弘田三枝子さんの訃報で、歌手、特に女性の歌手にとっての“歌がうまい”は、どれくらい強力で、加点が高いのか・・というようなことを考えているうちに、当時「弘田三枝子、歌うまいよねぇ」とベタ褒めだった大人たちのうち、少なからぬ割合で「でも私は、オレは、伊東ゆかりのほうが好きだなあ」という声があったことを思い出しました。
時は昭和40年=1965年になったかならないかぐらいで、月河は小学校上がったか、来年上がるかというぐらい。近所や親戚のおねえさんたちが遊びに来るとき持参の『少女フレンド』『週刊マーガレット』『なかよし』『りぼん』等を拾い読みしてはオトナ文化の摂取吸収(?)に余念ないさかりでした。
前の記事でも触れた『VACATION』は、1960年代初期に複数の日本人歌手が日本語でカヴァーして歌っていましたが、いちばん耳にする機会が多かったのが弘田さんで、その次が伊東ゆかりさんヴァージョンだったように思います。ちなみに日本語歌詞はどちらも同じ。
オリヴィア・デ=ハヴィランドよりジョーン・フォンティンが好きだった実家母も、伊東さん派のひとりでした。
「声量とかパンチは弘田三枝子すごいけど、伊東ゆかりのほうが、声が低めでなんか可愛げがあるのがいい」みたいなことをよく言っていました。いま思えば、オリヴィアさんよりジョーン・フォンティンさんに好感を持ったのと通底する、彼女独特のアンテナだったなと思います。ちょっと地味め、と言って悪ければおっとりして、女子としては早熟か晩生かで言えばオクテな感じが、親近感がわいて好みだったみたい。
弘田さんについては、「歌はうまいけどおテンバだねあの子は」「男の子に話しかけるとき“ねぇ”じゃなく“おぅ”とか“よお”とか言いそうなタイプだわ」とも言っていました。
伊東さんも弘田さんと同じ1947年=昭和22年生まれで10代前半でデビュー、『VACATION』の頃には結構なプロ歴を持っていました。どちらのヴァージョンもいま動画サイトで聴けますが、伊東さんの歌唱版もリリース時15歳とは思えない、実家母の好んだちょっと低めの甘いヴォイスで堂々たるもので、かりに弘田さん版と二つ並べて「どちらがより“歌がうまい”ですか」と訊けば、それこそパンチと声量と、♪ ま゛っちぃどっうぉおしひぃのわぁ あ゛っきやすふぅみ~と、第一音節に濁点が付くかのようなド迫力の唸りシャウトで圧倒する弘田さんが水をあけるでしょうが、「どちらが“好き”ですか」と質問を変えたら、かなり拮抗すると思います。
当時の日本の流行音楽シーンで、元来日本土着の演歌や唱歌の流れに属さない、洋楽ポップス、カヴァーチューン、洋楽“風”和製ポップスを歌う歌手は、お手本がアメリカヨーロッパにあるわけですから、「日本人離れしてる」が最高の誉め言葉でした。
この理不尽なスタンダードは、戦後長く日本の音楽土壌に根を生やし続け、洋楽(“っぽい”)曲を歌う歌手はリズム感であれ歌いまわしであれ、地声の声量であれマイクの使い方であれ、振り付けアクションであれ、衣装デザイン着こなし、体型や髪型、メイクに至るまで「日本人離れしてる」とどこかで言われなければ「歌がうまい」うちに数えてもらえないみたいな縛りがありました。
伊東さん版の『VACATION』は、何と言うかそういう縛りから自由なんですね。アメリカからの輸入物のカヴァー曲ではあるんだけど、当時の日本語の、日本人のティーンエイジャーの、ガール・ポップとして成立しているんです。
♪冬は楽しく スキーに行きましょう の“しょう”を「いきましょおー」と、煮え切らない彼氏にハッパかける掛け声のように伸ばして抛り出す歌い方。
♪寒さなんか忘れ すべるの の後は、弘田さんが♪Go Go Go Go!と、仮名表記すれば「がうがうがうがうッ!」になりそうなバタ臭いシャウト四拍で次節につなげているのに対し、伊東さんは♪hi hi hiと三拍、声で手拍子取る感じ。「アラ、一拍余るわ」と気がついたのか、セカンドコーラスでは四拍めを「・・はい」と小さめに合いの手のように入れていて、ガール・ポップというより“トレッキング部の女子マネポップ”みたいな、こそばゆい味わいがあります。これこそ弘田さん版にはないもので、当時の伊東さん自身や制作スタッフがどんな意識だったかはわかりませんが、2020年令和のいま、当時の世相や流行りを振り返りながら聴くと、「曲はアメリカものでも、日本人に聴いてもらうために日本人が歌うんだから」という、開き直りというか、誇りにも似たものが感じられるのが不思議です。
一方で♪hi hi hiの直後、 ♪マッシュポテトを水辺で あの人と踊ろう と続くところ、弘田さんが「まッシュポテトをみずべで」と、カタカナ英語ふうに第一音節の“マ”にアクセントをおいて、平均に譜割りして歌っているのに対し、伊東さんのほうが「マシュポてぃとをぅみずべぃで」と、よりオリジナル寄りの譜割りで歌っているのも面白い。
(ちなみにここでの“マッシュポテト”は、「母親なら自分で作れ」と通りすがりのおっさんに言われるアレのたぐいではなく、当時アメリカで流行したダンスステップのひとつだそうです。これも動画サイトで検索すれば見られるらしいですが、月河の任ではないのでここはここまで)
弘田さんも伊東さんも団塊世代ですから、幼い頃、昭和30年代から洋楽ポップスをむさぼるように聴いて、あちらの歌手の真似してみたりしながら咀嚼吸収して、おそらくはおもに進駐軍キャンプをオーディエンスとして現場で磨きながら自分のスタイルを形づくっていったのでしょう。
伊東さんも昭和40年代、自身が二十歳を過ぎたあたりから歌謡曲調にシフトして、『小指の思い出』(作曲鈴木淳さん)『恋のしずく』『知らなかったの』(同平尾昌晃さん)など、洋楽ブームをくぐり抜けた日本人作曲家の手になる、良く言えばしっとりとオンナらしく洋物ビートやファンクとは距離を置いた曲が代表ヒットになりましたが、いい意味で唱法にも、容姿、存在感にもアクが少なかった分、弘田さんよりは摩擦抵抗少なく、広く好感持って受け入れられる大人の歌手に着地したように思います。
お若い頃から、当時所属していた渡辺プロのタレント顔見世みたいなドラマ『S・Hは恋のイニシァル』でマドンナ役を演じたり、歌唱以外でも、いい意味でツブしのきく力量があり、月河が未だ記憶に鮮明なのは2011年のNHK朝ドラ『おひさま』での、ヒロイン(井上真央さん)の国民学校教諭時代の教え子の“成人後”役。なんでここで懐かしい伊東ゆかりさん?ひょっとして挿入歌とか歌ってくれるのかしら?と思いましたがそれはナシでした。
本業でも、やはりナベプロ時代に人気を分けた“三人娘”の中尾ミエさん園まりさんと、精力的にライブ出演など続けておられるようです。
個性で勝負する世界ですから比べるものじゃありませんが、『VACATION』の頃、あれほど「歌がうまい」一本でのして歩いている感のあった弘田三枝子さんが、売れ筋のうつろいに合わせて舵を切り模索しながら、結果的にはその、“「日本人離れ」してこその「歌のうまさ」”に殉じたように見えるのに対し、伊東ゆかりさんは「歌がうまい」では競作フィールドで一歩譲った分、あとが粘り腰だったなと思います。よく言われる渡辺プロの庇護と独立後の荒波など“芸能人”としての環境変化の得失プラスマイナスも関係なくはないのでしょう。
改めて歌い手さんにおける「歌のうまさ」の意味というか、意外なほどの“万能でなさ”を思います。・・なんだか一周して結局前回の記事と同じ場所に戻ってしまいましたが、要するにそういうことです。