物語世界の構築力の責任ではないかという気さえする。

全幅ではありませんが、現時点で期待をかけていることが2つあります。

ひとつは前にも書いた、メイン以外の脚本家さんの担当回での新風。世界観や基本的なキャラ設定は踏襲が義務づけられているはずですが、解釈の方向性が鋭く新鮮であれば、キャラごとの未知の面が垣間見える可能性はじゅうぶんある。

もうひとつは、早晩投入されるであろう6人めの追加戦士による地合いの変化です。落下傘エリートだが末弟キャラで頼りないところのあるデカブレイク、図抜けた戦闘能力に敵性を宿したアバレキラー、高スペックで浮き世離れしたゴーオンウイングスなど、初期メンバーの誰ともかぶらないキャラが味方陣営に加わって一緒に名乗りをあげることで空気感が(最終的にはおおかた)良いほうに変わった作品は少なくありません。

あわせて今後の視聴をどうするかですが、打ち切る選択肢だけはとらないことにしました。放送開始前から紙媒体で見て、多少の不安や危惧(大半はマスクデザインについてのもの)はあっても、概ね楽しみにはしていたのだし、何より“スーパーヒーロータイム”は、東海テレビ制作の昼帯ドラマとともに、唯一レギュラーにしているTV連続モノです。

しかも23ヶ月、10週前後のお付き合いの昼帯に比し、こちらは150余週です。大袈裟に言えば、『シンケン』をあきらめることは、2009年をあきらめるに等しい。

そこで、『ゴーオンジャー』期からの、デジタル放送HDDとアナログVTRの両建て録画、当日夜にまずVTRを巻き戻し視聴、時間が空いたらHDDを編集してDVDダビし週中PCでリピート…という視聴手法をやめ、HDDのみに録って、45週分放置しまとめてダビり一気に観てみることにしました。その間は公式サイトのふりかえりや、紙媒体チェックも封印。1幕ごと、1場面ごとに引っかかって苛々することがなくなるし、数週分まとめれば新風や地合いの変化も感じ取れるはずです。

1話見るたびに摩擦感、ギクシャク感が増していく右肩上がりを、何とか最小限に押さえ込むにはこれしかないと思う。来週から実行します。「この話はこれで終わり。二度としない」

コメント (2)
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