もはや流行語でもなんでもなく会話でも活字媒体でも普通に使われていて、聞いて読んで意味は解るけれど自分では使えない言葉、自分が表現しようとするときの語彙の選択肢として脳内に並ぶまでにはなっていない言葉というのが、常時幾つかあります。
もう十年以上前、このブログを開設して間もない頃ですが、「“萌え(る)”という言葉が、人の書いた文章の中に出てくるとなんとなく解るまでにはなったが、自分でドラマや特撮を見ていて、そうそうこれぞ“萌え”だ!という感覚にならない」という意味の事を書いた記憶があります。たぶんもう“萌え(る)”がバリバリ市民権獲得済みだった2006年暮れぐらいだったと思います。
最近の自分内で同じような位置にある言葉のひとつに“ドヤ顔”があります。
おもに関西出身の芸人さんたち発の言葉で、ネタやギャグがウケたときの「どんなもんだい」「やってやったぞ」「ざまぁ見さらせ」という気分を顔面表情化したもののことを言うんだな・・と、ここまではわかるんですが、人物の顔を見ていてそういう表情になったとき「あ、いま“ドヤ顔”になった」と脳内語彙の中からスッと浮上してこないんですな。オーバーに言うと、月河の住んでいる言語文化の中にはない言葉なんです“ドヤ顔”。
「勝ち誇った」「有頂天」「プライド」「達成感」、プラス「自己陶酔」「人を下に見ている」「冷静に他人視点で見ると微量滑稽」・・等の様々なニュアンスを包括してくるくるっとひとまとめに“ドヤ顔”の一言で言い表す文化の中に、日本中がすでに居ても自分は居ないな居ないな・・と、ずっと思ってきました。
昨日(17日)の平昌五輪フィギュアスケート男子シングル、羽生結弦選手のSP演技後の顔を見て、一気に氷が解けました。
これぞ“ドヤ顔”。
あのすがすがしく気高くも傲岸不遜な、故障もリハビリも世間の雑音もぶっちぎってやり切った感に満ち溢れ、いっそ小憎たらしいシャラくさいくらいの表情を一気に言い表すには“ドヤ顔”が、残念だけどいちばんふさわしい表現のようです。もう認めよう負けを。何に負けたんだ。
羽生選手が見てのとおりの細身の優男で、競技外だとむしろナヨッとして、負傷あがりじゃなくても「大丈夫かしら」と常に思わせる風情で、そのビジュアルのわりには(自身でも言ってる様に)「おい!」と思うくらいビッグマウスなのも“ドヤ顔”性を際立たせ明快にしてくれました。叩いても蹴っても死ななそうないかつい、寡黙でコワモテの大男だったら、ドヤ顔と平時顔との区別がつきにくくてしょうがない。
いまさらですが羽生選手を“ドヤ顔王子”と呼ばせてもらいましょう。“王子”は古いか。次のFSでは陰陽師に扮するそうですから“ドヤ顔博士”か。
あと二~三時間少々で、現地では結果が出ると思いますが、夜、NHK‐BSで再放送ありますよね。もう一度ぜひ目視確認したいですね。まずはアクシデントなどなく、思う存分やり切れますように。よく知らないけどライバル勢も力を出し切って、後を引かない勝負でお願いします。
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