ヒルマン監督の「イチ、ニ、サン、信ジラレナ~イ!!」より、私なら新庄選手の「オレ、持ってるわ」を流行語大賞に推したいですね。
「やっぱ、持ってるわ、オレ」
何を?と訊いたら、“運”とか“ツキ”、あるいは“華”ということになるのでしょう。昨日の日本シリーズ最終戦、これがプロ野球選手として最後の試合になるかも、なりそう、いや絶対なる、チームの日本一を決める試合がオレの引退ゲームだ!と確信したとき、彼はこう思ったんだそうです。新庄選手のキャラと言うか人となりを、これほど凝縮した言葉はないでしょう。オレはツイてる、誰より強運だ、オレってカッコいい、みんながオレを好きだ、オレもオレが大好きだ。日本一も感激だけど、その場の一員にこうして居合わせてる自分に感激して、たった2点しかリードしてない七回表の守備ぐらいから早くも「もうヤバかった。ボール飛んできたらどうしようと思ってた」ってボロボロ号泣できる男、そうそういるもんじゃありません。
ぶっちゃけ、阪神時代の大阪はともかく、現在の地元札幌では、ファイターズファン、もしくはシンパの市民も、全員が新庄ファン新庄バンザイというわけではなく、グラウンド外でも彼の一挙手一投足にあふれる自分大好きぶりに辟易気味な人も、少なくはなかったと思うんです。カッコいいはいいけど、なんかチャラくて、ガキっぽいし、ミズっぽいしね。
でも、ファイターズが移転三年目で日本一という快挙は、彼の存在なくしてはありえなかったのも確かです。「持ってるわ、オレ」…自分はツイてるんだ、運は自分に味方してくれてるんだという絶えざる自覚と、自己愛、自己鼓舞がなかったら、チーム競技と言えども勝負事は戦えません。チームメイトの中に、「あのクソ明るいのはどーも苦手…」とひそかに思っていた選手がいたとしても、横目で見ているうちに、なんだか悩んだり悲観したりがアホらしくなり、自然とチーム全体の士気が右肩上がりになって、プレーオフ前後の頃には「負ける気がしねえ!」にまで到達したということはあるでしょう。
人生が自分との戦いであり、時代・環境・宿命を敵に回した孤独な勝負だとしたら、プロスポーツ選手でなくても、普通の学生でも、勤め人でも、専業主婦でも同じことです。
まだ勝ったと決まったわけでもない試合の途中で臆面もなく「やっぱ、持ってるわ、オレ」と自分に言ってニッと笑うことのできるメンタリティと、たとえば同級生に嘲弄され、教師にも嘲られ、便所でズボンを引きずりおろされた直後「おとうさんおかあさんだめな息子でごめんなさい」と書き残して縊死した中学生のメンタリティはきれいに対極をなしています。格差社会と言われ、勝ち組・負け組の組分けが学歴・年収だけでなく恋愛や結婚、子育て事情にまで定着した日本ですが、心の持ち方というか、意識というか、志向のプラス・マイナス度合いまで二極分化してきたような気がします。
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